「ハロー、シンジ! グーテンモーゲン」
「グ、グーテンモーゲン」
先日の来日の翌日、此処第3新東京市立第壱中学校へと転入していた惣流アスカ・ツェッペリンは、その朝、校門を抜けたところで山岡三姉妹と共に登校中の碇シンジを見つけ、声を掛けた。
「まぁた、朝から辛気くさい顔して。このあたしが声掛けてんのよ。ちったぁ嬉しそうな顔しなさいよ」
「仕方ないだろう? あぁ、今日は朝日が黄色いや……」
シンジにデコピンしながら話しかけるアスカに対し、一方のシンジは目も向けずに気の抜けたような言葉を吐いた。
「そうよ。昨日はシンちゃんお疲れだったんだから♥」
「昨日は……激しかったの」
シンジの左右の腕は山岡リナと山岡ルナにより厳重に掴まえられていた。
「シンジ君はとても情熱的なのよ」
その後ろから声を掛けるのは山岡カホルだった。
「えぇぇぇぇっ! エッチ、痴漢、変態、信じらんない」
ぱしっ
直後、シンジの左頬に綺麗な紅葉が描かれた。
同じ頃、校舎の影では相田ケンスケと鈴原トウジが店を広げていた。
「あーあ、猫も杓子も、アスカ、アスカ……か」
「みんな平和なもんや……」
「毎度あり─」
ケンスケとトウジが他愛のない話をしている最中も、彼らが広げるケンスケ撮影による生写真は飛ぶように売れていた。
「あれ見てみろよ、トウジ」
その時ケンスケが指さした先には、校門の傍でじゃれあっているシンジたちが見えた。
「ほんま、エヴァのパイロットって、変わりもんが選ばれるんちゃうか? 山岡はんらだけやのうて、惣流までかいな……」
赤木リツコは自分の研究室で、先日太平洋上で行われたエヴァンゲリオン弐号機による対第6使徒戦の記録を解析していた。モニタ上には使徒の戦力を多角的に分析したデータが表示されている。
「少し痩せたかな?」
「そう?」
ぴしゃっ
その時、一人の侵入者が後ろからそっとリツコを抱きかかえようと静かに伸ばした二本の腕は、リツコの反撃を喰らい撃墜された。
「悲しい恋をしてるからだ」
「どうして……そんなことになるの?」
「そりゃね、涙の通り道にほくろのある人は、一生泣き続ける運命にあるからだよ」
腕を撃墜された男は、流れるような動作で机の端に体重を掛け、何事もなかったような態度で、今度はリツコの左目の下から涙の通り道を示すように指を動かす。
「これから口説くつもり? でもダメよ。こわーいお姉さんが見ているわ」
研究室を覗く窓には、眉間に皺を寄せ、眉を吊り上げて睨み付ける葛城ミサトの姿が張り付いていた。保安部へと異動されて以来、ミサトは以前にも増して頻繁にリツコの部屋を訪れている。
それまで男の芝居に付き合っていたリツコは、これ幸と芝居を打ちきった。
同時に、男はそれまで落していた腰を戻すと、気さくな態度を装った。
「お久しぶり、加持君」
「やぁ、暫く」
先ほどまで芝居がかった雰囲気でリツコを口説こうとしていた男は、片手を上げ軽く答えた。黒い髪を無造作に後ろで束ね、顎には不精髭の残るその男の名は加持リョウジという。
「しかし加持君も、意外と迂濶ね」
先ほどまで窓の外から中の様子を窺っていたミサトは、部屋の中に入るとリョウジを睨みながら言い放った。
「こいつの馬鹿は、相変わらずなのよぉ。あんた弐号機の引き渡し済んだんなら、さっさと帰りなさいよ!」
「今朝、出向の辞令が届いてね。ここに居続けだよ。また三人で連るめるな。昔みたいに……」
そして、リョウジは昔を懐かしむかのような無邪気な笑顔を女性陣に見せた。
「誰があんたなんかと――」
リョウジの言葉に反応し、ミサトが何か言ってやろうと身構えた瞬間――
ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ……
断続的な警報音と共に、壁のスクリーンは一面、EMERGENCYの赤文字で埋め尽くされる。
「敵襲?」
「警戒中の巡洋艦『はるな』より入電。『我、紀伊半島沖にて巨大な移動物体発見。データを送る』」
警報音が鳴り響く中、NERV本部第1発令所内に報告が届くと、オペレータが端末を操作し、データを解析した。
「受信データを照合。波長パターン青。使徒と確認」
件の目標が新たな使徒であることが確認されると、その時の発令所における最高位指揮官である冬月コウゾウが命令を下した。
「総員、第1種戦闘配置」
シンジとアスカ、そしてルナは学校で非常招集のメッセージを受け取ると、程なくしてNERVから廻された車に同乗し、NERV本部へと到着した。彼らを迎えに出たのはミサトだった。
本部へ向かう道すがら、第3新東京市の中心部のビル街に視線をやると、そこには未だ第5の使徒ラミエルの残骸が取り残されたままとなっている。
「ルノーじゃなくて本当に良かった」
「いやあねぇ、私のアルピーヌちゃんだったら、もっと早く着けたのに」
心の底から湧き出る安堵の気持を隠さないシンジに対し、ミサトは好き勝手なことを言っている。
一旦は辞意を固め、辞表まで提出したミサトだったが、いざNERVに残ることになってみると、やはり自分が使徒への復讐に未練を残していることに気付いた。頻繁にリツコの研究室を訪れることや非常招集時にチルドレンを自ら迎えに出ることなどは、その気持の表れだった。
戦場が第3新東京市の外に設定されたため、日頃第1発令所に詰めている職員は移動指揮所となるVTOLに乗り込んでおり、三体のエヴァンゲリオンはそれぞれ空中輸送機によって運ばれていた。
「先の戦闘によって第3新東京市の迎撃システムは大きなダメージを受け、現在までの復旧率は26%。実戦における稼働率は0と行って良い状況なんだ。したがって今回は上陸直前の目標を水際で叩いて貰う。幸、シンジ君だけでなく、アスカちゃんとルナちゃんも加えた三人でエヴァも三機投入できる。初号機ならびに弐号機は交互に目標に対して波状攻撃、近接戦闘を試みてくれ。零号機は後ろからパレットライフルで援護射撃をお願いする」
通信で作戦行動を指示するのは、これが作戦指揮官としての初陣となる日向マコトだった。
『了解』
マコトの指示に対し口を揃えて返事をした三人のパイロットの様子を見たマコトは、パイロットたちが落ち着いていることを安心したように言葉を続けた。
「特にルナちゃんは今回が初陣だ。無理をしないようにね。大丈夫、みんなでサポートするから落ち着いて」
『了解』
久しぶりの実戦とはいえ実はベテランパイロットのルナなので、やはり返事は落ち着いている。逆に、先の戦闘でパイロットを目の前で一人失った経験を持つ職員たちの方が心中の不安を隠せないほどであった。
「エヴァ三機、投下!」
マコトの指示に合わせてエヴァンゲリオンは弐号機、初号機、零号機の順に空中輸送機から投下された。
投下された三体のエヴァンゲリオンは無難に着地を決めると、すかさず海岸線に向かって走り出す。海岸付近には、既にアンビリカルケーブルが用意されている。
三体のエヴァンゲリオンは、それぞれアンビリカルケーブルを接続すると海岸に立ち、遠く海上を見つめた。
零号機と初号機はパレットライフルを、弐号機はソニックグレイブと呼ばれるエヴァサイズの薙刀をその手に装備していた。
『来た!』
その時、使徒の襲来に気付いたシンジが声を発した。
ばしゅう
突然、海上に激しい水煙が上がると、そこには首無しではあるが人型と言っても過言ではない使徒が姿を現した。水煙に隠されているため、全身は灰色に見える。そして、胸の部分には陰陽図様の顔らしきものがあった。肩にも腕にも関節らしきものは見えず、指先に向かって絞り込まれているようなフォルムを持つその異様に長い腕は、重力に負けてしなっているようにも見える。左右の腕の先にはそれぞれ三本ずつの爪があった。
「攻撃開始」
マコトの指示により、エヴァンゲリオンによる攻撃は開始された。
『じゃ、あたしから行くわ。援護してね』
勢い良く飛び出したのはアスカの弐号機だった。
『了解』
シンジとルナは一糸乱れぬ呼吸でそれに答えると、弐号機を射線から外し、左右から使徒に向けてパレットライフルの射撃を始めた。
一方使徒はと言えば、先ほどまで先端が下に垂れ下がっていた両腕を左右に大きく広げその先は反り返るように上を向いている。それは、使徒の巨体が更に大きく見えるような余裕を見せ付ける構えである。その影は胴の太いT字のようでもあった。
『行ける!』
アスカはそう一言発すると、ソニックグレイブを手に弐号機を走らせた。弐号機は足下に点在する建築物を何の躊躇もなく踏み潰しながら海岸を走り抜け、使徒との間合いを詰め、そして、上段からソニックグレイブを一閃――
斬
使徒は綺麗に左右に断ち切られた。使徒の断面には紫色の体組織が見えている。
「お見事」
直後、移動指揮所から安堵と驚嘆混じりの声が掛かった。
しかし、使徒の正体を知っているシンジとルナは、当然まだ気を抜いてはいなかった。
『どぉ? サードチルドレン。戦いは常に、無駄なく、美しくよ!』
一方、同じく使徒の正体を知っているはずのアスカと弐号機は、いつか聞いたようなセリフを吐きながら使徒に背を向け、零号機と初号機の方を向いた。もちろん彼女とて、気を抜いているわけではなかった。
その直後、使徒はぴくぴくと蠢き始めた。
水煙から抜け、全身が見えるようになった使徒の胴体は深緑色で、肩から腕にかけた部分と下半身は白色に近い灰色だった。
元は陰陽図様であった顔らしきものは二つに分かたれた後、それぞれが正三角形を形作るように穿たれた三つ穴を持つ円形のものに変化していた。同時に、左右に分かたれた使徒の肉体がそれぞれ、元の形と同じような人型の肉体に変化すると、それらは完全に分離独立した二体の使徒と化していた。
二体の使徒は、いずれも深緑色の胴体を持っていた。肩から腕にかけてと下半身の色だけは二体で異なっており、一方はオレンジ色、もう一方は元の使徒と同様の白色に近い灰色であった。
そして遂に、二体の使徒の胸部に存在するそれぞれのコアが光を取り戻すと、二体の使徒は、直近で自らに背中を見せていた弐号機への攻撃を開始した。
『え? ア、アスカ?』
まさか、アスカが忘れているとは考えていなかったシンジは一瞬狼狽えた。
一方アスカはと言えば、致命傷を受けないように巧みなステップで使徒の攻撃を避けていた。そして――
ぽいっ
使徒二体は片腕ずつで弐号機を掴むと、背中越しに海へ向かって放り投げた。
その直前、初号機のエントリープラグ内のモニタに映るアスカの口は「くうきよみなさいよ」と言っているようにシンジには見えた。
『あぁぁぁれぇぇぇぇ』
海上へと投げ飛ばされる弐号機からは一種芝居がかったアスカの声が聞こえていた。
避難先でノートパソコンに映し出される、エヴァンゲリオンの戦闘の様子を見ていたトウジは言った。
「おいおい、またやられとるで」
「今投げられた赤いのはエヴァンゲリオン弐号機。惣流の機体だよ。大丈夫。まだシンジたちがいるさ」
トウジの言葉に反応したのは、以前、差出人不明の電子メールによって知らされた使徒戦のライブストリーミング映像を、それが自分の手柄であるかのように自慢気に見せびらかしているケンスケだった。
『あっちゃあ……。仕方ない。ルナ行くよ』
シンジは、弐号機が投げ飛ばされるのを見ると、モニタに映るルナに対して声を掛けた。
『ええ』
(碇君とユニゾン……)
言葉少なく返事を返したルナではあったが、その顔はやや上気していた。
『最初から最大戦速で行くよ』
シンジのその言葉にルナは黙って頷き返した。
そして、零号機と初号機の二体が同時にアンビリカルケーブルをパージすると、シンジは号令をかけた。
『スタート』
『たったたったたた、たんたたーん♪』
零号機と初号機は二体に分離した使徒をそれぞれ一体ずつ相対し、パレットライフルを打ち込んだ。通信では、シンジが懐かしいあの曲を口ずさんでいた。
『ぱっぷぁ、ぱっぷぁ、ぱっぷぁ、ぱっぷぁ……♪』
二体のエヴァンゲリオンは同時にパレットライフルの射撃を止めた後、バック転を繰り返しながら使徒との間合いを調整している。
やがて、二体のエヴァンゲリオンは一棟の廃ビルの影に隠れ、使徒の隙を見て左右からそれぞれの目標に対し、再びパレットライフルの射撃を行った。
二体の使徒は射撃を嫌がるかのように同時に浮き上がり、廃ビルごとエヴァンゲリオンを攻撃しようと特攻を仕掛けてきたが、零号機と初号機は左右に別れてそれを避ける。
『たたたたたた、たんたたん、たたた、たんたたーん♪』
その直後、二体のエヴァンゲリオンはそれぞれの目標に対し、パレットライフルの残弾を全て叩き込むかのように連射しながら使徒へと走り寄り、それぞれの目標に対して同時に踵落しを決める。
ダメージを負った使徒が、再び一つに戻ろうかという動きを見せると、それを確認したシンジとルナは、同時にそれぞれのエヴァンゲリオンを上空高くへとジャンプさせる。
『たららららら、らんたらん、たたた、らんたらーん♪』
二体のエヴァンゲリオンが上空へと上り詰めたのも同時だった。そして、自由落下に移る二体のエヴァンゲリオンは錐揉み状になりながらも、それぞれの目標を目掛けて足を伸ばした。
数秒の後、一体に戻りつつある使徒の二つのコアに対し、上空から落ちてきたエヴァンゲリオン二体の飛び蹴りがそれぞれに同時に直撃した。二つのコアに掛けられ続ける加重は、地面を削りながら使徒を海上へと押し出し、その結果、使徒は海辺のぬかるみに捕まり身動きが取れなくなる。そして――
ぴきぴきぴきっ……ずぶっ
遂に使徒のコアは受ける加重に耐えかねて砕け散り、次いで二体のエヴァの足は使徒の元々はコアのあった位置を踏み抜いた。
初号機は零号機をその両腕でしっかと抱き止め、更にATフィールドを展開すると自らと零号機を来るべき使徒の爆発から守ろうとした。それは、初号機が以前獲得したS2機関により、最大戦速での戦闘後でさえも自らの動力を失うことがないということをシンジが理解しているからこその動きだった。
しかし――使徒は爆発しなかった。ただそこには、最後の衝撃が起こした水煙だけが上がっていた。後には、使徒を踏み抜いたままその力を失い、腰を下ろした零号機と、その背中を守るように、片膝を立てた格好で後ろから零号機を抱きしめる初号機の姿があった。そして、遠い沖合には両足だけを海上に突き出した弐号機の姿も確認できた。
弐号機が使徒を真っ二つに切り裂いた瞬間に勝利を確信し、気を抜いてしまった移動指揮所の職員たちは、使徒の分裂と弐号機の敗退、そして、その直後から目の前で繰り広げられた、零号機と初号機によるおよそ1分足らずの見事な連携攻撃とそれに続く沈黙に完全に言葉を失っていた。
「パターン青、消滅。使徒殲滅を確認」
何とか気を取り直したオペレータがその報告をするまでに、たっぷり1分の時間が掛かった。
(あぁぁぁぁ、格好悪ーい)
自分の予定と違い、海中に頭を突っ込んだ情けない格好で動力を失った弐号機だったが、アスカはまったくめげていなかった。エントリープラグの中で、アスカは妄想を繰り広げていた。
(シンジとユニゾン……)
前回の経験でのユニゾンの訓練は、感情的に最悪と言って良いシンジとの出会いと共同生活の開始時期の出来事だったが、後から思い起こせば、それはアスカにとり数少ない良い思い出でもあった。使徒戦が進むにつれ、そしてシンジの実力が上がるにつれて、自らがシンジに八つ当たりを繰り返すようになり、結果として共同生活を破綻させた自覚はアスカにもあった。
今回の使徒戦ではまだ余裕があるし、何よりも以前のようにエヴァンゲリオンが全てという価値観の人生を送っていないため、アスカはより人生を楽しんでいた。その一環として、アスカはシンジとのユニゾン訓練とそれに伴う共同生活を楽しみにしていた。
実の母、惣流キョウコ・ツェッペリンと共に住む自宅に帰れば、既にお泊まりセットの準備も完了している。
しかし、アスカが弐号機から救出されてみると、使徒は既に零号機と初号機により殲滅されていた。
後から戦闘の状況を記録で見ると、零号機と初号機がいつかの弐号機と初号機と全く違わない動きのユニゾンを見せていた。そして極めつけに、音声にはシンジが口ずさむ「Both of You, Dance Like You Want to Win」。
「空気読みなさいよ、バカシンジ」
「うーん、さっすが私のシンちゃんね♥」
「シンジ君とルナは、このために寝る間を惜しんで練習したんですから」
ケンスケやトウジと同様に、自らのノートパソコンで戦いの様子を見ていたリナとカホルは戦いの結果が必然であったことを説明していたが、その言葉を聞くものは他に誰もいなかった。
新世紀エヴァンゲリオンは(株)ガイナックスの作品です。