新世紀エヴァンゲリオン

〜せめて人間らしく〜

第二部

第三章 別離


 葛城ミサトは、ほんの二時間前、第4の使徒シャムシエル戦直後のデブリーフィングの席で、綾波レイや碇シンジに指摘された内容を反芻し、自己嫌悪に陥っていた。

「リツコ。あたしはやっぱり要らない指揮官なのかな……」

「まったくミサトらしいというか、らしくないというか……。で、何があったの?」

 赤木リツコは自らの研究室を訪ねてきたミサトにコーヒーを注いだマグカップを手渡しながら訊いた。

 ミサトはブリーフィングルームでの出来事をリツコに話して聞かせた。

「それで上官侮辱罪で独房入り? 呆れた。八つ当たりそのものじゃないの」

「あたしもちょーっち熱くなってたからさー」

「シンジ君には訊きたいことが山ほどあるの。ミサト。あなた、私たちが出した今日の使徒戦の分析結果の速報はもう読んだの?」

「まだに決まってるじゃない……」

 口先を尖らせながら小声で返すミサトに対し、リツコは要点を説明した。

「シンジ君。多分ATフィールドを完全に使いこなしてるわ。それに最後の仕上げ……。完璧と言って良い。あれ以上を求めるのは無理だし、あなたが待ちなさいなんて言ってた時に待ってたらどうなってたと思う?」

 ミサトは黙って先を促した。

「あそこで使徒が鞭で攻撃してくる確率はMAGIの判断によると99.9999%。絶対と言って良いわ。待ち構えてなかったら恐らく避けられない。それにATフィールドで鞭の軌道を逸したのもきっと偶然じゃないわ」

「狙い通りってわけ?」

「シンジ君だって零号機の戦いを見てたのよ。あの時だってあなたが綾波レイと爆煙のことで喧嘩している最中に使徒は煙の中から鞭を繰り出してきた。あれはパレットライフルは脅威でないと使徒が理解したからこその攻撃だったのよ。それを見てたんだから、次は鞭が来ると予測するのは当然ね」

「で?」

「一本を逸して、もう一本を掴んだのが狙い通りかどうかは解らないわ。でも、零号機が鞭を掴んで使徒を投げたのはあなたも見てたでしょう? 狙い通りだったと言われても私は驚かないわ」

「そんなの、出来るとは限らないじゃない!」

「掴めなかったら、次の機会を待てば良い。そう考えることもできるわ」

「アンビリカルケーブルを切られたら終りよ。そう何度も試せるものじゃないわ」

「あら、シンジ君はそんなこと知らないわよ? まだ教えてないもの」

 エヴァンゲリオン初号機はシンジの計画通りに、第3の使徒サキエルとの戦いの最中にS機関を取得した。その結果、初号機の生体部分の動作には、もはや電力を供給する必要がない。

 ――とはいえ、LCLの浄化・循環機構やコックピット周辺のモニタや通信機など、純粋に人類の科学の成果のみで構成されているエントリープラグ周辺の電気的、電子的、あるいは機械的な装備の動作には――それがエヴァの生体部分の動作に要求されるものに比べて微々たるものであるとはいえ――依然として電力の供給が必要である。S機関由来の生体エネルギーから電力の供給を得るような機構は現時点で用意されていない。

 現実的には、S機関を持たないエヴァを1分間全力稼働させることができ、生命維持モードであればおよそ半日分の電力が供給できるという従来通りのバッテリーを用いるだけでも、初号機は数時間程度の稼働が見込めるため、それ以上の開発が認められるかどうかは不透明である。

 いずれにせよ、技術部の長としてゲンドウらNERV上層部の意向を受けているリツコは、アンビリカルケーブルが単なる飾りに近いという事実を隠していた。これは「エヴァンゲリオンはケーブルがないと碌に動けないモノである」と周囲に思わせておく方が得策であるという政治的な計算の結果である。

「あたし、やっぱり要らない指揮官なのかな?」

「とにかく、上官侮辱罪はないわ。そもそも戦闘時を除けば、あなたはシンジ君の上官じゃないもの。シンジ君とNERVの契約内容。あなたの所にも書類は行ってるはずよ」

 すっかりしょげたまま部屋を出ていくミサトにリツコは後ろから声を掛けた。

「シンジ君たちを独房から解放する手配は私がしておくわ」

 リツコはミサトが部屋を出ていって直ぐにシンジたちを独房から解放させ、シンジを自分の研究室に呼び出していた。

にゃにゃにゃにゃーん

「シンジ君ね。今、扉を開けるわ。入ってきて」

 来客を告げる猫の鳴き声を模したチャイムに気付くと、リツコはシンジを室内に迎え入れた。

「あ、リツコさん。こんばんは」

「そこに座って」

「あの……。僕は今日帰れるんですか?」

「話が済んだら帰れるわ」

 リツコは今日何杯目になるかわからないコーヒーを自分用と来客用の二つのカップに注ぎながら答えた。

 来客用のカップをシンジの前に置き、自分の椅子に座るとリツコは話を切り出した。

「あなた、ATフィールドを使いこなしてるわね?」

 その時、日頃は掛けていないリツコの眼鏡がキラリと光った。

(やっぱり来たか……)

 それは想定済の質問であったため、シンジは用意してきた答を返した。

「前の戦いのことを考えてたんですよ。あの時、最初の攻撃を防いだATフィールドが何故展開できたのかは解りません。でも、その後は多分、そんな風に守られている、そこにはバリアがある、だから大丈夫なんだって勝手に思い込んでたせいで上手く行ってたんです。その後は結局やられちゃいましたけどね。あはは……」

「あると思えばある……か。興味深いわ」

「この前の戦いで中和しろとか言われた時は、混乱してたせいで多分何も考えてなかったんです。だからやられちゃったって事かな……と。今日は上手く行って良かったです。練習も無しにぶっつけ本番でしたから」

「それは本当に悪かったと思ってるわ。でも、初号機はまた凍結されてるの。暫くは練習できないわね。初号機の凍結解除の権限は私にはないのよ」

「結局、NERVにとって使徒というのはその程度の脅威でしかないってことなんでしょう……」

「でも、おかげで綾波レイにATフィールド展開の訓練をさせることができるわ」

 話を変えたリツコに、シンジは自分の疑問をぶつけた。

「綾波さん。彼女ってどういう娘なんですか? ミサトさんと喧嘩してたせいもあるんだろうけど、言っちゃ悪いけど少し怖かったなぁ」

「凄く賢い娘よ。大抵のことは私よりも知ってるくらい。本当、嫌になるわ」

「リツコさんよりも?」

「それに、とても器用な娘よ。そう……羨ましくなるくらい」

「器用って……何がですか?」

「生きることが……。自分の望みを叶えるためであれば、あらゆるものを利用する。自らの主張したいことは躊躇わずに主張して、それを押し通す。そういう娘よ」

(言われてることがまったく逆じゃないか。どうなってるんだ? 綾波……)

「端から見る限り、あなたのお父さん……いえ、六分儀司令は完全にあの娘のお尻の下に敷かれているわ」

「遅いな……。シンジ君」

 リビングのソファでテレビを見ていたカホルが、玄関の方を振り向きながら呟いた。時刻は既に午後10時を回ろうとしている。

 その時、第3新東京市内の山岡家のリビングでは、ルナ、リナ、カホル、アヤネの四人が雑談をしながらシンジの帰りを待っていた。当初はシンジが帰ってから夕食という予定だったが、戦闘終了後、時間が経ちすぎていることから、帰ってこれないことも覚悟し、諦めて四人だけで済ませていた。

「多分……赤木博士に捕まっているのね」

 彼女たちは非常警報の解除を受けて帰宅した後直ぐに、今日の使徒戦の模様を映像で確認していた。そのため、あまりに簡単に使徒を倒したシンジが、リツコの質問攻めに合うだろう事はルナにとり自明のことだった。

 残りの三人はリツコのことを、赤木ナオコの娘でNERVの技術部長であるということ以外にはほとんど何も知らない。

「シンちゃん格好良かったよね♥」

「そんなことより、思ったほど広まってないのね、ストリーミング」

「相田君くらいなら既に知ってそうなものなのに」

「直接教えちゃおうよ! 次はライブで見るのだ!」

がちゃっ

「おかえりなさい」「おかえりなさい」「おかえりなさいませ」

「おかえり、シンちゃん。格好良かったよ♥」

 部屋に帰ってきたシンジに向かい、ルナ、カホル、アヤネが単純に言葉を掛ける中、フットワーク軽く飛び付いたのは、やはりリナだった。

「ただいま。いやぁ、今日は酷い目にあったよ」


 シンジは部屋着に着替えると食堂のテーブルに着き、ようやく遅すぎる夕食にありついた。他の四人も同じテーブルに着いてシンジの話を待っている。

――というわけなんだよ」

 シンジは独房に入れられた顛末を語り終えたのは食事も終了し、アヤネがお茶を淹れた頃だった。

「そう、葛城一尉と喧嘩をしたの……」

「いや、喧嘩してたのはむしろ綾波だよ。綾波……全然イメージ違うよ」

「何を言うのよ」

 ルナは何故か頬を赤らめ、俯いた。

「今日で、もう三日や」

 その日の放課後、鈴原トウジは親友である相田ケンスケの家を訪れていた。

「何が? ……ああ、俺たちがこってり絞られてからか」

「違わい。いいんちょの監視が厳しくなってからや。何で、いいんちょはわしばっか目の敵にするんや」

(こいつは……委員長も大変だな)

 ケンスケはトウジの言葉を呆れ顔で見ていた。

「そんなことより、これだよ、これ! これを見てくれよ」

 自室のパソコンに向かい、何やら操作をしていたケンスケがとある画面を呼び出すとトウジに声を掛けた。

「何や、これ。この前の戦いやないか」

 ケンスケが呼び出した画面には、先日の使徒とエヴァンゲリオンの戦いの様子が動画で表示されていた。


 昨夜ケンスケがいつものように自分のパソコンでメールを確認すると、差出人不明のメールが届いていた。通常であれば、迷惑メールとして即座に削除するところなのだが、彼は付けられたタイトルに目を惹かれた――第3新東京市を襲う怪獣の秘密。

 メールには、シンジたちが撒き散らしている例の怪文書や使徒戦のストリーミング映像のありかであるアンダーグラウンドの匿名ネットが紹介されていた。

 もちろん、このメール自体がシンジたちの差し金で送りつけられたものである。


「あーあ。こいつをもっと早く知ってたらなあ……」

「何や?」

「この前、外に出てパパに怒られるなんて事もなかったってことだよ」

「何ゆうとるんや。そんなん知ってたかて、お前、きっと外出てたで……。どうせ『現場におるのに生で見いひん。そんなん男の風上にも置けへんで』とか何とかゆうて、やっぱり外に出よったで」

 トウジの脳内には、自分の主張を力説するケンスケの姿が明確に想像されていた。

「あはははは。そうかもな。でもおかげであの女の人……ミサトさんだっけ。あの人にも逢えたんだ」

 ケンスケは拳を握り締めながら語った。エントリープラグに入れた喜びは心の中に隠していた。

「あぁ。あれは、ほんま綺麗かったな。それにあの胸や!」

「しかもあの若さの女性で一尉。天は人に二物を与えるんだなー」

 彼らが保護された後、NERV保安部に拘束され、叱責を受けていたところを救出したのはミサトだった。彼女はシンジらの指摘を受けたことにより、それが親の躾の範疇の問題であると認識した。そのため、二人には平手を喰らわせたものの、保護者に連絡した上で短時間の内に解放した。おかげでケンスケやトウジにとり、彼女は女神のような存在になっていた。

「それにあのパイロットも相当可愛かったぜ」

「NERVのパイロットちゅうんは、あんな子供ばっかなんかいな。転校生かて、そうやろ?」

「このビデオ見ろよ。俺たちが乗ったロボットが動けなくなった後に出てきたのが、あの転校生ってことだろ? 正に人類を守る遅れてきたヒーローって感じじゃないか。くうぅぅ、生で見たかったなぁ」

 零号機が活動限界を迎えていたため、彼らは外の様子を知ることもできず、エントリープラグの中でただ震えていた。そのため、零号機が倒れた後に初号機が出て使徒を殲滅したという場面をその目で見てはいなかった。

「しかし何や、この怪獣図鑑っちゅうのは」

 トウジはパソコンの横に丁寧に積み重ねられていたプリントアウトに目を向け、ケンスケに尋ねた。

「この前の敵だよ。NERVでは使徒って呼んでるんだ」

「シャムシエル鞭。二本の鞭はまな板だってすっぱすぱ――って何や。包丁の実演販売かっちゅうの」

「でも、ビルなんか消ゴムみたいにすっぱすっぱ切られてたぜ」

「わいらが助かったのは、あの転校生のおかげっちゅうことなんやな。ほんま」

「それより、問題はこれだよ」

 ケンスケは別のプリントアウトを取り出した。そこには『怪獣図鑑その5』と書かれていた。

「何や。もう次が出たんかいな」

「いや、使徒はここを目指してくるはずなんだ。だからそれはまだ来てない」

 ケンスケは怪獣の祟説を知っていた。また、第3新東京市が最初から使徒との戦いのために作られた街であると言うことを薄々とではあるが感付いていた。

「次回予告ちゅうんかいな……あほらし」

 第3新東京市郊外のNERV所有の倉庫群の一つには、先日初号機が殲滅した第4の使徒シャムシエルの死骸が運び込まれ、研究者たちが使徒の調査を進めていた。

「シンジ君。これが私たちの敵よ」

 ミサトは使徒の死骸を見上げながら、自らが連れ込んだシンジに宣言した。

「敵……ね」

 気のない返事を返すシンジに、上方から声が掛かった。

「なるほどね。コアごと真っ二つに切断されていることを除けば、ほとんど原形をとどめているわ。切断面も綺麗なものね。このコアくっつけたら復活したりしないかしら……。ほんと、理想的なサンプル。ありがたいわ」

 声の主は、死骸の回りに組まれた櫓の上でそれまでサンプルを観察していたリツコだった。

「これで、使徒のサンプルも2体目ってわけね」

「そうは言っても、1体目は、初号機に食い散らかされた残り滓よ?」

「で、何か解ったわけ?」


 三人は仮設の研究室に設置されたコンピュータの端末の前でコーヒーの紙コップを片手に話を続けていた。

 端末の画面には、解析不能を示すコードナンバーである601という数字だけが表示されている。

「つまり、訳解んないって事?」

「そうね、使徒は粒子と波の両方の性質を持つ光のような物で構成されてるの」

「で、動力源はあったんでしょ?」

「らしきものはね。でも、その作動原理は未ださっぱりなの」

「まだまだ未知の世界が広がっているわけね」

「とかくこの世は謎だらけよ。例えば、ほら。使徒独自の固有波形パターン。構成素材に違いがあっても、信号の座標と配置は人間のものと酷似しているわ。99.89%ね」

 リツコは端末を操作し、画面に遺伝子地図のようなものを表示させながら言った。

「99.89%って……」

「そう、エヴァと同じ。改めて、私たち人間の知恵の浅はかさってものを思い知らせてくれるわ」

 何かに感心しているリツコとミサトを、シンジは冷めた目付きで見ていた――ジオフロントの地下深くに磔られた第2の使徒リリス、そしてそのコピーであるエヴァ初号機をGEHIRNの時代から数えれば10年以上も研究してATフィールドの存在すら確認できなかった研究者たちが、この一連の使徒戦の最中に片手間で行う研究で一体何を発見しようというのか……。


「これがコアか……」

 使徒のコア付近には、その時ちょうど、六分儀ゲンドウと冬月コウゾウを伴ったレイがいた。

「コア以外はサンプルを少し残して、残りは全部破棄してしまって構わないわ」

 コアをベタベタ触っているゲンドウやコウゾウを尻目に、レイが指示を出していた。

 使徒の死骸を見学した翌日、シンジはいつも通り中学校の授業に出席していた。その日は体育の授業があり、女子はプール、男子は外でバスケットという振り分けになっていた。

「うっわ、鈴原の目。やらしくない?」

「あそこ見て! 碇君よ」

「見て見てシンちゃーん♥」

 自分たちの水着姿に目を奪われる男子生徒に気付いた女子生徒たちも実のところ満更ではなく、また、校庭でバスケットをしている生徒やその周りで休憩している生徒たちを逆に観察してもいた。

 名前を呼ばれたシンジがプールに向かって手を振ると、プールサイドにいるリナが嬉しそうに手を振り返した。

「お、せんせ。やっぱり本命はリナちゃんなんか?」

「えっ、いや、そういうわけじゃ……」

「ルナちゃんか? ひょっとして」

「えっ、いや、それも……」

「ほんだら、カホルさんかいな?」

「まったまた。あ・や・し・い・な」

「リナちゃんの胸。ルナちゃんの太股。カホルさんの「ふくらはぎ」」

 シンジとリナがほのぼのとしたやり取りをしていると、トウジとケンスケが擦り寄ってきて、怪しいコンビネーションを見せながらシンジを揶揄い始めた。その間、ケンスケの眼鏡は光りっぱなしである。

「だ、だからそんなんじゃないって……」

(三人ともだなんて、言えるわけないよ!)

「わしの目ーは、誤魔化されへん」

「碇君。来て……」

「どうしたの? ルナ」

 朝食後、ルナの自室へ呼び出されていたシンジがルナの部屋に入ると、ルナは何故か、肩にバスタオルをかけただけの生まれたままの姿で待っていた。

 無表情を装ったルナは突然シンジに躙り寄ってシンジの両脇に手を掛けると、シンジの足を外から刈った。そして――

ばたんっ

 ルナの見事な大外刈が決まるかという瞬間、ルナはシンジと体を入れ替え、二人は縺れ合うように倒れ、ルナがシンジの下敷になった。

(何かルナの気に触るような事したかな?)

 シンジは困惑していた。

「どいてくれる」

 そして、感情のこもらない声で言うルナの言葉にようやく我に返ったシンジは現在の状況に気付いた。

むにゅ

「うぁ、あ、あの……」

 左手でルナの右胸を掴んでいることに気付いたシンジは狼狽を隠せなかった。一方、ルナは何事もなかったかのように下着を、そして中学校の制服を身に付ける作業を続けていた。

ばたんっ

 シンジはものも言わずに部屋を出ていくルナに気付き、後を追うように部屋を出ていった。


(くすっ、シナリオ通りなの)

 自分の数メートル前を、中学校へと向かい足早に歩みを進めるルナが何を考えているかなど、シンジに見当を付けられるはずなどなかった。

「さっきはごめん」

「何が?」

 シンジが学校の下駄箱の前でようやくルナに追い付き謝罪の言葉を述べても、ルナはシンジが何を謝っているのか理解できないという態度であった。

 NERV本部第6ケージでは、零号機によるATフィールド展開実験が行われていた。

「ATフィールド2ヨクトで発生」

 第3使徒戦は、NERV職員を含む人類の大部分に対し、それまで名前だけは与えられていたものの正体が全く不明であったATフィールドの存在を確認させることになった。正体が判明してみると、ATフィールドとは、起動した時点でエヴァンゲリオンが全身の体表面に発生させているものと同質のものであった。もっともその出力は、使徒が、そして初号機が戦闘時に発生させているものとは桁がいくつも違う微弱なものではあったが……。

「ここまでは、いつも通りね」

 伊吹マヤの報告を確認すると、リツコはレイに次の指示を出した。

「レイ、それじゃ今日もATフィールド展開訓練を始めるわよ」

『了解』

「それじゃ、空間に壁の存在を意識してみて」

 モニタに映るレイは眉間に皺が寄る程に集中していた。

(壁、壁、壁……)

「ATフィールド17ヨクトに出力増大」

 出力が微弱であるため、肉眼で目視できるほどの相転移空間は発生しない。そのため、展開されたATフィールドの状況を知る手段は各種センサーから得られる反応数値のみであった。

「何とか展開には成功してるけど――

――初号機や使徒のATフィールドの出力には全く届かない……。現状では主戦力としては考え難いってことか」

 マヤの報告を受け、現状を把握したリツコとミサトは同じ結論に達した。自分の指揮下の戦力が気になるミサトだけでなく、ゲンドウ、コウゾウといったNERV首脳陣も、この実験の様子を見学していた。

ひょーーーーーーっ

 同じ頃、NERV本部から少し離れた海上。そこを黒色に近い濃紺色の正8面体のようなフォルムを持つ巨大な物体が空中を滑るように移動していた。

 恐らくは使徒と呼ばれる物体。既に国連軍をはじめとする既存兵力は、自らの戦力をもってそれに対抗することの愚を悟っているためか、もはや周囲に展開されることもない。

がちゃっ

「六分儀。未確認飛行物体が接近中だ。恐らく、第5の使徒だな」

「テスト中断。総員第1種警戒体制。零号機はそのまま出撃準備」

 零号機による実験の見学中、どこからか電話を受けたコウゾウの言葉に反応し、ゲンドウが実験の中断と警戒体制への移行を指示した。

「まだ初号機の凍結は解かないつもりか?」

「ユイはいつでも覚醒します。S機関――神に等しき力をその手した以上、これ以上無駄な危険に晒すわけにはいきませんよ」

「零号機を本当に戦力と考えておるのか?」

「直に弐号機が届きます」

 そういうとゲンドウは口元に、にやりという笑い顔を浮かべた。

「委員会が弐号機を海路で輸送させた理由……解らんお前でもなかろう」


(あいつはまずい。早く本部へ行かなくちゃ……)

 中学校の教室で授業を受けている最中に非常招集のメッセージを受け取ったシンジは焦っていた。

ひょーーーーーーっ

 使徒は既に上陸を果たし、邪魔の入らない第3新東京市への一人旅を続けていた。

「目標は塔ノ沢上空を通過」

「零号機、発進準備に入ります」

 発令所内では青葉シゲルによる使徒の現状報告に合わせるように、日向マコトが進められている零号機の状態を報告していた。


「目標は芦ノ湖上空へ侵入」

「エヴァ零号機、発進準備よろし」

 NERVの縄張りへの使徒の侵入、そして、零号機の発進準備完了の報告を受けたミサトは即座に命令する。

「発進!」

 その時、使徒の正8面体様のフォルムの各面を繋ぐ部分に存在するスリットが光り始めた。

「目標内部に、高エネルギー反応」

「なんですって!」

「円周部を加速。収束していきます」

「まさか?」

「ダメ! 避けて!」

 零号機が地上へ射出された瞬間、使徒は自らの荷粒子砲を正確に零号機の胸部へと放った。しかし、リフトオフされていない零号機に身動きは取れない。

 発令所のスタッフが言葉を失っている間も荷粒子砲の攻撃は続いていた。

「零号機、ATフィールドを展開」

 その時、零号機の前方にはオレンジ色をした正6角形様の相転移空間、零号機のATフィールドが展開されていた。――とはいえ、第5の使徒ラミエルの強力な荷粒子砲の攻撃を若干弱めているという程度のものに過ぎない。

「戻して! 早く!」

 ようやく言葉を取り戻したミサトの指示により、身動きの取れなかった零号機が射出路から引き戻される。零号機が地中に引っ込むのと同時に、荷粒子砲の射線上にあったビルは完全に溶け落ちた。

「目標、完黙」

 荷粒子砲による攻撃が止んだことを報告するシゲルの裏では、ミサトがレイの様子を確認していた。

「レイは?」

「生きています」

 その間にも零号機の収容手順は進められている。

「零号機回収。第6ケージへ」

「ケージへ行くわ。後よろしく」

 マヤの報告を聞いたミサトは発令所を後にし、ケージへと向かった。

「パイロット。脳波が乱れています。……心音、微弱。いえ、止まりました!」

「生命維持システム最大。心臓マッサージを。医療班をケージに急がせて!」

ばしゅっ

「ダメです。パルスが確認できません」

「もう一度」

ばしゅっ

「パルス確認! ……うぁっ、ダメです。また止まりました!」

「続けて! それから、プラグを強制排出。急いで!」

 ミサトの去った発令所では、レイの生体情報を睨みながら、マコトとリツコが必死にレイの蘇生作業を続けていた。

「LCL緊急排水」

「はい」

 エントリープラグの排出を確認したリツコの指示にマヤが応えると、エントリープラグの各所に設けられた穴からオレンジ色の液体が湯気を上げながら勢い良く吹き出した。


『エントリープラグ摘出完了』

『パイロットの生存は確認されていません。医療班は速やかに蘇生作業を引き継いでください』

 ケージに到着したミサトには、オペレータたちの報告すら耳に入らず、完全に生気を失い、耳や鼻から血を流したまま身動きもしないレイを見つめることしか出来ない。

 その後レイは医療班の用意したストレッチャーに乗せられて、緊急処置室へと移送され、後を追ったミサトの目の前で、処置室の扉の上には緊急処置の赤ランプが灯った。

 発令所のモニタには、初号機を模した等身大の風船人形、通称ダミーバルーンが第2芦ノ湖上の船に牽かれて使徒に接近する映像が映っていた。

「敵荷粒子砲、命中。ダミー、蒸発」

 それは、ダミーの右手に持たせたライフルがその砲身を使徒に向けた瞬間の出来事だった。

「次!」

 ミサトの指示に合わせ、映像には独12式自走臼砲と呼ばれる列車砲が使徒に対し、砲撃を加えた。しかし、その攻撃が使徒に届く直前、使徒の前にオレンジ色の正6角形様のATフィールドが展開され、攻撃はあらぬ方へと反射された。その直後――

「12式自走臼砲、消滅」

 シゲルは自走臼砲が使徒の反撃を受け消滅したことを報告した。

「なるほどね」

 ミサトは使徒の凶悪さを目の当たりにし、呆れたように言った。


(威力偵察も無しに零号機を発進させたのは間違いなくあたし)

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」


「これまで採取したデータによりますと、目標は一定距離内の外敵を自動排除するものと推測されます。エリア侵入と同時に荷粒子砲で100%狙い撃ち。エヴァによる近接戦闘は危険すぎますね」

「ATフィールドはどう?」

 その時、NERV本部作戦課の第2分析室では、ミサトやマコトをはじめとする作戦部の職員が、使徒の分析を進めていた。モニタには、先程記録された自走臼砲の砲撃を反射させるATフィールドの映像が映し出されている。

「健在です。相転移空間を肉眼で確認できるほど強力なものが展開されています」

「誘導火砲、爆撃などの生半可な攻撃では泣きを見るだけですね……これは」

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」

「攻守共にほぼパーペキ。正に空中要塞ね。で、問題のシールドは?」

 ミサトは脳裏に浮かぶレイの言葉を振り払うように、会議の進行を促した。

「現在目標は我々の直上。第3新東京市0エリアに侵入。直径17.5メートルの巨大シールドがジオフロント内NERV本部に向かい侵攻中です」

 使徒は零号機の撤退直後にNERV本部上空へと到達すると、その場に静止し、下部からドリル状の物体を現出させて地面を掘り始めていた。

「敵はここ、NERV本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね」

「しゃらくさい。で、到達予想時刻は?」

 マコトの推測に対してミサトは悪態を吐きつつも、自らに残された時間を確認した。

「明朝午前0時06分54秒。その時刻には22層の装甲を全て貫通してNERV本部へ到達するものと思われます」

「後10時間足らずか……」

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」


『敵シールド、第1装甲板に接触』

「で、こちらの零号機の状況は?」

 使徒の侵攻を伝える報告を尻目に、第6ケージに場所を移したミサトはリツコに零号機の状況を確認していた。

「胸部、第3装甲板まで見事に融解。機能中枢をやられなかったのは不幸中の幸だわ」

「後2秒あるいは1秒でも余分に照射されていたらアウトでしたけど」

 マヤがリツコの言葉を補足する。

「元々、零号機の装甲は初号機などと比べて薄いのよ――

 零号機はE計画と呼ばれる計画の初期段階においてエヴァンゲリオン建造の可否を判断するための試作機として作り出されたものであり、本来実戦への投入は予定されていなかった。しかし、ファーストチルドレンとしてレイがGEHIRN本部に現れて以降、彼女自身の要望で零号機の改良が行われた。彼女が初号機への搭乗を拒否していたことが改良が行われた要因の一つとして挙げられる。

 零号機は筋力なども初号機やそれ以降の正式型と比べて若干落ちる。その上、レイは自分のシンクロ率がそれ程高くないことを自覚していた。結果として、実戦に投入するためには重い装甲が逆に足枷になると判断された。

――零号機が地上に射出されて荷粒子砲の攻撃に晒されている間、彼女は自身過去最高の出力でATフィールドを展開していたわ。この零号機は、綾波レイが、文字通り自身の生命と引き替えに守ったという事よ」

 緊急処置室では相変わらずレイの蘇生処置が続けられている。これは、ゲンドウらにとれば計画の要として、他のNERV職員にとれば貴重なパイロットの一人として、レイの復帰は強く望まれていたからであるが、科学者としてのリツコは、レイの生存は絶望的であると判断していた。

『3時間後には換装作業終了予定です』

「了解。初号機は?」

 作業員の拡声器を通した報告を確認すると、ミサトは初号機について尋ねた。

「物理的にはいつでも出せるけど、初号機の凍結解除の権限は私にはないわ」


「零号機専属パイロットの容態は?」

 再び発令所に戻ったミサトはレイの状況を確認しているマコトに容態を尋ねた。

「未だ蘇生処置が続けられてはいますが……」

「状況は芳しくないわね」

「白旗でも上げますか?」

「その前に、ちょっち、やってみたいことがあるの」

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」


「目標のレンジ外、超長距離からの直接射撃か」

 司令執務室では、作戦内容の説明を受けたコウゾウがミサトに真意を確認していた。

「そうです。目標のATフィールドを中和せず。高エネルギー収束帯による一点突破しか方法はありません」

「MAGIはどう言ってる?」

「スーパーコンピュータMAGIによる回答は、賛成2条件付き賛成が1でした」

「勝算は8.7%か」

「最も高い数値です。つきましては、初号機の凍結解除を要請します」

「反対する理由はない。やりたまえ。葛城一尉」

 最後にゲンドウがミサトを追い出すように返事をすると、ミサトは「はい」という言葉を残し、司令執務室を後にした。

「六分儀。零号機は使えないだろう。彼女の作戦、通用するのかね?」

「レイが失われた今、計画の修正は困難。我々には時間が必要です。やって貰うしかないのですよ」

「あの時、初号機を出撃させていれば――いや、それも結果論に過ぎんか。正解は神のみぞ知るだな……」

 ゲンドウとコウゾウの二人は軍事には素人であったため、威力偵察の結果を基に出撃を見合わせるべきだったという結論には至らなかった。現実に、零号機の出撃を最初に指示したのもまた、彼ら自身であった。


「しかし……また無茶な作戦を立てたものね。葛城作戦部長さん」

 司令執務室から戻ったミサトに作戦の技術上の事案の解決を依頼されたリツコは、エスカレータで移動しながらミサトを揶揄した。

「無茶とはまた失礼ね。残り9時間以内で実現可能。おまけに最も確実なものよ」

「零号機は使えないと思った方がいいわよ」

 成功確率8.7%。その数値は、初号機による射撃と零号機による防御、その二つの存在が条件となっていた。当然、二人ともにその事実を認識している。

「それでも……やるしかないのよ。初号機の凍結解除は認めさせたわ」

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」

(父に加えてレイの仇も私が討つ――これがあたしの責任の取り方)


「うちのポジトロンライフルじゃそんな大出力に耐えられないわよ。どうするの?」

 移動した先でエヴァ専用ポジトロンライフル試作20型を見つめながら、リツコはミサトに尋ねた。

「決まってるでしょう。借りるのよ」

「借りるって……まさか」

「そっ、戦自研のプロトタイプ」

 零号機の撤退後、シンジはつくばへの出張を命じられるまで、控室で待たされていた。

(いつもは、綾波が出張してたんだね)

 過去三回の経験では、この時点でシンジは病院で治療を受けていた。そのため、つくばへの出張は初めての経験だった。


「以上の理由により、この自走陽電子砲は本日15時より特務機関NERVが徴発致します」

 戦略自衛隊つくば技術研究本部に到着したミサトは徴発令状を片手に通告した。

「かといって、そんな……。しかし無茶な」

「可能な限り原形をとどめ返却するよう努めますので。では、ご協力感謝致します。いいわよ、シンジ君、持って行って」

 研究所に常駐する数少ない制服組の一人が必死に抗弁を試みるが、ミサトはそれを軽くいなした。

がばっ

 その時、ミサトの指示を受けたシンジが格納庫の屋根を初号機の手で持ち上げ、格納庫の中を覗き込んだ。

「精密機械だから、そおっとね」

(やっぱりヤシマ作戦なのか)

 シンジはまだ作戦内容の説明を受けていなかったが、格納庫の中を覗いてそれを悟った。


「しかし、ATフィールドをも貫くエネルギー量は最低1億8千万キロワット。それだけの大電力をどこから集めてくるんですか?」

 用事は済んだとばかりに踵を返すミサトを追い掛けながら、同行していたマコトがミサトに尋ねると、ミサトは当然というように、そしてやや誇らしげな顔付きで答えた。

「決まってるじゃない……日本中よ」

10

「本日、午後11時30分より明日未明にかけて全国で大規模な停電があります。皆様のご協力をよろしくお願いします。繰り返しお伝えします――

 NERV本部で作戦の準備が着々と進められる中、テレビの臨時ニュース、各地方自治体のヘリコプターによる広報、街頭の電光掲示板といったありとあらゆるメディアが、日本中に停電の知らせを伝えていた。

「敵シールド、第7装甲板を突破」

 NERV本部第1発令所では、使徒の侵攻状況をオペレータが伝えるのを確認しつつ、ミサトは各部署に作戦準備の進捗状況を確認している。

「エネルギーシステムの見通しは?」

「現在予定より3.2%遅れていますが本日23時10分には何とかできます」

 コンピュータの端末で状況を確認したマコトが返事をした。

「ポジトロンライフルはどう?」

『技術開発部第3課の意地にかけても、後3時間で形にして見せますよ』

 ミサトの質問に対し、作業現場から電話で答が帰ってくる。

「防御手段は?」

「SSTOのお下がりを2課が盾に仕立ててくれたわ。見た目は酷くても元々底部は超電磁コーティングされている機種だし、あの砲撃にも17秒は持つわ。2課の保証書付きよ」

 盾の状況はリツコが把握していた。

「そいつは結構。狙撃地点は?」

「目標との距離、地形、手頃な変電設備も考えると、やはりここです」

 マコトは端末を操作し、モニタに周辺の地図を表示させてから、最有力候補地を指し示す。

 技術的な確認を終えたミサトは、最後に高らかに宣言した。

「確かに行けるわね。狙撃地点は二子山山頂。作戦開始時刻は明朝0時。以後本作戦をヤシマ作戦と呼称します」


「後は、パイロットの問題ね」

「零号機パイロットの容態は、依然変わりがありません」

 論点を人的問題に変更したミサトの質問に対し、返ってきた報告は無情だった。

「綾波レイはもう死んでいるのと同じよ」

 冷静に現状を説明するリツコに対し、ミサトは唇を噛み締めながら呟いた。

「それでも、やるしかないのよ」

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」

(父に加えてレイの仇も私が討つ――これがあたしの責任の取り方)

「彼にはどう説明するつもり?」

「……言えないわね、こんなこと」

 リツコの質問に小声で答えてから、ミサトは逡巡を振り切るように命令を下した。

「二子山決戦。急いで」

11

「それで、勝算はどれくらいなんですか?」

 ヤシマ作戦の内容を説明されたシンジが質問した。

「8.7%。これは零号機が使える場合の数値よ。使えない場合は――

――神のみぞ知る。ごめんなさい。これが私たちの限界なのよ」

 シンジの質問に対してリツコが答え、その後をミサトが引き取った。

「ギリギリまで綾波レイの回復を待つつもりよ。でも……」

「期待できないって事ですね」

 シンジはレイの本当の容態を知らされていない。そのため、言葉を濁したリツコの様子から、回復が間に合わないから出られないという状況であると認識した。

「シンジ君。レイが間に合っても間に合わなくても、あなたには砲手を担当して貰うわ」

「陽電子は地球の自転、磁場、重力の影響を受け、直進しません。その誤差を修正するのを忘れないで。正確に、コア一点のみを貫くのよ」

 ミサトの指示とリツコの補足説明を受けたシンジは、解りきっていることだが言わずにはいられなかった。

「そんなこと、まだ練習してないですよ」

「大丈夫。あなたはテキスト通りにやって。最後に真ん中のマークが揃ったらスイッチを押せばいいの。後は機械がやってくれるわ。それから、一度発射すると、冷却や再充填、ヒューズの交換などで次に撃てるまで時間がかかるから……」

「いや、そのテキスト通りの練習すらしてませんよ。それに、もし外れて敵が撃ち返してきたら?」

「今は余計なことは考えないで、一撃で撃破することだけを考えなさい」

「零号機がいて、ようやく8.7%という作戦ですよ? 外れた時のことを考えないでどうするんですか?」

 一射目が外れることを知っているシンジはリツコの言葉に異を唱えた。

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」

(父に加えてレイの仇も私が討つ――これがあたしの責任の取り方)

「当てて貰うしかないのよ」

「リツコさん。ポジトロンライフルは機械で、つまりエヴァなしで撃てますよね? 僕は盾で防御を担当します。引鉄はミサトさんにお任せします」

 思考停止に陥ったようなミサトの返事に対し、シンジは諦めたように提案した。

「でも、危険よ」

「神のみぞ知る確率に賭けるよりは遥かにましですよ。いずれにせよ、ポジトロンライフルが撃てなくなったら特攻するしかないんですから」

 自分を無視して話を進めるリツコとシンジに対し、ミサトが割り込んだ。

「指揮官は私です」

「職務放棄してるあなたでは話になりません。あなたは仇を討つことだけに集中してください」

はっ

(まさか……知ってるの?)

 シンジの言葉に、ミサトとリツコは息を呑んだ。

12

 作戦開始時刻を待つ間、シンジの脳裏にはレイの思い出が浮き上がっては消えていった。それは現在のレイとの思い出ではなかったが、初号機のタラップを照らす月の光がシンジに思い起こさせるレイは、これまで最も付き合いの長い、今は『山岡ルナ』として生きている『綾波レイ』だった。

「これで、死ぬかも知れないね」

「どうして、そういうことを言うの? あなたは死なないわ。私が守るもの」

(今回は僕一人だよ……綾波)

「綾波は……何故、これに乗るの?」

「絆だから」

「絆?」

「そう……絆」

「父さんとの?」

「みんなとの」

「強いんだな……綾波は」

「私には……他に何もないもの」

「他に何もないって……」

(でも大丈夫……きっと何とかして見せる)

ぴぴっ、ぴぴっ

「時間だ」

 その時、プラグスーツの腕に仕込まれた時計が、シンジの初号機への搭乗時刻を知らせた。

13

『ただいまより0時0分0秒をお知らせします』

ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぽーん

「作戦スタートです」

 二子山仮設基地では午前0時の時報に合わせ、マコトが作戦の開始を宣言した。

「日本中のエネルギー、あたしが預かるわ!」

 ミサトは自らに気合いを入れている。

「第1次接続開始!」

「第1から第803管区まで送電開始。全冷却システム、出力最大へ」

「陽電子流入順調なり」

「第2次接続」

「全加速器、運転開始。強制収束器、作動」

「全電力、二子山増設変電所へ。第3次接続、問題なし」

「最終安全装置、解除。撃鉄、起こせ」

『地球自転及び重力の誤差修正、プラス0.0009。電圧発射点まで、後0.2』

「第7次最終接続。収束を開始。全エネルギー、ポジトロンライフルへ」

 作戦開始後、二子山山頂に設置されたNERV仕様に改造された戦自研製自走陽電子砲の発射準備は順調に進んでいた。

 ――後は撃つだけ。

 それは、仮設基地に詰めている職員の総意だった。発射までのカウントダウンもオペレータの声で順調に進んでいる。

「8……7……6……5……」

 その時、使徒のスリットが再び光り始めると同時にマヤが報告した。

「目標に高エネルギー反応」

「4……3……」

「何ですって?」

「2……1……」

 マヤの報告にリツコが慌てて反応する一方、カウントダウンは何事もなく続けられた。

 そして――

「発射!」

 ミサトは、カウントダウンの終了と同時に、自らの指でポジトロンライフルの引鉄を引いた。

ばしゅっ

 ポジトロンライフルを発射したミサト、状況を確認している職員、そして初号機で待機しているシンジの瞳には、それはスローモーションのように映っていた。

しゅーい、しゅーい、しゅーい、しゅーい、しゅーい

 使徒の発射した荷粒子砲とポジトロンライフルの発射した陽電子流、それらは途中までお互いに向かい直進していたが、その中間点でお互いが交差し、干渉しあい、そして……外れた。

ずぶぉあーーーん

 互いに外れた双方の攻撃は、双方の傍に着弾して火柱を上げる結果となった。

 使徒の攻撃は幸にもポジトロンライフルを破壊することはなかったが、仮設基地はその煽りを受けて多少ならざる被害を受けた。


「ミスった」

「敵シールド、ジオフロントへ侵入」

 ミサトが結果を把握すると同時に、使徒の侵攻状況を知らせるオペレータの声も響いている。

「第2射、急いで!」

「ヒューズ交換。再充填開始」

「陽電子加速再開」

 ミサトの指示で二射目の準備が進められる中、再びマヤが報告する。

「目標に、再び高エネルギー反応」

「まずい!」

 ミサトが悪態を吐く間に、シンジは盾を携えた初号機を使徒とポジトロンライフルの射線に進入させた。

 初号機は両足を前後に広げ、盾を前に構えた格好で使徒の荷粒子砲を防ぐ。盾に阻まれた荷粒子は周囲に拡散し、初号機の状態は外からは全く確認できない状況であった。

「シンジ君!」

「盾が持たない!」

「未だなの?」

「後10秒」

「ちっ! 早く!」

 初号機のATフィールドをも纏った盾は、ポジトロンライフルの発射の瞬間まで、なんとかその形を保ちきった。

 そして――

「発射!」

ばしゅっ

ずぶぉあーーーん

 しかし、ミサトの発射したポジトロンライフルの二射目の陽電子流は、盾の形を保ちきるほどの強度で展開されていた初号機のATフィールドによる相転移空間の影響で僅かにその軌道を変え、続いて使徒の展開したATフィールドで屈折させられたため、使徒に傷を付けたもののコアを撃ち抜くことまではできなかった。

「敵シールド、最終装甲板を貫通!」

 その報告は使徒の活動が停止していないことを示していた。

 その上更に、仮設基地内には最悪の事態を告げる報告が続く。

「ポジトロンライフル、銃身融解」

「第227、452、453管区、各変電所で火災発生」

「第6番冷却システム、稼働停止」

 ――ポジトロンライフルの三射目が不可能であることの知らせだった。

「ごめんなさい、シンジ君。もうあなたに任せるしかないわ」

『わかりました』

 ミサトの言葉にシンジは覚悟を決めた顔で答えた。シンジは既にアンビリカルケーブルを外し、初号機を使徒へと走らせている。盾は既に限界であり、使徒の荷粒子砲による次の攻撃はもはや防ぎきれないという推測からの行動だった。

「シンジ君。幸、二射目は使徒に打撃を与えました。加速器に影響があれば、荷粒子砲が暫く撃てないか、威力が削減されていると期待できます。これは、希望的観測に過ぎないのだけど……」

『ありがとうございます。後は任せてください』

 この時のシンジには未だリツコの報告に答える余裕があった。

 しかし――

「お願い、シンジ君。仇を……レイの仇を討って!」

 ミサトの言葉を聞いた瞬間から、シンジの耳には何も届かなくなった。

14

『綾波が……綾波が死んだなんて……』

「どいてくれる」

むにゅ

「さっきはごめん」

「何が?」

「お父さんの仕事が信じられないの?」

「信じられるわけないよ」

ぱしっ

『そんなの嘘だ!』

「どうして、そういうことを言うの? あなたは死なないわ。私が守るもの」

「絆だから」

「私には……他に何もないもの」

「さよなら」

「何泣いてるの? ごめんなさい。こういう時どんな顔すればいいのか解らないの」

「笑えばいいと思うよ」

にしこり

『嘘だ、嘘だ、嘘だ!』

「お母さんって感じがした」

「何を言うのよ」

「そう、良かったわね」

「あ、ありがと」

「これが私の心? 碇君と一緒になりたい」

「私がいなくなったら、ATフィールドが消えてしまう。だから……ダメ」

 現在進行形で使徒の侵攻を受けているNERV本部第1発令所のモニタには、その背に二対四枚のオレンジ色の翼を顕し、星空を背景として空中を舞う初号機の映像が捉えられていた。

「現在、衛星軌道上を高速に接近してくる物体があります」

 二子山仮設基地の面々が翼を広げて空を舞う初号機の姿に言葉を失い、ただそれを呆然と見守ることしか出来ないでいた一方、発令所に残っていたシゲルは比較的冷静さを保っており、外部の状況を報告した。

「まさか……あれは」

「ロンギヌスの槍か」

 同じく発令所に残っていたゲンドウとコウゾウは、モニタに捉えられつつあったそのモノの正体を認識していた。

15

「さよなら」

『碇君……ダメ』

『自分には、自分には他に何もないって……そんなこと言うなよ』

「さよなら」

『シンジ君。もう、ダメなのかい?』

『別れ際にさよならなんて悲しいこと言うなよ』

「さよなら」

『ダメよ。バカシンジ』

はっ

『僕はやっぱりバカシンジだ……』

 衛星軌道上を高速に飛来していたロンギヌスの槍が初号機の喉元に到着する直前、エントリープラグ内で月と見合っていたシンジが突然我に返った。それは初号機が走り出してから、翼を広げてから、そしてロンギヌスの槍が南極を飛び出してから僅か数秒後のことだった。その数秒間で、初号機は使徒のレンジ外と想定されていた二子山山頂付近から使徒の直上へと到達していた。


 シンジは初号機の前に静止しようとしているロンギヌスの槍を両手で掴み、その切っ先を使徒へ向けて、初号機をダイブさせる。初号機の背に現れていた翼は、既にその存在を完全に隠していた。

ずぶっ

 ロンギヌスの槍は正確に使徒のコアを貫いた。

 それが第5の使徒ラミエルの最期だった。

16

 辞職願い――司令執務室を訪れたミサトが、広大なその部屋のやや奥まった所に配置されたゲンドウの机の上に提出した封書には、そう表書きされていた。

「君の気持は解らんでもない」

 無言で辞表を提出したミサトに対し、声を掛けたのはコウゾウだった。ゲンドウは机の上に両肘を立て、両手を口の前で組むいつものポーズで、無言のままミサトを正面に見据えていた。

「私の気持は変わりません」

 ミサトは、作戦指揮官としての自分の能力に関して自信を完全に失っていた。これまで三戦のいずれにおいても、自らの指揮は勝利に結び付かなかった。そして更に、それが自らの失策の責任を取る方法として信じていたものも、単なる独り善がりに過ぎなかったことを完全に自覚させられた。

 このまま自分が指揮を取っていては、人類に危機を引き寄せることになる――そう結論づけたミサトが辞意を表明することは当然であった。

 しかし――

「葛城君。二尉に降格の上、保安部への異動を命ずる」

 ゲンドウは辞表を受け取らず、ミサトには別の処分を下した。

「うむ、君の気持は十分理解しているつもりだ。しかし、我々とて人材には限りがある。後任となる日向君に職務を引き継いだ後、保安部ではチルドレンの護衛、訓練などに協力し、彼らの力になってくれたまえ」

 コウゾウが説明を加えた。

「しかし……」

「暫く頭を冷やしたまえ……と言っている。君は既にかなりの機密に触れている。今NERVから離れられる方が迷惑なのだ」

 ミサトの細やかな反論に、コウゾウは、更に本音風の言葉を掛けた。

「了解しました」

 ミサトは敬礼した後に踵を返し、執務室から退出した。

「老人たちも、面倒な人材を押し付けてくれたものだな」

 コウゾウはミサト退出の後になって、本物の本音を漏らした。

 ミサトは葛城調査隊唯一の生き残りとして、世間には公表されていないセカンドインパクトに関する事柄を知る人物として、この15年間常にSEELEの監視下にあった。

 ミサトのNERVへの入所は、父の仇を討つべく戦う美しき女性指揮官、対使徒戦の旗頭として広告塔としての役割をも期待された結果である。彼女は、人類補完委員会、そしてその背後に隠されたSEELEの意向により採用された人材であり、NERV首脳部の一存でその処遇を決められるものではなかった。

「自らの辞意表明があったのだ。少なくとも配置換えの理由としては十分だろう」

「これでも、不幸中の幸と言うことかね……」

 ゲンドウとコウゾウは、未だ解決策の見つからない別の最重要の懸案事項――彼ら独自の人類補完計画の修正に頭を悩まされていることもあり、ミサトに関する話題はこれで完全に打ち切った。

 ジオフロント最下層に残された人工進化研究所第3分室。元々碇ユイの研究室そのものであったその部屋には、ゲンドウが人知れず隠匿しているユイの肉体が安置されている。

 ユイの肉体はLCLに満たされた棺桶状の容器――ユイ自身がLCLそのものを研究していた時期に自ら作り出した一種のコールドスリープ装置――に納められていた。この処置は、ゲンドウと出会った直後のレイの指示によりなされたものだった。

 接触実験の際に結果として初号機から弾き出されたユイの魂は、その当時LCLに満たされた水槽の中に十数体漂う『綾波レイ』の素体の一つに宿った。水槽の中で覚醒したユイ=レイは自らをリリスの化身であると認識していた。

 それまでユイの入室禁止という言葉を頑なに守っていたゲンドウであったが、接触実験の失敗後、いつまでも意識を取り戻さないユイの処置に関して藁をも掴む想いで禁を破った。そして、ユイの残した研究ノートの類を読みあさったゲンドウは、その時に至ってようやく、ユイが初号機に取り込まれることを望んでいたことを知る。レイとゲンドウが初めて出会ったのもこの時だった。

 レイの素体を作り出したユイの意図を自分なりに汲みとったゲンドウは、自身をリリスの化身と称するレイの「今後碇ユイの肉体が覚醒することはない」という言葉を信じざるを得なかった。レイの姿がユイの遺伝子情報を基にしたものであり、また、言葉遣いまでもが彼女に似通っていたこともそれを後押しした――ゲンドウから見れば、レイは紛れもなくユイに育てられたモノにしか見えなかった。

 レイは自らがユイの魂をも持つ者であることはゲンドウにも隠していた。これは、その時点でおよそ3歳児程度のレイの姿でゲンドウの夫の役割を果たすことも、シンジの母親の役割を果たすことも不可能であると考えたからである。


 元々ユイの作り出した『綾波レイ』にはユイが期待したように魂と呼ぶべきモノが宿ることはなかった――失敗作と言っても過言ではない。本来の彼女の計画では、セカンドインパクトをきっかけとしてSEELEの研究所に用意されていた『渚カヲル』の素体に使徒タブリスが宿ったように、同じタイミングで『綾波レイ』の素体に使徒リリス由来の何らかの魂と呼ぶべきモノが宿る可能性に賭けて用意していた器だった。アダムの体組織を用いて使徒タブリスの器を作る方法は、ユイが解読しSEELEへと報告した裏死海文書に記されていたものであり、ユイはリリスの体組織を用いて同様の方法で作った器にも何かが起こることを期待していたのだ。

 『綾波レイ』の素体にリリス由来の何らかの魂が宿りさえすれば、リリスを支配下に置いてサードインパクトの儀式をコントロールできる――これが『綾波レイ』の器を用意した当時の、結果として放棄したにも関わらず、ゲンドウがそれと誤解し続けているユイの思惑であった。自らが初号機に宿るというユイの計画は、『綾波レイ』の器が覚醒しなかったために選択された次善の策であり、自らがリリスの化身となった以上、彼女には初号機への執着はない。むしろ、再び初号機に接触することでまた想定外の事故が起こることを彼女は恐れた。これが、レイが初号機への搭乗を拒否した真の理由だった。

 レイはゲンドウがユイの意図を読み違えていることを正しく認識していた。


 ユイ=レイの覚醒の後、それまで存在していた覚醒していないレイの素体たちは、レイ自身の意志により処分された。自らが唯一絶対のリリスの化身であるために、何らかの意図しない事態により別のレイの素体が覚醒することを彼女自身が恐れた結果だった。自ら作り出したレイの素体たちにユイは魂を与えることができなかった上、理由も判らないままに自らが憑依する結果となった状況では、意図しない状況で他のレイが覚醒する可能性を排除できない。

 シンジたちの知る過去では、初号機の自我由来のレイを赤木ナオコが殺害し、その後二人目が自動的に覚醒した結果、レイの躰は替わりが利くという可能性にゲンドウが気付くことになったが、それはレイとなったユイを含む現在生きている人間たちの知識にはない。自らの唯一性を望むユイにとり、他のレイたちの存在は許容出来るものではなかった。

 結果的に、過去においてレイのクローンが多数存在したことを知る者は、創造者たるユイとLCLに満たされた水槽を見たゲンドウ、そしてシンジたちのみであった。

 シンジが山岡家に戻ったのは深夜三時を回る頃だった。

かちゃっ

 時刻が深夜であったため、シンジは出来るだけ音を立てないように玄関のドアを開けて部屋に入ったが、そこにはルナが起きて待っていた。

「何泣いてるの?」

「綾波が……綾波が……」


 翌朝、二人は数年ぶりに同じベッドで朝を迎える――

to be continued...



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