新世紀エヴァンゲリオン

〜せめて人間らしく〜

第二部

第七章 暗中


ごとんっ

「ふぅ、今日も暑いな……」

 趣味のギターのケースを肩に掛け、たった今購入したばかりの缶コーヒーに口を付けつつ、青葉シゲルはひとりごちた。

ぶーっ

 地味なブザー音はクリーニング終了の合図。

「これじゃあ、毎回のクリーニング代も馬鹿にならないわね」

「せめて、自分でお洗濯できる時間くらい、欲しいですね」

 赤木リツコと伊吹マヤは自分の衣類をクリーニングマシンから取り出しながら愚痴をこぼしあう。

「家に帰れるだけ、まだましっす。マコトのやつなんか、昇進しても全然生活が変わらないって文句たらたらっすよ」

 ブザー音に気付き、コインクリーニング店の中に入ってきたのはシゲルである。彼もまた、クリーニングの終了を待っていたのだ。

「日向君ね……。彼、前からミサトの仕事を押し付けられていたんだから、仕事の量は変わらないはずよ? いえ、むしろ減っているはずだわ」

「あの……先輩? 普通、昇進したら、仕事、増えますよね……」

「その増えるはずの仕事は今までもこなしていたの。それまでの彼本来の仕事が無くなった分、楽になるのが道理というものよ」

 クリーニングを終えたばかりの衣類を入れた紙袋を持った三人は、揃ってリニアの駅へと歩き始める。彼らはNERV本部への出勤途中であった。


『皆様に愛される政治を目指す、高橋覗、高橋覗をよろしくお願いします――


「あら、副司令。おはようございます」

「おはようございます」

 三人がリニアに乗り込むと、目の前の座席には新聞に没頭する冬月コウゾウの姿があった。

「ああ、おはよう」

 リツコは自然に、マヤとシゲルはやや緊張気味にそれぞれ上官に対する朝の挨拶を掛けたが、当のコウゾウは新聞から全く目を離さずに気のない返事を返すだけであった。

 そんなコウゾウの様子を特に気にも留めず、リツコはコウゾウの隣、付かず離れずといった距離に腰を下ろし、世間話を始める。

 リニアの車両には彼ら四人以外の姿は見えず、当然周囲には空席が広がっている。――にも関わらず、マヤとシゲルはリツコを挟んだコウゾウと反対側の空間で、吊革に掴まったままリツコとコウゾウの会話を聞いていた。

「今日はお早いですね」

「六分儀の代わりに上の街だよ」

「ああ、今日は評議会の定例でしたね」

「くだらん仕事だ。六分儀め、昔から雑務はみんな私に押し付けおって……。MAGIがいなかったらお手上げだよ」

「そういえば、市議選が近いですよね。上は」

「市議会は形骸に過ぎんよ。ここの市政は事実上MAGIがやっとるんだからな」

「MAGI? 三台のスーパーコンピュータがですか?」

 その時、マヤがその瞳をキラキラさせながら話に加わった。

「三系統のコンピュータによる多数決だ。きちんと民主主義の基本に則ったシステムだ」

 コウゾウは民主主義というものを多数決というシステム、ただそれだけに矮小化させた詭弁を返した。むろん、彼は自分が口にしたことを信じてはいない。

「議会はその決定に従うだけですか?」

「最も無駄の少ない、効率的な政治だよ」

 最も無駄の少ない効率的な政治、それは独裁。コウゾウの脳裏には、正しくその構図が浮かんでいた。ここ第3新東京市には、MAGIによる事実上の独裁が敷かれていた。

 いくら由緒があり首都圏に近かったとはいえ、第3新東京市の前身となったのは温泉街を中心とした観光地。セカンドインパクトの悲劇をくぐり抜け、逞しく生き続ける地元住人の数も決して少なくはなく、また、名目上そこが次期主都という位置付けであっても、現在の第3新東京市はNERVそのものといっても過言ではない。地方自治体というくくりそのものから外れた街――それが第3新東京市の現実である。

「流石は科学の街。正に、科学万能の時代ですね」

 しかし、マヤは自分の信ずる科学が世界を救っている――そう信じていた。

「古くさいセリフ」


「そういえば、零号機の実験だったかな? そっちは……」

 コウゾウはようやく視線を新聞から外し、リツコに見やりつつ尋ねた。

「ええ、本日1030より第2次稼働延長試験の予定です」

「朗報を期待しとるよ」

「ねぇ、ちょっとあんた」

 惣流アスカ・ツェッペリンは振り返りながら声を発した。

 グランポートマンション――それは碇シンタロウの周到な準備により10年前から、碇シンジたちのために計画されていたマンションであり、山岡家とシンジの同居する部屋はその最上階に位置する。そして惣流親子も第3新東京市での居を同じマンションに構えていた。

「何?」

 アスカに対し、返事を返したのは山岡ルナだった。

 いつもアスカと共に中学校へ登校しているわけではないが、同じ通学路を使う者同士、時を同じくして学校へと向かうこともある。今朝は偶々そんな朝だった。ちなみに山岡カホルは単独行動を取ることが多く、この日も既に一人で登校していた。

「あんたって何でシンクロ率0じゃないの?」

 シンクロ率が0でないということは、ルナがエヴァンゲリオン零号機のコアに宿る魂とシンクロしていることを意味している。

「シンクロしてはいけないの?」

「そういうわけじゃないけど……。誰とシンクロしてるっての?」

 本来のシンクロシステムはパイロットがコアに宿る肉親と交感するものであり、肉親と呼べるものが存在しないはずのルナが高シンクロ率でシンクロする対象を、アスカは思い浮かべることができなかった。

「不思議だね。僕も零号機に乗ったことはあるけど、リツコさんはシンクロ率の話をしてなかったから、その時は0だったと思うよ」

 山岡リナに片腕をロックされて連行されているシンジが話に加わった。

「あそこには……もう一人、私がいるもの」

「えぇぇぇっ? それって私の妹ってこと? ねぇねぇシンちゃーん。私も妹、欲・し・い・な♥」

 のべの人生経験が圧倒的に短いこともあり、彼らの中では常に末妹扱いだったリナが、シンジの耳元に息が掛かるほどに口を近付けて言った。

「はぁ」

 制服姿の男が溜め息を吐きながら、手に持っていたコンピュータのプリントアウトをテーブルの上にぱさりと放り出した。

「おいおい、またそれか?」

「ええと、何々……怪獣図鑑その9か」

「なんだこりゃ、今度は蜘蛛の化け物かよ」

 怪獣図鑑には、黒色の中華鍋のような胴体に、四本の長い足が付いている蜘蛛のような使徒の姿が描かれていた。胴体には四方八方に目玉のような模様も描かれている。

「マトリエルの目にも涙――どろーり涙は恋の味?」

「恋の味って何だ?」

「甘くて酸っぱくて苦いんだよ」

「涙は不気味だけど、実はボーナスステージ!? 鉄砲でも倒せるぜ」

「鉄砲……ねぇ。どんな鉄砲だよ」

 自衛官である彼らは、勤務地が違ったため直接の顔見知りは少なかったとはいえ、自分たちの多くの仲間の生命が第3の使徒との戦いで無惨に散っていったことを知っている。同時に、自分たちの持つ火力がまるで通用しないという使徒の脅威についても知らされている。

「あれ?」

 その時初めて、先程まで溜め息をついていた男がいつの間にか休憩所を後にしていることに同僚の一人が気付いた。

「あぁ、あいつ……最初の戦いで恋人をな……」

 溜め息の理由を知る男が、声を落して語る。

びーっ、びーっ、びーっ……

 警報音が断続的に鳴り響き、モニタには非常事態、EMERGENCYを繰り返し告げる赤い表示。それは、午前中から何度も目の前で再現されたものと全く同じ現象であった。

「実験中断。回路を切って」

 その日、午前中から第2次稼働延長試験を行っていたリツコは、本日何度目になるかも忘れてしまう程に繰り返した同じ指示を冷静に下す。

ぶぅん

 リツコの指示を受けた作業員の手により、様々な機器が運転を停止する鈍い音と共に、実験場の照明が落ちた。

「回路、切り替え」

「電源回復します」

ばっしゅうぃぃぃ

 マヤが操作内容を口に出しつつ定められた手続きを進めると、オペレータからの報告通りに照明が戻った。同時に、停止させられていた機器も息を吹返し、実験場は再び喧騒に包まれる。


「問題は、やはりここね」

「はい。変換効率が理論値より0.008も低いのが気になります」

 リツコとマヤは実験場の電源が回復した直後から、行っていた実験の経過を確認し、それに関して議論していた。

「ギリギリ計測誤差の範囲内ですが、どうしますか?」

 途中で別の作業員からの質問が飛んだ。

「もう一度同じ設定で、相互変換を0.01だけ下げてやってみましょう」

「了解」

「では、再起動実験、始めるわよ」

 実験を取り仕切るリツコの視線の先には、ルナの希望により装甲をオレンジ色から青色に塗り替えられたエヴァンゲリオン零号機の姿があった。それはフォースチルドレンとしてルナが受け取る報酬を減額することと引き替えに、聞き入れた要望だった。


 数刻の後、実験はやはり繰り返されていたが、突然マヤが実験場の電源が落ちたことを報告した。

「主電源ストップ。電圧0です」

「あ、私じゃないわよ」

 ほぼ完全な暗闇と言って良い実験場の中でも、リツコは自らに視線が集中するのをひしひしと感じていた。


「とにかく発令所へ急ぎましょう。7分経っても復旧しないなんて……」

 リツコとマヤは、実験場の男性作業員が必死の思いを込めて自らの肉体を使ってこじ開けた扉を、男たちの屍を乗り越えつつ、涼しい顔で通り抜ける。

 リツコの手には懐中電灯が握られていた。


「タラップなんて、前時代的な飾りだと思っていたけど、まさか使うことになるとはねぇ」

「備え有れば憂い無しですよ」

 下層に位置する実験場から発令所へ到達する道程の最後にはタラップが待っていた。

 第1発令所もほぼ完全に灯火を失っていた。

「ダメです。予備回線繋がりません」

 シゲルの報告が事態の深刻さを強調していた。

「馬鹿な! 生き残っている回線は?」

「全部で1.2%。2567番からの旧回線だけです」

 目の前の現実を認めきれないでいるコウゾウが怒鳴り声で確認すると、女子職員の一人が下のフロアから声を張り上げて報告した。

「生き残っている電源は全て、MAGIとセントラルドグマの維持に廻せ」

「全館の生命維持に、支障が生じますが……」

「構わん。最優先だ」

 コウゾウはシゲルの上申を無視し、電力使用の優先順位を指示した。

「あれ? 信号が消えてる」

「停電ね」

「こんなところだけは、ほんっと変わらないのね」

「結局、大規模な組織的犯行ってことだからね。同じような経緯で、同じような人間たちが、同じような計画を立てると、スケジュールも同じように決定されるって事だね」

 中学校のその日の授業を終えたチルドレンは、NERVへと向かっていた。それは日常通りの光景のはずであったが、彼らにとっては違っていた――第9使徒の襲来予定日。

「碇君。今日……」

「そうだね」

「バカシンジハーレムに、また一人ってわけ?」

っちーん

「おーい、ちょいと待ってくれー」

 目の前で扉を開いたエレベータに乗り込むべく声を掛けながら走り寄る男があった。

 しかし、その時エレベータの中にいた葛城ミサトは男が加持リョウジであることに気付くと、表情も変えず、無言のまま扉を閉めるボタンに手を掛け、躊躇無く押し込んだ。

「ちっ」

 閉まり際のエレベータの扉に、リョウジの手が掛かるのを見たミサトは大袈裟に舌打ちして見せる。

「へぇぇ、走った、走った。こんちまた、ご機嫌斜めだね」

 自らの腰を拳で軽く叩きながら軽口を叩くリョウジに向かい、ミサトは言い放った。

「来た早々、あんたの顔見たからよ」

ふぅっ

 それまで順調に二人を運んでいたエレベータのボックスが突然止った。

「あら?」

「停電か?」

「まっさか、有り得ないわ」

 照明すらも落ち、ボックス内に非常用のランプが灯ると、ようやくミサトは確かに何かが起こっていることを認めた。

「変ね、事故かしら」

「赤木が実験でもミスったのか?」

「あ、私じゃないわよ」

 その時、二人の脳裏には共通の友人であるリツコが狼狽える様子が浮かんだ。

「どうだろう……」

「でも、ま、直ぐに予備電源に切り替わるわよ」


 エレベータに閉じ込められてから早五分。それはミサトとリョウジに事態の深刻さを伝えるのに充分な時間だった。

「ダメだわ。非常電話も繋がらない。ただ事じゃないわ」

「ここの電源は?」

「正、副、予備の三系統。それが同時に落ちるなんて考えられないわ」

――となると……」

「やはりブレーカーは落ちたというより、落されたと考えるべきだな」

 六分儀ゲンドウは薄暗闇となった司令指揮所の自分の席に着き、事態を冷静に分析している。

「原因はどうであれ、こんな時に使徒が現れたら大変だよ」

 コウゾウは手に持ったオイルライターで非常用の蝋燭に火を灯す作業を続けながら相槌を打った。


「ダメです。77号線も繋がりません」

 司令指揮所から一段下りたフロア、第1発令所にはシゲルの報告が響いていた。

「こんな時に使徒が来たら……」

 発令所に詰めていた日向マコト作戦課長の不安の声に、報告を終えて一息吐いているシゲルが答えた。

「気付かない内にどかんってことさ」


 発令所にもそこかしこに火を付けた蝋燭が設置され、辺りはボンヤリと照らされている。

「まずいわね。空気も淀んできたわ。はぁ、これが近代科学の粋をこらした施設とは……」

「でも、流石は司令と副司令。この暑さにも動じませんね」

 うちわで扇ぐリツコの言葉にそう返しながら、自らも忙しくうちわで扇ぐマヤは上層を見上げた。


「温いな」

「ああ」

 ゲンドウとコウゾウが水をはった防火バケツに足を突っ込んで涼をとっていることには、誰一人として気付いていなかった。


「このジオフロントは、外部から隔離されても、自給自足できるコロニーとして作られた。その全ての電源が落ちるという状況は、理論上有り得ない」

 タラップを上がり、指示を受けに来ていたリツコに対し、コウゾウは持論を披露した。

「誰かが故意にやったということですね」

「恐らくその目的は、ここの調査だな」

 ゲンドウも自らの推測を述べた。

「復旧ルートから本部の構造を推測するわけですね」

「しゃくなやつらだ」

 リツコの判断内容に同調したコウゾウは悪態を吐いていたが、それを聞き流したリツコは自らの取るべき手段を述べた。

「MAGIにダミープログラムを走らせます。全体の把握は、困難になると思いますから」

「頼む」

 ゲンドウの言葉に「はい」と答えると、リツコは再びタラップを下りていった。

「本部初の被害が、使徒ではなく同じ人間にやられたものとは……。やりきれんな」

「所詮、人間の敵は人間だよ」

 再び二人きりになった司令指揮所ではコウゾウとゲンドウが愚痴とも諦念ともとれる言葉を交わしていた。

びーっ、びーっ、びーっ……

 戦略自衛隊府中総括総隊司令部に突然の警報が鳴り響く。

 その直後、モニタには進路予想図と書かれた地図が現れ、オペレータの声が響いた。

『索敵レーダーに正体不明の反応在り。予想上陸地点は、旧熱海方面』

「恐らく、9番目の奴だ」

「ああ、使徒だろう」

「どうします?」

「一応、警報シフトにしておけ。決まりだからな」

「どうせ、また奴の目的地は第3新東京市だ」

「そうだな。ま、俺たちがすることは何もないさ」

 その時、司令部の将校たちは自らの無力感を味わいつつも、緊張感のない会話を続けていた。


『使徒、上陸しました。依然、侵攻中』

 司令部に新たな報告が届くと、モニタには四本の足だけを海上に見せつつ、歩き続けていた使徒が上陸する瞬間の映像が映っていた。

「第3新東京市は?」

『沈黙を守っています』

 ある将校の確認の声に対する返答は異常なものであり、それを聞いた別の将校は悪態を吐いた。

「いったいNERVの連中は何をやっとるんだ……」

がちゃっ

 暫くの後、受話器を置いた将校は、またしても悪態を吐いた。

「統幕会議め、こんな時だけ現場に頼りよって」

「政府は何と言ってる?」

「ふっ、第2東京の連中か? 逃げ支度だそうだ」

 軽口を叩き合う将校たちの目前に広がるモニタには地面に足を突き立てながら、歩き続ける使徒の姿が映っている。

『使徒は依然健在。侵攻中』

「とにかく、NERVの連中と連絡を取るんだ」

 その時、沈黙を守っていた現場の最高責任者が声を発した。

「しかし、どうやって?」

「直接行くんだよ!」

『こちらは第3管区航空自衛隊です。ただいま正体不明の物体が当地へ侵攻しています。住民の皆様は速やかに付近のシェルターへご避難下さい』

 第3新東京市上空を舞うセスナは、緊急事態を告げる放送を繰り返していた。


 住人の避難は既にほとんど完了しており、街には人影が見えない。

『こういった非常時にも動じない、高橋覗、高橋覗をよろしくお願いします――

 しかし、無人の街を選挙カーだけは相変わらずに走り回っていた。

「待てーっ! 使徒ーっ!」

 その時、使徒が旧熱海を目指し侵攻しつつあることを知ったある男が、自衛隊の装備品である九十七式軽装甲車に乗り込み、使徒を目指して爆走していた。

「おのれ使徒のやつめ……」

「お前のせいであいつは……」

「畜生……畜生……畜生……」

 一人ぶつぶつと呪詛を呟きながら特殊車両の傍で何やら作業をする男の姿を、周囲の自衛官たちは遠巻きに見ていることしか出来なかった。

 男は怪獣図鑑を見て溜め息を吐いていた、正にその男だった。

 自衛官たちとて自らの職責を理解しているからには、その男の身勝手が許されない所業であることを完全に認識していた。しかし、自衛官の間にも広まる使徒への怨嗟やNERVへの不信感、そしてその男の恋人が亡くなった事情を慮る周囲の空気がない交ぜになった結果、男の勝手は見て見ぬ振りをされることになった。

 男は自らが赴任していた新横須賀基地を、使徒発見の報が伝わった直後に飛び出してきたのだった。

 彼は日の丸に特攻と書かれた鉢巻を頭に絞め、白いつなぎで身を包み、その足には地下足袋があった。その格好は、セカンドインパクトを境に完全に絶滅したと言われる前世紀の暴走族の姿、いわゆる特攻服そのものだった。

「いつもなら2分で来れるのにね」

「ま、それでも前の時よりはましってもんよ」

 シンジたちは予想通りNERVのゲートも働いていないことに気付くと、彼らを遠巻きに護衛兼観察していた保安部員を呼びつけた。

 保安部員には非常時の対策が正しく伝わっており、チルドレンは彼らの先導により発令所へと案内された。

 シンジたちは知らなかったことだが、これは、本部が停電したときの対策が練られていないことを惣流キョウコ・ツェッペリンがそれとなくミサトに伝えた結果だった。

 おかげでチルドレンは、普段とは違い全て徒歩だったために余分な時間と体力を使わされたとはいえ、無事に発令所へと到着した。ちなみに、ゲートからの移動に掛かった時間は、前回はおよそ三時間、今回はおよそ一時間という違いがあった。

「エヴァの準備はまだみたいだね」

「そう言えば、前の時は日向さんが選挙カーで……って、日向さんあそこにいるじゃない」

「問題ない……の?」

「突然エヴァの準備をしろといってもね……。根拠がないよ」

「現在、使徒接近の模様」

 発令所に使徒接近の報告が伝わったのは、チルドレンが到着してからたっぷり二時間の後だった。

 チルドレンを案内した保安部員は、施設の非常通路を放置するわけにはいかないと地上に残してきた別の保安部員を応援するために、本部に詰めていた残りの保安部員を引き連れて地上に戻っている。

 彼らが地上に戻ってみると、上空には非常事態を伝える戦略自衛隊のセスナ。

 地上に残っていた保安部員は、新たに到着した増援と入れ替わりに、本部へと緊急事態を伝える役割を負うことになった。

「大変!」

「言わんこっちゃない!」


「冬月、後を頼む」

「六分儀……」

「私はケージで、エヴァの発進準備を進める」

 使徒接近の報告を受けたゲンドウの動きは素早く、コウゾウに後を託すと同時にタラップを下り始めた。

「まさか、手動でか?」

「緊急用のディーゼルがある」

「パイロットが到着しているのはもっけの幸だったな……」

「見ーつーけーたーぞー!」

 特攻服に身を包んだ男の運転する装甲車が、遂に使徒の姿を捉えた。件の装甲車は既に舗装道路を外れ、使徒が無頓着に歩いている荒れ地を突き進んでいた。

「俺はー、お前をー、ぜーってぇー、許さねぇー、からなー」

 男は相手が言葉を理解するかどうか、いやそもそも自らの言葉が相手に届くかどうかにすら頓着せず、自らの覚悟を声に出しつつ、装甲車を使徒の胴体の真下に着ける。

ばばばばばばっ

 男は使徒の真下から装備品の機関銃を使徒目掛けて撃ち放った。

「わはは、やっぱ、こんな鉄砲、効くわけないよな!」

 使徒は男の攻撃など気にも留めず、その歩みを進めていた。

 一方、男は怪獣図鑑を信じたことを悔やむでもなく、事実を淡々と認めた。男の目には狂気が宿っていた。

「わかってるって! これからが俺の本気だ!」

 男は手元に、急拵えのスイッチのようなものを取り出し、躊躇無く押し込んだ。

 その瞬間、使徒は自分の腹の下に剣呑なモノを感じたのか、歩みを止めた。

 使徒の進行が止まったことに気付いた男も、それに合わせて車を止めた。

「行くぜ!」

 男の声に反応したというわけでもないだろうが、使徒は自らの腹に付いた目玉模様の部位から、男の車を目掛けて液体を溢し始める。

 その直後――

「とおるちゃーん。今度ぉー、生まれぇー、変わったらぁー、絶対にぃー、一緒にぃー、なろうねぇー」

どっぐぉーーーーーーん

 男が叫ぶのと同時に辺りは激しい爆発と、それに伴う高熱に包まれた。それは男の押した起爆スイッチにより作動したN地雷が臨界に達した瞬間だった。この地雷は本来であれば、第3の使徒襲来の際に使われる予定だった代物である。

「うぅっせぇっ、うぅっせぇっ、うぅっせぇっ、うぅっせぇっ……」

 ケージには、必死の形相でロープを引っ張る男性作業員たちの姿があった。

「了解。停止信号プラグ排出終了」

「よし、三機ともエントリープラグ挿入準備」

 現場の作業員の一人の報告に、ゲンドウは新たな指示を出した。

「しかし、未だにパイロットが……」

「大丈夫。あの子たちは今着替えているわ」

 現場には伝わっていなかったパイロット到着の情報をリツコが伝えた。

「うぅっせぇっ、うぅっせぇっ、うぅっせぇっ、うぅっせぇっ……」

 再び、ケージには、必死の形相でロープを引っ張る男性作業員たちの掛け声が響いている。

「プラグ、固定準備完了」

 双眼鏡で作業の様子を確認したマヤがそれを伝えると、リツコが言った。

「後はあの子たちね」


 そして、プラグスーツに着替えたチルドレン三人がケージに到着した。

「各機、エントリー準備」

「了解。手動でハッチ開け」

 エヴァンゲリオン初号機のエントリープラグ挿入の現場でチルドレンの到着を察知したゲンドウが出した指示は、即座に伝えられた。


「エヴァは?」

 ケージに到着したシンジはリツコに尋ねた。

「スタンバイできてるわよ」

「人の手で?」

「司令のアイデアよ」

 リツコの見上げる先には、再び作業員たちと共にロープを引っ張るゲンドウの姿があった。


「発進はまだなのっ?」

「バッテリーでしか動けないエヴァを、今出すわけには行かないわ」

 苛立ちを隠さないアスカに答えたのはリツコだった。使徒接近の報告以来、地上との連絡は密に取られるようになったが、未だ第3新東京市への使徒侵入の報告は届いていない。そのため、今出撃しても、S機関を持つエヴァンゲリオン初号機以外では、使徒襲来以前に活動限界に達する可能性が高かった。

『こちらは第3管区航空自衛隊です。先程出されました緊急事態宣言は解除されました。繰り返します――

 地上では、上空を舞うセスナが緊急事態が去ったことを第3新東京市全体に伝えていた。

「残念だったね」

「ええ」

 結局その日、エヴァンゲリオンの出撃はなかった。そのため、停電に紛れて零号機に宿る魂に肉体を与えて救出するというシンジたちの作戦も実行されなかった。いくら周囲が停電している状況下であっても、ケージでそのような怪しい行動を取るわけにはいかない。

「しっかしまた、あいつってほんとに弱っちかったのね」

 エヴァンゲリオンと戦った全ての使徒の内、パレットライフルのみで倒されたのはこの第9の使徒マトリエルのみであった。

 シンジたちのこれまでの経験では、彼の使徒は常に停電中の第3新東京市に侵攻してきており、いずれの場合でも、使徒が縦穴に溶解液をたらしているところを下からパレットライフルで一斉射することで殲滅してきた。

 常に停電中に襲来してきていた結果、侵攻中の使徒に関する情報は碇のMAGIにも碌に残っておらず、エヴァンゲリオンが下からの攻撃以外で相対することになった場合の敵戦力は完全に未知数であった。

 そのためシンジたちが、この使徒に対してやや不安を持っていたことは事実である。

「N地雷で使徒殲滅か……」

「爆心地周辺に民家がなかったことは幸と言えるが……」

「いかんよ。これではシビリアンコントロールが全くなっとらんことになる」

 戦略自衛隊の府中総括総隊司令部では、先程の将校たちが善後策を協議していた。

 言葉の上では深刻なやり取りを交わしているが、その顔の喜色は隠せなかった。

 一部隊員の暴走の結果とはいえ、これまで対使徒戦で全く存在感を出せなかった戦略自衛隊の力により使徒を殲滅した実績が、その日、間違いなくできた。それが一人の自衛官の決死の自爆攻撃の結果であろうとも……。

「まったくけしからんな」

「一部自衛官の暴走を許すなど……」

「関係者への処罰は免れませんな」

「うむ、彼の基地の隊員どもには、自衛官の在り方というものを叩き込み直す必要がある」

「関係者一同、再教育の必要ありですな」

「彼の男の暴走を許した関係者には一ヶ月間の沖縄での再教育訓練を命ずる。今回、特に精神面での再教育が必要と認められるため、肉体的な訓練は最低限とし、精神修養に重点をおいたメニューを組みたまえ」

 それが実質的に司令部の総責任者が下した処罰の全てであった。

 自爆攻撃を掛けた当人は、基地を抜け出した時点に遡って懲戒免職。通常の殉職者に与えられる二階級特進も与えられなかった。それが本人への処罰の全てだった。セカンドインパクトの結果として男には親類縁者は存在していなかったため、当人の名誉という観点を除くと実質的な処罰は無かったと言って良い。


「特別休暇きたぁー」

「訓練、訓練」

「ありがとう。とおるちゃんとひろしちゃん」

「過酷な訓練だが家族を連れていけるのはありがたいな」

 処分を伝えられた関係者の頬も緩んでいた。セカンドインパクト、そして度重なる使徒の襲来という時代を生き抜く彼らは、やはり逞しかった。

「ところで、とおるちゃんとひろしちゃんって暴走族だったの?」

「ありゃコスプレ」

to be continued...



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