「済まんなぁ、シンジ。雨宿りさせてもうて」
碇シンジはすっかり濡鼠と化した鈴原トウジと相田ケンスケにタオルを手渡した。
外は突然のどしゃ降りの雨。中学校から程近い山岡家は、雨宿りの場所として格好だった。
「アヤネさんは?」
ケンスケはせっかくの機会を逃すまいと、シンジの保護者役である山岡アヤネの所在を尋ねる。
「いるよ」
「ほぉか。そらえかったわ。こん雨ん中出歩っとって、風邪でも引いたらあかんからな」
「あーっ! ジャージに眼鏡ぇ! 何してんのぉ?」
その時、シンジたちよりも早く帰宅していた山岡リナが顔を出した。
「雨宿り」「ジャ、ジャージ……」「め、眼鏡……」
シンジが端的に答えている裏では、未だ名前で呼んで貰えないトウジとケンスケが落ち込んでいた。
「えぇ? 私目当てなんじゃないのぉ。でも、ダ・メ・よ。シンちゃんだけのものなんだから♥ きゃー」
リナはひとしきり騒いだ挙げ句、浴室へと去っていった。
「こんの、裏切りもーん」「この、裏切り者ー」
「あら、鈴原君に相田君ですね。ようこそいらっしゃいました」
「お、お、お、お、おぅ」「お邪魔してます」
リナの騒ぎが収まったところで、アヤネが部屋に入ってきた。トウジとケンスケはやけに緊張していて、面と向かっては初めて会ったはずの自分たちの名前が知られている不自然さには気付かない。
「どうぞ、ごゆっくりしていらしてくださいね」
アヤネはそういうと、紅茶のポットとクッキーが盛られた皿をリビングのテーブルに置いて部屋を出ていった。
「やっぱ、ええなぁ。アヤネはんは」
「あの若さで中学生の妹三人だけでなくシンジまで預かってるなんて、大変なことだぞ」
「そっかな?」
「たかが居候の友人であるに過ぎない僕たちにまでこんなに親切にしてくれる。それがどんなにありがたいことか……」
「わしらだけやなぁ。人の心持っとるのは……」
(確かに人じゃないからなぁ……)
シンジは口には出さなかったが納得したようなボケを見せていた。
「碇君は居候じゃない。ここは碇君の家だもの」
そこへ、シンジがリビングにいることに気付いた山岡ルナがやってきた。
「ルナちゃんはほんまやさしいなぁ。居候のシンジに気を遣わさんよう、あんなことまで言うとる」
「まったくお前が羨ましいよ。アヤネさんみたいな美人に保護されてて、その上ルナちゃんみたいな娘たちと同居してるなんて」
トウジとケンスケはシンジにやっかみ半分の言葉を小声で掛けた。
「そうだよ! ここはシンちゃんの家だもん。本当は私たちの方が「リナっ!」」
シャワーを浴び、着替えを済ませたリナがリビングに戻ってきて、ルナの言葉の後半を補足するようなことを言ったが、最後はシンジに口を手で押えられて言わせて貰えなかった。
「きゃーっ! シンちゃんったら、昼間っから、だ・い・た・ん♥」
「やっぱ、本命はリナちゃんなのか?」
「私はお妾さんで構わないわ。妾はいいわね。妾は家族に緊張感をもたらしてくれる。日本の生んだ社会制度の極ね……」
リナが盛り上がっている影でケンスケがシンジにこっそりと尋ねたのを耳にしたのか、突然現われた山岡カホルが言った。
「こんの、裏切りもーん」「この、裏切り者ー」
「妾……二号さん……セカンド……ダメ。私は、お妾さんは嫌」
どしゃ降りの日の夕方、NERV本部ではチルドレンのハーモニクステストが行われていた。
「0番、1番、2番共に汚染区域に隣接。限界です」
「いつもと変わらないわね」
伊吹マヤの報告に対し赤木リツコはほっとする反面、納得できないというような複雑な心境だった。
「0番のシンクロ率も以前とそう変わりませんし……」
「やはりルナさんも、シンジ君やアスカと同じなのかしら」
シンクロ率が0でないことを除くと、ルナの実験結果は綾波レイで蓄積されてきたデータよりもシンジや惣流アスカ・ツェッペリンのもたらすデータに近い。それまでNERV本部のE計画担当技術者として培ってきた経験や常識が全く通用しないのである。
「真の適格者……ですか?」
「実験をすればするほど解らないことが増えていく。そんな実験に意味があるのかしら……」
「頭を使わずデータを取るだけ、そんな実験を職業にしている人も確かにいるわ。でもね、それはデータを使って考える人が別にいるから成り立つのよ」
「惣流博士」
「今の私たちには、悠長にそんなことしている暇はないのよ。それに、あの子たちは実験動物ではないの」
「考えろ……と?」
(何を……そう、実験の意味を、目的を)
惣流キョウコ・ツェッペリンの示唆を受けたリツコは、暫く黙り込み、モニタに映るチルドレンの姿を見つめながら考えていたが、決断を下した。
「今日はここまでにするわ。三人ともお疲れ様」
(シンジ君とルナさんが同じように真の適格者なら二人の違いは何?)
(シンジ君が零号機に乗ったときは、確かにシンクロ率0だった……)
(シンジ君と初号機のシンクロ率が0なのは、ユイさんが眠りに就いているから……?)
(零号機に宿る誰かは眠りに就いていない?)
(ルナさんはコアの変換もしていない零号機と何故シンクロするの?)
(綾波レイ……!)
「気付かなかった……」
(綾波レイとルナさんって、似てるどころか瓜二つじゃない)
リツコはかつてレイを恐れていた。畏怖していたと言っても過言ではない。レイは自己主張が激しく、目的意識が強く、そして、明らかにリツコを部下として使っていた。そんなレイと万事控え目なルナとでは、リツコに与える印象というものが全く違っている。髪や瞳の色が違っていたこともリツコの目を曇らせる一因となっていた。
碇の血。六分儀ゲンドウや冬月コウゾウは、その相似を山岡家に繋がる碇家の血で説明した。山岡家が碇家と関係を持つ以上、山岡家が碇家の血脈であることに不自然な点はない。仮に血の繋がりが存在しないにしても、ルナやリナが碇ユイに似た容姿を持っていることで、碇家が孤児であったかもしれない彼女らを引き取る気を起こしたとも考えられる。血が引き寄せた偶然の相似、もしくは、相似が呼び寄せた偶然の家族。特にゲンドウにとり、彼女らの相似はその程度の問題であった。
魂の存在しないレイの器たちが存在しないため、現在のNERV本部ではダミーシステムの研究は行われていない。その結果、リリスの遺伝子が組み込まれたユイのクローンであるというレイの秘密の一部たりともリツコに明かされるべき理由は存在しなかった。
にゃにゃにゃにゃーん
実験を終了させ、自分の実験室でチルドレンを待つ間リツコは自分の考えに没頭していた。そのため、自ら呼びつけたチルドレンの来訪にも気付かなかった。
にゃにゃにゃにゃーん
「あっ……ごめんなさい。今開けるわ」
「三人ともいつも通りね」
「何よそれ、リツコ。そんなことを言うために、わざわざあたしたちを呼び出したっての?」
「止めなよ、アスカ。リツコさんだって疲れてるんだろうし」
「それが、リツコの仕事なのよ」
「いつも通りだったと伝えることにも、意味はあるわ」
「そうだよアスカ」
「ごめんなさい。アスカの言う通りね」
リツコは謝罪の言葉を口にした。
(私、今語るべき言葉を何も持ってない……)
びーっ、びーっ、びーっ……
『インド洋上空、衛星軌道上に未確認物体発見』
それはいつも通りに、突然の警報だった。
「二分前に突然現れました」
MAGIのオペレータの一人が端末を操作しながら報告する。すると、第1発令所のメインモニタには、インド洋上空の衛星軌道の模式図が表示された。そこには未確認物体の予想軌道、そして、周辺の人工衛星の類の軌道が重ね示されている。
『第6サーチ、衛星軌道上へ』
「接触まで、後二分」
予め指示された手順を消化するMAGIの報告が入ると、オペレータがそれを補足する説明を与える。
「目標を映像で捕捉」
青葉シゲルが報告すると同時にモニタには長い腕を二方に大きく広げたアメーバ状の使徒の姿が捉えられた。長い腕の先には本体に匹敵するほどの大きさの手のひらがあり、本体の中央部には目玉状の模様もあった。
「こりゃ、凄い」
使徒の映像を目撃した日向マコトは、思わず、そう洩らした。
「常識を疑うわね」
「葛城君。何故君がここにいるのかね?」
コウゾウは葛城ミサトの存在を見咎めると、直ぐに詰問した。
いつものようにリツコの研究室を訪ねていたミサトは、恐らく使徒である未確認物体発見の報に何気ない風を装ってリツコの後を追い、発令所に潜り込んでいた。保安部に異動したミサトが発令所に立ち入ることは、本来許されていない。
「構わん。放っておけ」
しかしゲンドウはミサトの存在を許した。
「いいのか? 六分儀」
「老人たちを黙らせるのにはちょうどいい」
人類補完委員会そしてSEELEはミサトの保安部への異動を快く思っていなかった。ミサトが使徒戦の指揮を取るということは彼らのシナリオの定めであったからだ。結果、ゲンドウは会議の度にミサトを戻せという意志表示を受け取っていた。しかし、ゲンドウのシナリオでは特にミサトを必要としてはおらず、むしろ、有能さを示していない彼女は彼にとって不要な人材だった。ゲンドウは初号機が危機に陥れられることを忌避しており、離職がミサト本人の希望だったことはゲンドウに幸していた。
「名も取らせず、実を取るか……」
「目標と接触します」
コウゾウの呟きはシゲルの報告に掻き消された。
モニタには第6サーチ衛星が使徒を囲むように移動する様子が映し出されている。
『サーチスタート』
「データ送信開始します」
『受信確認、解析開始』
MAGIとオペレータの報告が続く中、映像ではサーチ衛星が潰れる瞬間が捉えられていた。
「ATフィールド?」
「新しい使い方ね」
ミサトとリツコは衛星を潰れたのは使徒による攻撃の結果であったと認識した。
使徒発見の数時間後、発令所の主要職員は会議室に集合していた。
会議室のモニタには、使徒が自らの肉体の一部を切り放し、地上へ投下する映像が映し出されている。
「大した破壊力ね。さっすがATフィールド」
思わぬお墨付きを頂いた格好になったミサトも、会議に参加していた。
「落下のエネルギーをも利用しています。使徒そのものが爆弾みたいなものですね」
「とりあえず、初弾は太平洋に大外れ。で、二時間後の第2射がそこ。後は、確実に誤差修正してるわ」
モニタには、使徒の欠片が地上へ着弾する様子を捉えた映像が次々と表示され、マヤとリツコがそれについて解説を加えている。
「学習してるってことか……」
「N2航空爆雷も効果ありません」
いつの間にかその場の主導権を握っているミサトに対し、本来の作戦担当責任者であるマコトは完全に補佐に回っている。
「以後、使徒の消息は不明です」
シゲルの報告に対し、ミサトとリツコは同じ結論に達した。
「来るわね。多分」
「次はここに、本体ごとね」
映像は更に切り替えられ、モニタに映し出された地図上には、使徒の落下予測地点が示されている。
「その時は、第3芦ノ湖の誕生かしら?」
「富士五湖が一つになって、太平洋と繋がるわ。本部ごとね」
ミサトとリツコは軽口を叩き合っている。
「MAGIの判断は?」
「全会一致で撤退を推奨しています」
それがコウゾウの質問に対するマヤの答えだった。
「撤退は許さん」
ゲンドウの命令は簡潔である。
仮にエヴァンゲリオンやチルドレンを温存したところで、使徒とアダムの接触によるサードインパクトが起こるとするなら、ここで温存する意味はない。
アダムをNERV本部から遠ざけるという選択肢は選び難い。使徒戦当初、確かに使徒はリリスを目指したように見える。これは使徒がリリスとアダムを混同している結果だと考えられている。しかし、それが今現在においても通用するかどうかは定かでなく、NERV本部から遠ざけたアダムを使徒が発見する可能性は否定できない。その上、仮に今回サードインパクトが避けられたところで、NERV本部が失われてしまえば、今後の使徒戦を戦い抜くことが困難であることは明白である。
ゲンドウにとり、エヴァンゲリオン初号機とNERV本部を守りつつ使徒を殲滅する選択肢以外には何の意味もないのだった。
「日本政府各省に通達。NERV権限における特別宣言D−17。半径50キロ圏内の全市民を直ちに避難させてくれ」
遂にマコトが決断を下した。
「そうね、みんなで危ない橋を渡ることはないわね……。松代にはMAGIのバックアップを頼んでおくわ」
リツコはマコトの指示に足りないものを補足した。
『政府による特別宣言D−17が発令されました。市民の皆様は速やかに、指定の場所へ避難してください。』
第3新東京市上空には数多くのヘリコプターが巡回し、市民に避難を呼び掛けている。
『第6、第7ブロックを優先に、各区長の指示に従い、速やかに移動を願います』
街の放送でも避難の指示だけが流されている。
交通事情は最悪だった。
ぷっぷー
周囲には苛立たし気なクラクションが鳴り響き、渋滞に巻き込まれた自動車の列はピクリとも動かない。「全線下り」となってはいるものの、住人のほぼ全てが一斉に第3新東京市を離れようとしているのだ。
「これが、今回の使徒ですか?」
作戦説明のためのブリーフィングの席で、モニタに表示された使徒の映像を見たシンジが訊いた。もちろん全て承知の上でのことであり、それは説明を促すきっかけ作りに過ぎない。
「ええそうよ。今回はあなたたちに、この使徒をエヴァの手で受け止めて貰います」
「何でミサトがここにいるのよ!」
「へへへ、ちょっちね」
ミサトは笑って誤魔化す。
その間に、モニタには第3新東京市周辺の地図が表示された。
「今回の君たちの任務は、NERV本部を中心として分散配置しておいたエヴァで、落ちて来る使徒をATフィールド最大で直接受け止め、そして、殲滅することなんだ」
地図が表示されると、マコトが作戦の説明を始めた。
「三体のエヴァは最初、このように配置するわ」
リツコの説明で地図には三つの赤い円が重ねられた。
「この配置の根拠は?」
「目標のATフィールドを持ってすれば、この範囲の何処に落ちても本部を根刮ぎ抉ることができるわ。三体をこのように配置することで、危険範囲の63%について、少なくとも一体のエヴァはカヴァー出来ることになります。エヴァ三体の初期配置は今後の観測結果を加味して流動的に修正を加えます」
ルナの質問に対し、リツコが説明すると三つの赤い円を全て囲うような大きな円形の範囲が表示された。それが危険範囲の全てだった。
「エヴァ一体で支えられるの?」
「解りません」
「それじゃ、エヴァ三体なら耐えられるの?」
「そう願いたいわね。最悪、八秒間一体で耐えられれば、他の二体が到着できる計算よ」
「勝算は?」
「一体で耐えられるなら、さっきも言った通り63%」
アスカの質問に対し、リツコは計算結果のみを伝えた。
「耐えられない時はわからないってことか」
「つまり、何とかして見せろってことね」
意外に勝算は高い――以前の経験で初号機がある程度の時間を耐え抜いたことを知っているチルドレンは、改めて聞いた数字をそう評価した。
一方、経験を持たない大人たちは、黙り込んだチルドレンが不安になっているのだと推察した。
「済まないけど、他に方法がないの」
ミサトが声を掛けてもチルドレンは反応しなかった。
「一応規則だと遺書を書くことになってるけど、君たちはどうする?」
「別にいいわ。そんなつもりないもの」
「私もいい。必要、ないもの」
「僕もいいです。京都を出るときに書いてきましたから」
シンジがそう言うと、アスカとルナは胡散臭いものを見るような視線をシンジにぶつけた。
「おかしい……かな?」
作戦準備の前に、リツコとミサトは洗面所に立ち寄っていた。
「しかしあなた、相変わらず無茶な作戦を考えるものね……」
「衛星軌道の目標を攻撃する手段はない。撤退も不許可。こっちの戦力はエヴァ三体のみ。他に何か手段があるっての?」
「それを言われると辛いわ」
「ま、私が作戦指揮官のままなら、撤退が許可されていてもこの作戦を選んだわ。勝算が0でない限り、やることはやっときたいもの」
「結局、全ての事態はエヴァとあの子たちを中心に回っているということね」
「以前なら、使徒殲滅は私の仕事だと胸を張って言えた。でも、私の出来たことは、エヴァを出して後は子供達に任せることだけだった。頭を冷やしてようやく解ったわ。使徒を倒しているのは私じゃないって」
ミサトはそう言い残して、一足早く洗面所を後にした。
「綾波レイの生命と引き替えにね……」
「何だか楽勝じゃない」
「作戦の説得力が違うわ」
「それよ、それ。勝算は神のみぞ知るとかさ、ミサトって本当に……」
「僕たちは前よりも上手くエヴァを使えているからね。数字も違っていて当然だよ」
「ミサトってやっぱり向いてなかったんじゃない?」
「アイデアを出す能力はきっとあったんだと思うよ。実際に全ての使徒を倒したわけだし」
「そこまでで止めとけば良かったってことか」
「MAGIだって完璧という訳ではないわ。本当は神のみぞ知るなんて確率ではないのかもしれない」
起動確率が0.000000001%などと言われている初号機が現実に起動するように、勝算が万に一つもないなどと言われた作戦が成功する裏にも理由があってしかるべきである。現実に極小の可能性をものにしてきたと考える方が不自然であった。
「近接戦闘の指揮なんて、出撃と撤退の指示以外に出せるわけないんだ」
「結局、誰もそのことに気付かなかったということ」
やがて会話をしながらのチルドレンを乗せたエレベータはケージに到着した。
『落下予測時刻まで後120分です』
「使徒の電波撹乱のため、既に使徒の正確な位置の測定はできなくなってる。ロスト直前の情報からMAGIが予想した地点を基にした、エヴァ三体の初期位置を知らせるから、それに従って配置に着いてくれ」
発令所のマコトはエヴァンゲリオンに乗り込んだチルドレンに指示を出した。
『了解』
「目標には光学観測による弾道計算しか出来ない。MAGIによる誘導も距離一万までが限界だ。その後は各自の判断に任せる。責任は僕が取る」
『了解』『責任なんてどうやってとるのよ』
「ははは、それを言わないでくれ」
エヴァンゲリオン各機が配置に着いたことを確認したマコトは、改めて作戦指示の最終確認をしていた。
「こちらで目標を光学で観測し次第、MAGIによる誘導も開始される。それが作戦開始の合図と思ってくれ。他に合図を待つ必要はない。時間が一秒でも惜しいからね」
『了解』
「目標を最大望遠で確認。距離、およそ二万五千」
発令所内にシゲルの報告が行き渡った直後、オペレータの操作によりMAGIはエヴァンゲリオンの誘導を開始した。
モニタに映るエヴァンゲリオン三体は既にアンビリカルケーブルをパージし、移動を開始している。
「使徒接近。距離およそ二万」
シゲルが新たな状況を報告した時には、既にエヴァンゲリオンは最大戦速で落下予測地点を目指し、走り続けていた。
エヴァンゲリオンは土地の凹凸を、地上を走る電線を、そして可能であれば建築物をも飛び越えてただひたすらに走り続ける。
「距離、一万二千」
シゲルがその報告をした直後、モニタから初号機の姿が消えた。初号機の移動がカメラで捉えられる速度を越えたのだった。
モニタには雲間を抜けて落下を続ける使徒が捉えられている。
シンジは既に目標を初号機の視界に捉え、MAGIの誘導を必要としていなかった。そして完全に目標だけに集中したシンジと初号機は完全に一体と化していた。
初号機と完全に一体と化したシンジは、彼が生身で空中を移動する場合と同じ方法で初号機を移動させていた。
行き先に自らの存在を認識すること。そこに自らの躰があると強烈に意識することで実際にそこに躰が再構成され、替わりに現在の躰は失われる。その繰り返しによる移動――後にシンジがそう解釈するようになる方法だった。それは完全に人間の知る物理法則を超越した動きであり、音速を遥かに越えて位置を変える初号機であるにも関わらず、周辺には衝撃波すらも起こらない。
止まるときも突然だった。
慣性の法則を完全に無視するかのように初号機は瞬間的に立ち止まる。
「初号機確認。使徒直下です」
発令所のモニタで再びその姿が確認された初号機は、使徒の直下に到達していた。
シンジは頭上に迫り来る使徒の目玉を見つめ、初号機の足下を摺り足で固め、そして、言った。
『ATフィールド全開』
その瞬間、使徒の運動エネルギーはどこかへと消えた。
初号機は使徒を完全に支えきっている。
数秒の後、初号機の左右から零号機と弐号機がほぼ同時に到着した。
『今だ!』
シンジの合図に零号機が反応し、使徒のATフィールドをプログレッシブナイフで切り破るように打ち消すと、すかさず弐号機は使徒のコアにナイフを突き刺す。
するとエヴァンゲリオン三体の上空に静止させられていた使徒のあちこちがブクブクと泡立つように膨らみ、その直後――
ずごぉぉぉぉん
大爆発を起こした。
爆発が収まった後、爆心地には無傷のエヴァンゲリオン三体が立ち尽くしていた。
交通事情は最悪だった。
ぷっぷー
周囲には苛立たし気なクラクションが鳴り響き、渋滞に巻き込まれた自動車の列はピクリとも動かない。「全線上り」となってはいるものの、それまで避難していた住人のほぼ全てが一度に第3新東京市に戻ろうとしているのだ。
「あっ! シンちゃーん。迎えに来てくれたのね♥」
リニアで市外に避難していた山岡家の三人が市内へと戻り、環状線に乗り換えて家に帰ろうという所で、シンジとルナとアスカが自分たちを呼んでいることにリナが気付いた。
「夕食まだだよね? 食べに行こう」
リナが駆け寄ってきたところでシンジは言った。
「どこへ行くの?」
「へっへーん。い・い・と・こ・ろ」
リナの疑問に答えたのはアスカだった。
環状線を使って移動した先で、山岡家の面々を待っていたのは、赤い提灯のぶら下がる屋台だった。
「これがいいところなの?」
「僕たちの思い出をリナたちにも分けてあげよう……と思ってさ」
「ふーん」
最初は不満気な顔をしていたリナだったが、シンジの言葉を聞くと一転して目を輝かせた。
「ニンニクラーメンチャーシュー抜き」
「私はふかひれチャーシュー。大盛りね」
会話するシンジたちを他所に、ルナとアスカは既に屋台の暖簾をくぐって席に着き、一瞬の躊躇いもなく注文を済ませていた。
「ほら、僕たちも行こう」
「屋台はいいわね。屋台は心を暖めてくれる。リリンの生んだ商業文化の極ね……」
「シンジ様。私、屋台というのは初めてでございます」
ことっ
「へいっ。ふかひれチャーシュー。お待ち」
新世紀エヴァンゲリオンは(株)ガイナックスの作品です。