新世紀エヴァンゲリオン

〜せめて人間らしく〜

第二部

第二章 責任


 碇シンジは第3新東京市における、第3の使徒サキエルと呼称される使徒との戦いとその後の六分儀ゲンドウらとの会談を終えた後、その日の内に京都の碇本家へと帰っていた。


「初号機、凍結されたらしいわよ」

 サキエル戦から数日経ったある日、赤木ナオコが碇のMAGI経由で入手した情報をシンジらに伝えてきた。NERVへと組織改変されたばかりの旧GEHIRNに退職願いを送りつけ、それまでの所属先から姿を晦ませていたナオコは、現在碇商事の情報部門でオブザーバのような立場にある。もっとも、SEELEやNERVからの干渉の恐れがあるため、その身元は対外的には隠蔽されている。

「弐号機がまだだから大丈夫だと思ったんだけど、浅はかだったかな?」

「NERV本部にはまだアダムがない。使徒とアダムの融合で本当にサードインパクトが起こるのかどうか僕にも解らないけれど、少なくとも今のままなら最悪の事態は起こらないと思って良いと思うよ。シンジ君」

 渚カヲルは淡々と、しかし事態の明るい側面だけを選び、シンジを励ますように言った。

「いざとなれば、碇君はまた呼び出されるわ」

 シンジが榊シンジから碇シンジに戻って以来、再びシンジを「碇君」と呼ぶようになった山岡ルナも、自らの予測を述べる。

「どうせなら早くして欲しいんだけどな。父さんたちを揶揄ったのは失敗だったかな?」

「全てはリリンの流れのままに……さ」

 いつもの微笑を湛えながら言うカヲルだった。

「ねぇねぇ、今度はみんなで行くんだよね!」

 山岡リナは一大イベントを近くで見たいという野次馬根性丸出しで言うが、しかしその本心は、シンジと離れていたくないという可愛らしいものである。

「おい、六分儀。シンジ君のことはどうなっているのだ」

 冬月コウゾウは六分儀ゲンドウの執務室を訪れていた。コウゾウはゲンドウが委員会との仮想会議に参加している間、そのそばで会議の内容を聞いている。使徒戦の翌日に開催された会議において委員会は、NERVがシンジをサードチルドレンとして使徒戦に従事させるべきであることを暗黙の内に指示していた。それを受けたコウゾウは、ここ数日ゲンドウをせっついているわけだが、当のゲンドウは意に介していなかった。

「冬月先生。後は頼みます」

 結局、ゲンドウは全てをコウゾウに丸投げした。

「冬月先生。母は無限に生きるエヴァを作れば人の生きた証が50億年経って地球や月、太陽すらなくなっても残る。それが目的だと言ってましたね」

 シンジはエヴァンゲリオンパイロット就任の依頼のために京都まで訪ねてきたコウゾウに対し、碇ユイの実験前に出かけた湖畔での会話の断片を口にした。

「シンジ君。君は幼いころのことをそんなに鮮明に覚えているのかね」

(ユイ君の子は流石に出来が違うか……)

 コウゾウはシンジの記憶力が幼いころから優れていた一種の天才的才能であると誤解したが、シンジにしてみればその時点で精神年齢は14歳に達していた上に、母に関する数少ない記憶の内で最も納得のいかない会話であったのだから、鮮明に覚えているのはむしろ当然と言える。

「おかしいですか?」

「いや、そう言うわけではないが……」

 コウゾウは一瞬狼狽えながらも、何とかお茶を濁した。

「母には不老不死願望でもあったのですか? 今思えばエヴァに宿る人の心というのは母自身のことを言っていたように感じるのです」

「……」

「母は頭が悪かったんですね。仮にあれに人の心が宿っていたとしても、人らしい振る舞いをしなければ、そして自らの意志を人らしく表現することができなければ、それは人とは言えません。人類の歴史を例えば新聞記事のように情報化したものを残す方が余程価値があります」

「……」

「挙げ句、僕に明るい未来を見せると言いながら実験に失敗して死んだ。実に愚かです」

 コウゾウはユイの精神が初号機に宿っていると信じてはいたが、これまでのシンジの言葉を聞いてなお、ユイは生きていると口に出すことなどできなかった。

「ところで、今日はどういうご用件で? 先日の報酬も未だ振り込まれていないようですから、僕としてはあの場の話の全てが冗談であったと判断する他ありませんが……」

「実は冗談ではないのだよ。あの席では六分儀の奴が碌に説明もしなかったから信じては貰えんだろうが」

 コウゾウはそう言って持参した鞄の中から一冊の資料を取り出し、シンジに手渡した。そこには、国連所属の有力国家の中でもほんの一握りの権力者にのみ知らされている、彼らの為のセカンドインパクトの真実が記されていた。


「放っておくと使徒が目覚めるから、一度眠りにつかせて時間を稼いだ……ですか? その根拠は? それに、それではセカンドインパクトは正に人が起こしたと言うことではないですか。使徒がサードインパクトを起こすことの説明にはなってませんよ。むしろ使徒を使えば、人はサードインパクトを起こすことができると言っているようなものです」

 シンジはそう言うと、予め用意しておいたコンピュータのプリントアウトの束を取り、コウゾウに手渡した。

「今から15年前。南極で永遠の眠りについていたモノにちょっかいを掛け、自ら災害を引き起こした集団がある。先日の怪獣騒ぎは15年前に無理やり目覚めさせられたモノの祟であり、災厄を起こした集団に対する罰を与えに来たのだ――これが最近アングラネットに流されている正体不明の文章です。文責不明で無責任窮まり無いものですが、こっちの方が余程説得力ありますよ。いずれにせよ荒唐無稽なおふざけとしか思えませんが」

「どういうことかね?」

 コウゾウは、その得体の知れない文書の内容にも真実の一端が隠されていることを感じ取り、余計なことは言わずにシンジの言葉を待った。

「あなた方が使徒と呼称する先日の怪獣はサードインパクトを引き起こす能力など持ち合わせていなかったということです。仮に、使徒にサードインパクトを引き起こす能力があり、また、引き起こすつもりがあったのなら、何故あの使徒はエヴァに倒される以前にサードインパクトを引き起こさなかったのですか? この胡散臭い文章だって、別に罰を与えに来たなんて書かなくてもいいんですよ。例えば、15年前に追い出されたねぐらに変わる新たなねぐらを求めて第3新東京にやってきたとかでも構わないわけです。どうやら15年前セカンドインパクトを起こしたのは人だったらしいし、使徒とやらが第3新東京市にやってきたことも事実です。その背景なんて誰にも証明できてないのですから、あなた方のシナリオとこの文章のシナリオ、胡散臭さはまるで変わりません。それなら、この胡散臭い文章の方が余分な仮定を置いていない分だけ、尤もらしいでしょう?」

 コウゾウは反論の言葉を持たなかった。

「僕は別にエヴァに乗ること自体が嫌だと言っているのではありません。今となっては僕があのエヴァに乗れることは解ってますから……。でも、一生あれに縛り付けられる羽目になるのは絶対に嫌です。大体、先日の報酬を支払ってもいないということは、あなた方はそれだけの価値を認めていないということ――つまり、あなた方の言葉には真実の一片も含まれていないと言うことを自ら証明しているわけです。もっともサードインパクト云々が真実であり、その上それを防ぐことができるのが僕だけであるというのなら、100億円の報酬では安過ぎると思いますが……。あの時の100億円というのは、乗るだけで人が死ぬというエヴァに乗り込む、その危険に対する報酬のつもりでした。生憎、僕の知る限り母が実験という名目で乗り込み、そして死んだというその一例しか知りませんから、経験的に死亡率100%な訳です。その危険手当としても割が合わないと思いますが、あの時、あなた方がサードインパクト云々を信じていることを僕が知っていたなら、もっと高く請求してました。それこそあなた方が自ら設定した僕の価値というものです。僕にはボランティアで正義の味方をやる趣味はありません」

 シンジとしては、実のところ報酬額に関して特にこだわりはない。現実に十数体の使徒を殲滅することで1000億円を越える報酬を得るとしても、その使い道に困る。まして、シンジへと支払われる報酬は世界各国から集められた税金の一部であることには間違いない。

 シンジへの報酬として大金が支払われる場合、その金銭の流れが少なくとも数年の間シンジのところで停滞することは明らかである。それが経済に影響を与えかねない水準の金額であることは、二度目の人生で碇家次期当主としての教育を受けたシンジも理解していてしかるべきであったが、最初の交渉の時にはそこまでは気が回らなかった。その結果、京都へと戻った直後に「吹っ掛け過ぎだ」と祖父である碇シンタロウに叱られた。

 また、特にその日の食糧にすら困窮している人々から集められるだろう金銭までをも自らの当然の報酬として受け取ることができる程シンジは厚顔無恥ではないし、飲まず食わずでも死なない特殊な身体の持ち主であるから、基本的にシンジは金銭を必要としていない。

 更に言えば、シンジはエヴァに乗れることそれ自体が特殊技能ではないことを知っている。少なくとも、母親を犠牲にすればその子はチルドレンと呼ばれるエヴァンゲリオンパイロットになり得る。乱暴ではあるが、チルドレンの報酬とは母親の生命に対する代償と兵士としての仕事の報酬を合わせたものと言える。貧困に喘ぐ人々を対象として探せば、自らを犠牲にしてもその子をチルドレンに推薦するような母子がいくらでも発見できることは間違いない。

 ゲンドウらNERV上層部はその事実を隠蔽している上、初号機だけには別の魂をインストールするつもりがないため、ユイの子供であるシンジにだけは代えが効かない。結果としてチルドレンというものが選ばれた特別な存在であるというシナリオを崩すことができないはめに陥る。

 双方共に報酬額を下げたいと考えてはいるものの、自らを安売りするわけには行かないシンジと交渉の材料を持たないコウゾウとでは、現時点で上手い落し処を見つけることはできなかった。

 結局、コウゾウはその日の交渉を諦め、第3新東京市へと帰っていった。


「これ考えたの、リナでしょ」

「えへへ。やっぱ解っちゃうんだ。愛の力は偉大ね♥」

 コウゾウとの対談を終えて皆の待つリビングへ戻り、コウゾウに見せた胡散臭い文章の考案者をシンジが当ててみせると、リナはシンジに抱きつきながら言った。

「碇君が見破ったのは、それが子供っぽいから」

「へーんだ。どうせ私は10年しか生きてないおこちゃまでつよーだ」

「この怪獣図鑑その3っていうのは?」

 シンジの手には、使徒サキエルをデフォルメした全身画に矢印付きで各種解説がなされた文書があった。例えば「←サキエル顔。目からビームが出るぞ」、「←サキエル腕。光の槍が強力だぜ」、「←サキエル腹。弱点だけど、潰すと爆発するから気を付けろ」などと書かれており、別枠には「体はとても頑丈なんだ。ミサイル攻撃なんか目じゃないぞ。その上秘密のバリア、その名もATフィールド。流石サキエル、N地雷の直撃を食らっても何ともないぜ」とまで書かれている。

「それは私よ」

 嬉しそうに言ったのはナオコだった。

 リナの考案した胡散臭い文章や怪獣図鑑などは実際にアンダーグラウンドの匿名ネットワークに垂れ流されている。匿名で書かれた胡散臭い内容のそれらが短期的に広く信用を集めることを期待してのことではないが、対使徒戦の映像のストリーミング配信や今後の使徒襲来の事実などにより、段階的に信憑性を高めつつ、その内容が広まっていくことは期待できる。ゲンドウやNERVが得意とする情報操作がマスコミなどを動かすトップダウンのものとするなら、彼らが狙う情報操作は口コミに近いボトムアップのものであった。大衆を扇動するためには真実を明かす必要はない。そこに真実の欠片が見えさえすれば十分であり、それが政府やマスコミが隠し続けているものであればある程、その真実の欠片は大きな力を生むことになる。

「リツコ。シンジ君はどうなってるの?」

 NERV本部では、その日もいつものように赤木リツコの研究室にコーヒー目当てで仕事をサボりに来ている葛城ミサトの姿があった。

「どうもこうも、交渉は難航中。あの副司令が尻尾を丸めて逃げ出したらしいわ……相当の難物よ」

 リツコはミサトに対してそう返事をしながらも別のことを考えていた。

(ミサトなんかよりよっぽどエヴァのことを知ってるんじゃ当然ね)

「またアスカから電話が掛かってきて話をさせろって、こっちは説明も碌にできないし……」

「アスカってセカンドチルドレンのこと? 彼女、シンジ君に興味があるの?」

(ドイツ第3支部ご自慢の真の適格者としては気になって仕方がないということか……)

「あの子も、同年代で同じチルドレンの男の子っていったら、やっぱり興味があるのねん」

 以前ドイツ第3支部に所属していたため、ミサトには惣流アスカ・ツェッペリンとの交流があった。それにより、彼女はアスカの為人を多少なりとも知っており、下世話な想像を膨らませているのだった。

「とにかく、その話は私じゃなくて副司令の管轄。聞きたければ副司令に聞いて。それと仕事の邪魔をしないでちょうだい。来週には零号機の再起動実験があるんだから」

 リツコはそう言ってミサトを部屋から追い出し、仕事の続きに集中した。

「おいおい、今日は大ニュースがあるんだ」

 その日、第3新東京市立第壱中学校の2年A組の教室で皆の注目を集めながら発言する少年があった。茶色の天然パーマの髪に眼鏡がトレードマークのその少年の名は相田ケンスケと言った。

「大ニュースって何や?」

 ケンスケの言葉に反応したのは、指定の制服があるにも関わらず毎日黒のジャージで生活をすることに謎の誇りを持つ少年、鈴原トウジである。

「今日このクラスに転校生がやってくる。男一人に女三人の計四人。しかも上玉ばかりだ」

うぉーーーー、きゃあーーーーー

「静かにしなさーーーーーーーーい」

 熱狂の坩堝と化したクラスを一喝して静めて見せたのは、お下げの髪にそばかすがチャームポイントの少女、洞木ヒカリだった。


「今日は転校生を四人紹介します。では皆こちらへ入ってきてください」

 転校生を紹介したのは、授業中毎回のようにセカンドインパクトの思い出話をしないではいられない老数学教師だった。彼は2年A組の担任教師であるにも関わらず、生徒の中には彼の本名を覚えている者は一人もいない。ちなみに、彼の昔話には必ず「えー、その頃私は根府川に住んでおりまして」で始まる思い出話が含まれるせいか、根府川先生と呼ばれている。

うぉーーーー、きゃあーーーーー、売れるぞぉーーーーー

 教師に促されて四人が教室に入ると、教室内は再び熱狂の坩堝と化した。

「静かにしなさーーーーーーーーい」

「では、順に自己紹介をしてください」

「山岡リナです。京都から来ました。よろしくね♥」

 日頃から研究している、自分が可愛く見えるポーズをとって自己紹介したのはリナだった。もちろんそのポーズはシンジに見せるために研究しているものだったが、彼女は後にここでそのポーズを披露したのは失敗だったと語ることになる。

「山岡ルナです。同じく京都から来ました」

 ルナは俯きながら自己紹介し、心の中では別のことを考えていた。

(知っているけど、知らないみんな。こんな時どういう顔をしたらいいの?)

「山岡カホルです。同じく京都から来ました。歌はいいわね」

 背中まで延びる灰色髪に切長の目に紅い瞳を持つ色白の少女はそう自己紹介した。

「碇シンジです。僕も同じく京都から来ました。よろしくお願いします」

 シンジは自己紹介しながら教室を見回し、特に、元気そうなトウジの姿を見て安堵していた。

(あの様子ならトウジの妹は無事だったのかな)

 先日の使徒サキエルとの戦いでは、彼にトウジの妹を気遣う余裕はなかった。N作戦が中止された結果として、戦いを始めたタイミングは以前に経験したものとは違っていたし、発令所とのやり取りや、暴走する演技など他に考えることが多数あったからだ。それにそもそもエヴァサイズの巨体同士の格闘戦の最中に、崩れかかった瓦礫の間で逃げ遅れた少女を見つけ、それを保護するというのは土台無理な話であるし、少女が怪我を負った原因が初号機と使徒との戦闘であったかどうかすら定かでないのだ。

 四人揃って同じクラスに編入されるのは明らかに不自然なことではあるが、この裏にNERVの暗躍があったのは言うまでもない。それはシンジとNERVの契約の条件に含まれていたことであり、ナオコがコード707(チルドレン候補を集めたクラス)の情報に手を加えるための下準備の意味もあった。

 ここで時を一日遡る。

 シンジたちは昨日、揃って京都の碇本家を出て第3新東京市に引っ越してきた。

「みんな準備はできた?」

 出発前、一早く準備を完了したシンジはリビングで一緒に引っ越す皆を待っていた。

「もっちろん。ああ待ち遠しい。新しい愛の巣が私たちを待ってるわ♥」

 心底楽しそうなのは、もちろんリナである。

「ええ」

 言葉少なく答えたのはルナだった。

「さあ、行きましょう」

 そこには、見慣れない少女がいた。

「えっと、君は?」

 シンジが困惑を隠さずに尋ねると、少女が答えた。

「酷いわ、シンジさん。私を忘れるなんて……。あの日々のことは遊びだったのね」

 よよよと泣く真似をする女優、それが山岡カホルだった。体の形を決めるのがATフィールドであるからには、心の形でいかようにも変更できる。それを実践して見せたのが、それまで皆の前では渚カヲルの姿で生活していた、カホルその人だった。

「えっと、カヲル君?」

「カホルって呼んで」

 カホルは女優だった。

 カヲルが自らの形を女性体に変え、なおかつ名前も変えたのにはもちろん理由がある。彼もしくは彼女は、いずれ来る第13の使徒バルディエル、恐らくはエヴァンゲリオン参号機に寄生するであろうその使徒に対するため、自らフォースチルドレンとして参号機に乗り込むつもりであり、そのための細工をナオコと相談していた。その結果、山岡カホルが誕生した。

 『渚カヲル』を押し通した上でフォースチルドレンとしてNERVに乗り込み、いずれSEELEにより派遣されてくるだろう使徒タブリスたるフィフスチルドレン『渚カヲル』と対面することも一興ではあったが、同じ顔で同じ名前のチルドレンが本部にいた場合のSEELEの出方が読めなかった。彼らとしてはできれば使徒タブリスたるカヲルも殲滅せずに済めば、それに越したことはないと考えていたのだ。

 その裏に、シンジとの一次的接触を狙う心が隠されていることは、シンジ以外の全員に見透かされていることだった。

 カヲルの正式な生年月日はセカンドインパクト当日であり、本来シンジたちの1学年先輩ということになるが、カヲルが碇家に住み着いて以来、セカンドインパクトの丁度1年後であるとして偽造した戸籍を用いて生活していた。当然カホルもそれに準じた生活を送ることになる。

 シンジたちにはそれまで知らされていなかったことだが、山岡家の本籍は現在では第3新東京市の一部となっている箱根にあった。これは碇シンタロウが将来彼らを一緒に第3新東京市へ送り込むために仕込んでおいた仕掛けだった。彼らの住む家も第二次遷都計画が承認された直後、すなわち彼の地が第3新東京市となるかならないかという昔から、中学校や商店街、そしてNERVへと通うのに不便のない場所を選んで用意されていた。全て碇のMAGIから与えられた情報を基にシンタロウが計画したことだった。

 山岡家には、シンジたちよりも八つ年上であり大学卒業を機に第3新東京市へ戻ってきたアヤネという名の姉がいるという設定になっている。彼女は花嫁修業の一環という設定で、離れて暮していたルナ、リナ、カホルの姉妹を呼び寄せて同居すると共に、妹たちとシンジの保護者役を演ずることになる。本来は碇家の侍女の一人であり、以前から彼らと生活を共にしている。

「実験開始」

 綾波レイによるエヴァンゲリオン零号機の再起動実験は、ゲンドウの指揮によって執り行われていた。

「主電源全回路、接続」

「主電源接続完了。起動用システム、作動開始」

「稼働電圧、臨海点まで、後0.5……0.2……突破」

「起動システム、第2段階へ移行」

「パイロットとの接合に入ります」

「シナプス挿入、結合開始」

「パルス送信」

「全回路正常」

「初期コンタクト、異常なし」

「オールナーブリンク、問題なし」

「チェック、2550までリストクリア」

「第3段階への移行準備を開始します」

「2580までクリア」

「絶対境界線まで、後、0.9、0.7、0.5、0.4、0.3……突破。エヴァ零号機、起動しました。シンクロ率、31.3%。ハーモニクス、全て正常値。暴走、ありません」

「それでは引き続き、連動試験に入ります」


「で、どうなの?」

 前回の実験で暴走を起こした零号機の再起動実験。ミサトにとって、この実験は今後の使徒戦にエヴァンゲリオンを戦力として数えられるかどうかという重要な問題の鍵である。現時点で初号機は未だ凍結中であり、シンジが第3新東京市に来ていることを知らされていても、初号機を戦力として数えることは彼女には許されていなかった。

「正直に言って、綾波レイの零号機が実戦に耐えられるかどうか判断できるだけの材料を私たちは持ち合わせていないわ。綾波レイのシンクロ方法とドイツのセカンドチルドレンやシンジ君のシンクロ方法とは異なっているの。セカンドやシンジ君のやり方の方が本来期待されていたシンクロ方法だった。でも真の適格者は十年前にセカンドチルドレンが見つかるまで一人も見つからなかったわ。それで、提案されていた次善のシンクロ方法が採用されることになっていた。その適格者がファーストチルドレンの綾波レイ」

 リツコは最近の自分の困惑を吐露するように言った。彼女にはレイがリリスの化身であるというNERV本部の最重要機密を知らされていない。ゆえに、彼女は零号機のコアにはレイの近親者が宿っているものだと信じていた。彼女にとってみれば、レイの過去に関する情報が全て抹消されていること自体がその事実を補強しているように見える。

「どう違うの?」

「あなた、資料はちゃんと読んでる? 資料を読んで理解できない所があるというのなら説明するわ。でも一から全部なんて説明する暇ないわよ」

 ミサトの軽い相づちに、自分が彼女には話せないレベルの機密に触れそうになっていることに気付いたリツコは、咄嗟に誤魔化しを言った。

 一方のミサトも、苦笑いで答える。彼女には自分の職分である資料の読解をサボる癖があるのだ。

「それなのに、綾波レイと同じ方法で初号機にシンクロすると期待して呼び出したシンジ君は予想に反して真の適格者だった。この十年で二人目。一人目はドイツだったから私たちにはあまり詳しいことが伝わってきていないの」

「縄張り争いってわけ?」

「それもあるけど、二人目が見つかるとは考えられていなかったことが大きいわね。それにドイツでも真の適格者に関しては結局のところ理解できていないのではないかという疑いもあるの」

「で、それが、レイがどのくらい戦力になるか解らない理由って事?」

「そういうこと。シンクロ率という数字によって、綾波レイがどれくらいエヴァを自分の体と同じように感じて動かせるかということを計ることはできる。でも、31.3%という数字がどれくらいの戦力を与えるかについては、現在我々の持っているデータからは計算できない。真の適格者による戦力が彼女のシンクロ率100%と同じと言って良いのかすら解ってないもの」

「やってみなきゃ、解らないって事か……」

ばさばさばさっ

「うわっ、さっすが私のシンちゃんね♥」

「リナだって他人のこと言えないだろ?」

 シンジたちの下駄箱は油断していると直ぐにラブレターで溢れてしまう。朝大量に入れられていた全て手紙を鞄にしまい込んだはずなのに、帰りにはまた下駄箱が溢れている。それは京都時代から続く彼らの日常だった。

 中性的で優しげな面立ちではあるが、シンジは誰もが羨む美少年という訳ではない。しかし、同級生達と比較して美形であることが疑いのないルナやリナ、女子生徒を惹き付ける独特の雰囲気を醸し出していた京都時代の渚カヲルや現在のカホルと常に行動を共にしていることもあり、間接的にシンジの評価も上がる結果となる。

「手紙。同じものが沢山あるもの。要らないもの」

 ルナの下駄箱の状況も変わらない。

「手紙はいいわね。心を震わせてくれる。リリンの生んだ文化の極ね……」

 一方、カホルの下駄箱の状況は他の三人とはやや異なっている。カホルの受け取る手紙の中には、下駄箱に入れられるラブレターにしては分厚いものが何通か含まれているのだ。他の三人は決して返事を出したりしないのに対し、カホルはじっくり読み、時には返事を返す。ただし、それは彼女の琴線に触れたものだけではあったが……。その結果、彼女は奇妙な文通をすることになった。相手は全て女子生徒だった。

 彼ら四人がいつも行動を共にしていることは、既に全校に知れ渡っている。当初は特にシンジが男子生徒の目の敵にされることもあった。しかし、リナが人目を憚らずにベタベタとシンジに纏わりついているにも関わらず、それが余りに子供っぽく見えるせいか、自分たちが目をギラつかせてシンジを羨むことが逆に自己嫌悪を呼び起こす結果となり、今では男子生徒たちも生暖かい目で見守るようになっていた。

――これが世に言う、セカンドインパクトの悲劇であります。えー、その頃私は根府川に住んでおりまして――

 2年A組の数学の授業は、今日も老教師の昔話に突入していた。一方、生徒たちはと言えば、慣れきった様子でざわざわと雑談を始めている。

『ねぇねぇ、あのロボットのパイロットってあなたなんでしょ?』

 そんな中、シンジは自分の端末にチャットメッセージが届いたのを見て考えた。

(何度やってもこれは今日のイベントなんだな……)

 シンジが後ろを振り返ると、彼に向かって手を振る女子生徒の姿があった。

『YES』

どすん、ばたん、えぇぇぇぇぇ!

 シンジの打ち込んだ肯定のメッセージはクラス中に届き、生徒たちは途端に騒ぎだした。

「凄い凄い!」

「どうやって選ばれたの?」

「テストとかあったの?」

「怖くなかった?」

「ロボットの名前は?」

「必殺技とかないの?」

 シンジの直ぐ側に取り付いたのは女子生徒ばかりだったが、その影には眼鏡を怪しく光らせたケンスケの姿があった。

「残念だけど。機密だから答えられないよ。パイロットだっていうのだって本当は機密なんだ。でもどうせ直ぐばれるからね……」

 シンジは質問に答えられない理由を説明したが、結局騒ぎは授業時間終了のチャイムが鳴るまで収まらなかった。


 放課後、皆で帰り支度をしながらの雑談の最中にも、シンジの元には次から次へと客がやってくる。いつの間にか他のクラスにもシンジがパイロットであることが伝わっているらしく、握手を求められたりもした。

 そんな落ち着かない雰囲気の中、NERVがシンジに渡した携帯電話に非常招集を告げるメッセージが届いた。

「これから警報が出る。シェルターから出たりしないでね」

 シンジは周囲にそう言い残すと、一人NERVへと向かった。

うぅーーーーーーーー

「ただいま東海地方を中心とした関東、中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。速やかに指定のシェルターへ避難してください。繰り返しお伝えします――

「目標を光学で捕捉。領海内に侵入しました」

「総員第1種戦闘配置」

 NERVの発令所では、オペレータの報告を受けたコウゾウが戦闘配置を指示した。

「了解。対空迎撃戦、用意」

「第3新東京市、戦闘形態に移行します」

「中央ブロック収納開始」

うぅーーーーーーーー

 非常警報が鳴り響く中、街の中央に位置する高層ビル群が次々と地中へと埋まっていく。一方、人の生活の匂いの濃い周囲の街並には、既に住人の避難が完了しているのか、人影はない。また、周辺の道路は全て通行止めになっている。

「中央ブロック及び第1から第7管区までの収容完了」

「政府及び関係各所への通達終了」

「現在、対空迎撃システム稼働率48%」

「非戦闘員、および、民間人は?」

 周囲の人や物が第1種戦闘配置に就く中、ミサトは指揮官として必要な確認をしていた。

「既に、待避完了との報告が入っています」

 ミサトの質問に答えたのは、オペレータの内の一人であり、肩までのびるストレートの長髪がトレードマークの青葉シゲルだった。


 発令所が戦闘を控えた厳しい雰囲気に包まれる中、メインモニタには海岸沿いを高速に移動する使徒の姿が映っている。使徒は全身が黒色に近い深紫色の烏賊のような形態を持ち、地表から数十メートルという低空を浮遊したまま、第3新東京市を目指し滑らかに侵攻していた。

「六分儀司令の居ぬ間に第4の使徒襲来。意外と早かったわね」

「前は15年のブランク。今回はたったの3週間ですからね」

「こっちの都合はお構い無しか……。女性に嫌われるタイプね」

 ミサトと日向マコトが軽口を叩きあっている中、モニタには、山肌に隠された対空砲などによる射撃を意にも介さずに直進する使徒が映されていた。

「税金の無駄遣いだな」

 コウゾウは、それがNERV自身の持つ対空迎撃システムによる攻撃であることも忘れて悪態を吐いた。

「委員会から再び、エヴァンゲリオンの出動要請が来ています」

「煩い奴らね。言われなくても、出撃させるわよ」

 苛立ちを隠さぬままミサトが返事をする。ケージでは零号機の発進準備が進められていた。

「エントリー、スタートしました」

 第334番シェルターには、シンジのクラスメートたちを含む小中学生や付近の住人らが避難を完了していた。


「シェルター……初めての経験」

 ルナにリナ、そしてカホルは、シェルターへの初めての避難を経験して、僅かに興奮していた。彼女らのシェルターへの避難はヒカリが面倒を見ていた。

 一方、周囲の生徒たちにとっては避難と言っても慣れたものらしく、リラックスした様子で、むしろ授業が中断されたことを喜んでいるようにすら見える。


「うぇ、まただ」

「また文字だけなんか?」

「報道管制って奴だよ。僕ら民間人には見せてくれないんだ。こんなビッグイベントだって言うのに」

 その時、ケンスケは直ぐ上の街で行われようとしている戦闘を間近にいながら見ることの出来ない己の不幸をトウジに訴えていた。

「ねぇ、ちょっと二人で話があるんだけど」

「何や?」

「ちょっと、ここでは……な」

「しゃあないな……。委員長! わしら二人、便所や」

 トウジはケンスケの目配せを受け、男同士二人だけの話をするためにその場を離れる算段を取った。

「もう、ちゃんと済ませときなさいよ」

 初めての避難のため、その場のあらゆるものに興味津々といった雰囲気のルナたちと雑談を交わしていたヒカリは、トウジの訴えに対してわざわざ不機嫌そうな顔を作り対応した。


 ルナたちも当然のことながら戦場の様子は気になっており、碇のMAGIがアンダーグラウンドに流している戦場のストリーミング映像を見たいと思っていたが、転校してきて間もない彼らが、地元の生徒ですらまだ知らないものを嬉々として見始めるわけにも行かず、悶々としながらもヒカリたちとの雑談を続けていた。

(いけない!)

 この戦闘でケンスケとトウジが戦場に出てきてシンジの邪魔をしたという経験をルナが思い出した時には、二人がトイレへ行くと言い残してシェルターの居住区を抜け出してからかなりの時間が経っていた。

「相田君と鈴原君が戻ってこないわ……」

「えっ? 鈴原?」

 ルナの指摘にヒカリが反応し、彼女たちは無駄と思いつつ確認のためにトイレへと移動した。

「扉が開いてるよっ!」

 リナがシェルターの扉が解放されているのを発見すると、ヒカリは「連れ戻さなきゃ!」と外へ出ようとしたが、それをカホルとルナは引き留めた。

「止めておきなさい。今から追い掛けるのは危険よ」

 扉を開けたままにしておいてはシェルターが役に立たないため、カホルたちは扉を閉じなければならない。そして、一旦閉じたシェルターの扉を外から開けることは、何も知らない高々中学生の子供に過ぎないヒカリに出来るような容易な作業ではない。つまりこの場合、外に出た二人を連れ戻すという事自体ヒカリには不可能な仕事なのである。

「あなたまで碇君の邪魔になる……だから、ダメ」

 諦めきれないという顔のヒカリだったが、三人がかりで止められてはどうしようもなく、カホルが改めて扉を閉め直すのを黙って見ていることしか出来なかった。

 ヒカリは溢れ出す涙を堪えることができなかった。

「二人は死なないわ。……碇君が守るもの」

「レイ。出撃。いいわね?」

『はい』

 零号機の発進準備が整ったことを確認したミサトがレイに確認を取ると、レイは不安そうに答えた。レイは、本人の希望とNERV上層部の思惑により中学校に通ってはいない。そのため、彼女の乗る零号機の発進準備は使徒発見直後から行われていた。

「良くって? 敵のATフィールドを中和しつつ、パレットの一斉射。練習通り。大丈夫ね?」

 出撃直前、発進後の指示を出しているのはリツコだった。

『パレットの撃ち方は知ってるけど、ATフィールドを中和しろなんて言われても、やり方を知らない。どうすればいいの?』

「シンジ君からはATフィールドは勝手に展開されたとしか聞いてないの……」

 自分の知らない手順を指示されたレイは質問を返したが、リツコは明確な答を持ち合わせていなかった。初号機が現在凍結中のため、シンジのパイロット就任が決まった後でも、満足な実験が行われていなかったことが原因である。

「パイロットの心拍数増大。アドレナリンの分泌量も増加傾向にあります」

「無理もないわね。初陣ですもの」

 マコトがパイロットの状態を報告するとリツコが感想を述べた。

「そうは言っても、やれると思ってやって貰うしかないわ。いいわね?」

 ミサトは気合いで乗りきれとばかりに叱咤激励する。

(やるしかないのね)

 レイが自らの覚悟を決めたかどうかというタイミングで、ミサトが命令を出した。

「発進!」


 零号機が発進する頃、学校からNERVに到着したばかりのシンジはプラグスーツへの着替えを終え、凍結中のため出撃が見合わされている初号機のエントリープラグに乗り込んでいた。


 丁度地中で零号機の射出が命令された頃、第3新東京市の街中を体を寝かせた体勢で空中を滑るように侵攻していた使徒は、エヴァンゲリオンの出撃を見抜いたかのように移動を止め、戦闘態勢を整えようとしていた。

 使徒は自らの体を直立させると鎌首のような頭部を広げ、頭部の付け根部分の両側から折り畳まれていたT字型の耳のようなものを出現させる。

 やがて、使徒の見つめる先にある警報音を断続的に発生させている射出抗から、全身がオレンジ色に染められた単眼の巨人、レイの乗る零号機が出現した。

 使徒は零号機の出方を伺っているのか、その時点で積極的な行動は起こさなかった。一方、レイは射出されると同時に使徒の姿を捉え、パレットライフルを一斉射した。

ばばばばば……っ

 パレットライフルに装備された劣化ウラン弾の弾着は、使徒の周囲にもうもうとした大量の煙を発生させた。

「馬鹿! 爆煙で敵が見えない」

『馬鹿とは何ですか! 煙が出るなんて、聞いてないわ!』

 思わず冷静さを失ったような悪態を吐いたミサトに対し、レイは正面を切って反論した。

 直後、爆煙の中から光の鞭が現れた。これが使徒による最初の攻撃だった。

 使徒の鞭は零号機の持つパレットライフルを切り裂き、同時に付近の兵装ビルをも切口も鮮やかに真っ二つに切断した。咄嗟にライフルから手を離した零号機に損傷はなかったが、零号機は腰を抜かしたかのように両足を投げ出した体勢で倒れ込まされている。

「予備のライフルを出すわ。受け取って」

 ミサトの指示に合わせて付近の兵装ビルが扉を開き、ライフルを露出させたが、零号機は既に反応できる状態ではなかった。使徒は頭部下の両側の耳のような部分から生えている二本の鞭を、零号機を威嚇するような素振りで振り回している。

 その直後、使徒は鞭による攻撃を続けざまに繰り出した。

 倒れ込んでいた零号機は必死の様相で鞭から逃げるが、零号機の逃走を追い掛けるように繰り出される使徒の執拗な鞭攻撃は、周囲のビル群を次々と破壊し、圧倒的なまでの力を人間たちに見せ付ける。その直後――

「アンビリカルケーブル、断線」

「エヴァ、内蔵電源に切り替わりました」

「活動限界まで、後4分53秒」

 使徒の鞭攻撃が零号機のアンビリカルケーブルを捉えると同時に、発令所内のモニタに映し出された零号機の内蔵電源カウンタはその色を赤色に変え、残り時間5分のカウントダウンを始める。発令所内には危機的状況を報告するオペレータの声が響いていた。

 使徒は零号機の状況を知ってか知らずか、相変わらず鞭を振り回して威嚇を加えつつ直立のまま滑るように零号機に接近し、遂に鞭で零号機の左足を捕えた。

 零号機は鞭に足を取られて転ばされた直後、足を捕えたままの鞭により送り出されるように空中を投げ飛ばされ、山の斜面に打ち付けられた。零号機の直ぐ側には神社の鳥居があった。

「レイ。大丈夫? レイ」

 斜面への激突の衝撃に一瞬意識を失いかけたレイだったが、発令所でその様子を確認したミサトの呼び掛けが効いたのか、直ぐに意識を回復させた。

 しかし、気を取り直したレイの目に飛込んできたのはエントリープラグ内のモニタに映る、二人の少年の姿だった。モニタに映る彼らは零号機の左手の人指し指と中指の間の隙間に丁度収まり、腰を抜かして目には涙を浮かべていた。

(あの馬鹿どもは死にたいのかしら)

 レイが心のなかで悪態を吐くのと同時に、発令所内のモニタでも二人の存在が確認され、更には身元も判明していた。ケンスケとトウジだった。

「シンジ君のクラスメート?」

「何故、こんな所に?」

 ミサトとリツコは事態の急変に、未だ使徒との交戦中であることを一瞬忘れていた。

 使徒は山の斜面で動きを止めている零号機に向かい、再び体を倒した体勢で空中を移動していたが、左右の鞭を振り回す威嚇行動は相変わらず続けている。

 使徒は零号機を間合いに捕えると即座に右の鞭を打ち付けたが、零号機はそれを右手で掴み止めた。その直後から零号機の右手はチリチリという音を立てながら使徒の鞭の持つ力により焼かれ続けていた。地面に付いた左手には相変わらず腰を抜かしたままのケンスケとトウジの姿が見える。

「零号機、活動限界まで、後3分28秒」

 マヤの報告を機に、鞭を掴んだまま動けない零号機の様子を見つめていたミサトが決断を下す。

「レイ。そこの二人を操縦席へ。二人を回収した後、一時退却。出直すわよ」

「許可のない民間人を、エントリープラグに乗せられると思っているの?」

「私が許可します」

「越権行為よ。葛城一尉」

 ミサトの下した指示にリツコが反論を加え、そのまま口論に発展するかに見えたが、時間はそれを許さなかった。

「零号機、活動限界まで、後3分」

「エヴァは現行命令でホールド。その間にエントリープラグ排出。急いで!」

 改めてミサトが指示を出すと、零号機の延髄部分からエントリープラグが排出された。

「そこの二人、乗って。早く!」

 プラグ排出を確認した直後、ミサトは零号機の外部スピーカーを用いてケンスケとトウジに指示を出した。

「神経系統に異常発生」

「異物を二つもプラグに挿入したからよ。神経パルスにノイズが混じってるわ」

 マヤとリツコはケンスケとトウジがエントリープラグに乗り込んだ後の、零号機の状態を考察している。

「今よ! 後退して! 回収ルートは34番。山の東側に後退して!」

 再起動を果たした零号機が、右手に掴んだままであった鞭を引き寄せて勢いをつけ、使徒を放り投げると同時に立ち上がったのを確認すると、ミサトが零号機に撤退を指示した。

 零号機は指示通りに撤退を開始したが、神経系統の異常のため通常よりも遥かにその動きは鈍い。悪いことに活動限界までの時間も残り一分を切っていた。

 そして、必死の撤退行動も空しく、山の斜面で活動限界を迎えた零号機はその場に倒れ込んだ。


「現時刻を持って初号機の凍結を一時解除。出撃準備を急ぎたまえ」

 ミサトが零号機に気を取られている裏では、コウゾウが新たな指示を出していた。

「シンジ君。またいきなりの出撃だけど。大丈夫ね?」

『ダメと言っても出すんでしょ?』

「ごめんなさいね。私たちには他に取りうる手段がないの」

『まぁ、これも契約ですから、構いませんよ』

 シンジの乗る初号機の出撃準備が整い、リツコはシンジに出撃前の意志確認を取っていた。

 シンジもエントリープラグ内のモニタで戦況は確認していた。

(やっぱり撤退は無理だったか。昔、命令無視したのは僥倖だったってことか)

 シンジは、過去の三回の経験でいずれの場合でも撤退命令を無視して使徒に特攻を掛け、撃退してきた。初号機と零号機の違いがあるとは言え、自分の過去の選択が正しかったことを再確認させられた気分だった。もっとも、過去の選択はそのような理性的な判断の基で選んだものではなかったが……。

『で、出撃したらどうするんですか?』

「敵のATフィールドを中和しつつ、パレットを撃って。爆煙に気を付けて」

 シンジがミサトに戦術の確認をすると、ミサトは未だパレットライフルでの攻撃に拘っていた。

『それって効くんですか? それに、鉄砲なんて撃ったことありませんよ』

「うっさいわね。今は時間がないの! あなたには私の命令を聞く義務があるの。いいわね」

 ミサトはシンジの反論を許さなかった。

「発進!」


 活動限界を迎え、山の斜面に横たわった零号機は使徒の気を惹くこともできなかった。

 零号機の活動停止後、使徒は興味を失ったかのように再び第3新東京市の中心部を目指して侵攻を再開し、そして、初号機が地上に射出された瞬間には、使徒はまたも初号機の出現を待ち構えていた。

 シンジは、使徒の初号機の出方を伺っているかのような隙を見逃さず、使徒を照準で捉えるとパレットライフルを間欠的に発射した。

『目標をセンターに入れてスイッチ』

 思わず懐かしいセリフを言ってしまったが、それは誰にも聞き咎められることはなかった。シンジはまだエヴァンゲリオンの操縦に関する訓練を受けていない。そのため、エントリープラグ内のトリガーによって銃火器の操作を行うインダクションモードと呼ばれるモードでの操作を行える道理はないはずだった。

『これって、効いてるんですか?』

 シンジは効かないことを知っていたが、念のため通信で確認を取った。即座の反応はなかった。

 直後、初号機が肩からプログレッシブナイフを取り出し右手に装備する場面が発令所のモニタに映し出された。

「プログレッシブナイフ、装備」

 マコトの報告を聞いたミサトは狼狽を隠さずに口走った。

「ちょっ、シンジ君。待ちなさい」

『待てません』

 既に初号機は、ナイフを装備した右腕を使徒から隠すように半身で構え、使徒の鞭攻撃を待ち構えている。

 その直後、使徒は初号機に向けて左右の鞭を同時に打ち込んだ。

「初号機、ATフィールドを展開」

 マヤが報告する間に、初号機はATフィールドを使い、向かって右の鞭を体の外へと受け流しつつ、左の鞭を左手で掴み取り、その流れのままエヴァンゲリオンの腕力にものを言わせて、掴み取った鞭を引き付け、使徒の本体を引き寄せた。

 更に次の瞬間には、初号機はナイフの間合いに引き込まれた使徒のコアにナイフで斬り付ける。シンジは相手の体勢が崩れた瞬間からATフィールドをナイフを持った右手に集中させていた。

 ATフィールドを纏ったプログレッシブナイフ、いやむしろ正確には、プログレッシブナイフでカモフラージュしたATフィールドの刃による一閃で、使徒はコアを中心とした上下二つに切り放された。


 使徒の鞭は二本。ATフィールドで正面から弾き返すのは難しくても、ATフィールドで鞭の軌道を逸すことならできる。一本を逸し、もう一本を捕まえることができればその瞬間、使徒は丸腰になる。後は勝機を逃さずにコアを攻撃する。

 ――これがシンジの考えていた戦術だった。それは、片方の鞭を捕まえられるかどうかという賭であり、最近のシンジはこの使徒との戦いの決着についてイメージトレーニングを繰り返していた。

 そして、シンジは賭に勝った。

かな、かな、かな、かな、かな……

 後には、夕焼けを背景にして、ナイフを持った右腕を振り切った体勢で使徒の残骸を見下ろす初号機が佇み、周囲には蜩の鳴く声が響いているだけだった。


「目標は、完全に沈黙しました」

 マコトによる使徒殲滅の報にも、発令所に漂う重苦しい雰囲気は晴れなかった。

 大部分の所員はただその結果に呆気に取られていただけだが、一部の所員はシンジの扱う初号機に恐怖を感じていた。

『それで、僕はこれからどうすればいいんですか?』

「そのまま零号機を回収して、34番から撤収してちょうだい」

 とうに緊張を解いていたシンジの質問にようやく答えたのはリツコだった。

 ケージへの撤収後、シンジがシャワーを浴び、学校の制服に着替えてからブリーフィングルームへと向かうと、そこではミサトとレイが口論を繰り広げていた。

「大体、馬鹿ってのは何ですか? あなたはライフルの弾が使徒に当たったら煙が出ることを知っていたってことですよね? 何故それを予め教えてくれなかったんですか?」

「知らなかったのよ」

「それじゃ、自分の無知を棚に上げて私を馬鹿呼ばわりしたって事なのね」

「だってあれはリツコの指示よ」

「戦闘指揮はあなたの職責のはず。赤木博士が指示するのを黙って見逃した以上、あなたが許可を与えた、つまり赤木博士の指示はあなたの指示そのものだったということになるわ」

「うっ、そりは……」

「それに、あのシェルターを出てた馬鹿どもは何?」

「あの餓鬼どもが勝手に抜け出したんだからしょうがないじゃない!」

「しょうがないなら、何故プラグに入れろなんて指示を出すのよ。私が病気になったりしたらどう責任取るつもりだったの?」

 全身泥まみれの人間をLCLに満たされたエントリープラグ内に持ち込むことは、呼吸器系を完全にLCLに委ねているパイロットの健康に直接の影響を与えかねない。また、エントリープラグに異物を入れることで神経接続に影響が出るため、それだけで戦力の大幅ダウンになる。それら全てをミサトは理解していなかった。

「見捨てたりしたら、あなただって寝覚めが悪いでしょ?」

「自業自得でしょう?」

ぱしんっ

 ミサトの平手がレイの頬を打った。

「あなた、あの二人を助けたことで、飢餓で苦しむ見知らぬ何百、何千という人たちが余分に餓死することになるってことを理解しているの? 目の前の二人を見捨てる寝覚めの悪さからあなたが逃れるためにしたことが、どういう影響を持つのか知りなさい!」

 レイはミサトの平手打ちにも負けずに言い返した。

(うわぁ、本当にこれが綾波なの? 怖っ)

 シンジがこのレイと直接見えたのはこれが初めてだった。第3の使徒サキエルとの戦いの時は、ストレッチャーに乗せられたレイが目の前を通過するのを眺めていただけであったし、その後彼は京都に帰っていた。また、レイは中学校に通っていないため、そちらでも接点がない。その上、初号機凍結の影響でNERVでの実験にもシンジは参加していなかったからである。

 その時、シンジの入室に気付いたミサトはレイの視線から逃れるようにシンジに声を掛けた。

「あら、シンちゃん。ご苦労様。格好良かったわよん」

「で、トウジとケンスケはどうなりました?」

 シンジは、行方が気になっていたトウジとケンスケについて尋ねた。

「あの糞餓鬼たちは、別室でお説教中よ。きっと一晩は帰れないわねん」

 それが当然である、良い気味だという雰囲気で言うミサトにシンジは嫌悪感を隠さずに言った。

「彼らが何をしたと言うんですか? せいぜい非常警報が出てる中、彼らの知らされていない未知の危険に彼ら自身を晒したというだけのことですよ。それなら、親が子を危ないことをするなって叱る程度が妥当でしょう? NERVで一晩拘束ってのはやり過ぎです」

 トウジとケンスケは、シェルターの扉は開けたまま放置したことで他の避難民を危険に晒すという罪も犯したが、現実には発見直後にカホルたちの手により扉は閉められた。そのため、この点が問題になることは最後までなかった。

「あの子たちは使徒との戦闘を邪魔したの。利敵行為と言っていいわ。人類に対する反逆よ」

「彼らは外で使徒との戦闘が行われていることも、NERVが使徒に破れたらサードインパクトが起こるなどとも教えられてません。それが自分たちの危険以上のものをもたらしかねないということを彼らが知らされていない以上、彼らに責任を取らせるのには無理がありますよ」

「彼らの親御さんはNERV職員よ。知ってたはずだわ」

「使徒との戦いのことなんかは、NERVが、そして政府やマスコミがこぞって隠していることです。あなたは、職責として機密を守るべき職員が家族にだけは機密を話しておくべきだとでも言うんですか?」

「馬鹿どもは放っておけば良かったのよ。エヴァと使徒との戦闘で足下に子供の一人や二人がいたからって、別に邪魔にはならない。むしろ、あなたが彼らを助けようとしたことが利敵行為と言えるわ」

 先ほどまでの口論の続きとばかりにレイも口を出した。レイも本心では彼らを見捨てるべきだったとまでは考えていなかった。それは現場で自らが身動きを取れなかったという事実にも現れている。しかし、売り言葉に買い言葉。ここは攻め時であると判断したレイは自分の心を隠しながら論理的な反論をした。

「危険なだけじゃないわ。彼らは機密を見たのよ。こういう組織では機密保持は重要なの」

 ミサトは自らが薮をつついたことに気付き、論点をすり替えた。

「お前は見てはならぬものを見てしまった。生きては帰さんってわけですか……。まるでテレビ番組の悪役ですね。機密保持の問題というのなら、シェルターの管理が甘かったことを問題にすべきです。彼らは非常時のシェルターの外に見てはならないものがあることは知らないんです。非常時でさえなければ誰でもいられる所なんです。有刺鉄線で囲まれた、見るからに侵入者お断りって場所じゃないんですよ? 大体子供二人ごときに抜け出されるなんて……。本物のスパイなら抜け出し放題じゃないですか」

「機密保持を問題にするのなら一晩拘束して帰すなんて甘いことをしてたらダメよ。スパイとしてきっちり処分しなきゃ。それとも何? あなたは彼らに躾をするために、私を、そして、人類を危機に陥れたと言うつもり? あなたの出鱈目な指示で出た被害の責任は誰が取るの?」

「指揮官の失策の責任というのはどう取るべきなんですかね。本当に致命的な失敗をしたときは人類滅亡なんでしょう? それ以外なら指揮官は責任に問われないってことですか? ずいぶんとお気楽な商売なんですね。NERVの指揮官ってのは」

「常に最善を選ぶというのは不可能だとしても、最悪を選んだ時に責任を取らないっていうのは許されないことだわ。今日、私たちが生き残れたのは副司令が初号機の凍結を解除して、この子が巧く戦ったから。葛城一尉。あなたは今日、最悪の選択肢を選んだということ、肝に命じておくべきよ」

 シンジとレイの二人は言いたいことは言い終えたとばかりに、踵を返し部屋を出ようとした。

「ちょっと待ちなさい! レイ、あなた司令のお気に入りだからって調子に乗りすぎよ。それにシンジ君、今日はたまたま勝ったから良かったようなものの、次からはちゃんと指示を待ちなさい」


 シンジとレイはその後、上官侮辱罪で独房に入れられた。

「あなたの責任の取り方。見せて貰うわ」

 これが独房入りを命じたミサトに対するレイの捨てゼリフだった。

to be continued...



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