新世紀エヴァンゲリオン

〜せめて人間らしく〜

第二部

第十三章 観察


「次はW1とW2を同時に」

『こうかい?』

「そうだ。次はもう少し大きく」

『了解だよ』

 NERV本部内のとある実験施設には、その日、ドイツ語でのやり取りが飛び交っていた。


「あの少年が新しいチルドレンですか?」

 実験現場に赤木リツコと共に訪れていた伊吹マヤが疑問を口にする。通常であれば、彼女らが中心となって実験を取り仕切るはずではあるが、この時ばかりは事情が異なっていた。

「そう、彼がフィフスチルドレン。渚カヲル君よ」

 二人の目の前のスクリーンでは、白髪の少年が黒いプラグスーツに身を包みテストプラグ内で静かに目を閉じている。

「フィフス……ですか? フィフスはカホルさんじゃ?」

「予備役編入でナンバーは剥奪ってことらしいわ」

「でも、来日早々、こう実験漬けじゃ何だか可哀想ですね」

「備えは常に必要よ――と言っても、彼にエヴァは用意されていないのだけれど」

「一体何の実験なんですか?」

「知らないわ。模擬体も持ち込んでるのよ、同行してきたドイツの技術者が」

 リツコはそう口にはしたが、ある程度の予測はつけていた。流暢に会話をこなせるわけではないが、大学で学んだドイツ語の知識から、技術者と渚カヲルとの間でのやり取りの一部くらいは彼女にも理解できる。

(何らかの微調整――恐らくダミープラグね)

 リツコは以前持ち込まれたダミープラグに「KAWORU」と記載されていたことを思い出した。

「ここでも、縄張り争いですか?」

「手出し無用……だそうよ」


「ふん。今日はここまでだ」

『ようやく終わりかい。これじゃドイツにいるのと何も変わらないよ』

「寝言は寝て言え。明日もスケジュール通りだ」


「流石は本部のMAGIだ。仕事が速くて助かるよ」

 それまでドイツ語で話していた技術者が帰りしなにリツコに掛けた言葉は英語だった。

「老人たちが動いたな」

ぱちっ

 その日、普段とは異なり雑務に追われていなかった冬月コウゾウは、司令執務室で本を片手に将棋盤に駒を打ち付けながら、六分儀ゲンドウに話し掛けた。

「彼らにも何か気掛かりがあるのでしょう」

 答えるゲンドウは、いつもの通り肘を立てて両手を組み口元を隠す格好で机に着いている。

「あの少年がフィフス――シナリオの修正か」

「チルドレンの番号など些末なこと。敢えて修正するまでもない誤差の範囲だ」

「狙いは別にある……か」

「シンジだろう」

「今シンジ君を狙われると都合が悪いぞ」

「問題ない。命を狙うのであれば、子供を持ち出す必要はない」

ぱちん

「なるほどな」

「フィフスはレイと同じでしょう」

「老人たちはあの少年を使うというのか? それは、些かシナリオから外れすぎてはいないか」

「彼らがシナリオに拘るのであれば、狙いは別にある」

「我々のシナリオはどうなんだ? どう修正する」

「今は待つ時です。いずれリリスは動く」

 二月最後の日曜日。碇シンジたちの姿は、揃って第3新東京市の中心部にあるショッピングモールにあった。

「今週は実験お休みなんだよね?」

 買い物――ウィンドウショッピング――を中断してモール内の小さなカフェで休憩している山岡リナがシンジに掛けた言葉は重要事項を再確認するものだった。

「そうだね」

 シンジたちチルドレンには、毎週NERV本部でのエヴァンゲリオンの起動実験を行う義務が課せられている。相変わらず彼らがエヴァを起動し、操るからくりをNERVの技術者は発見できていないため、最近の実験は有事にエヴァを使えることの確認、ただそれだけのものでしかない。

 ――とは言え、これまでその実験が中止されたことは無い。シンジたちに知らされてはいないが、今週の実験がキャンセルとなったのは、NERV本部で続けられているカヲルの実験の影響だった。ドイツからの出向技術者が彼らの実験に区切りが着くまでの時間を要求し、結果として数日間限りではあるが、実験施設の独占を許されたのだ。

「じゃあさー、みんな呼んでパーティだね」

「パーティ?」

「そ、三月三日は女の子の日」

「女の子の日って何?」

 ご近所のよしみで、同行していた惣流アスカ・ツェッペリンが耳慣れない言葉に反応する。

「えぇー、アスカってば知らないの? 雛祭りよ! ひ・な・ま・つ・り」

「それって、日本の風習か何か?」

「雛祭り――三月三日、上巳の節句に、女児のいる家で雛人形を飾り、菱餅、白酒、桃の花などを供えてまつる行事。桃の節句」

「そっか、ドイツにはないのか。ごめんねアスカ」

「別に、気にしてないわ。帰ったらママに聞いてみる」

「雛祭り。参加するのは初めてだわ」

 山岡カホルもパーティへの期待を隠さない。

「ファーストチルドレン、綾波レイ。会ってみたかったよ。もう一つの可能性というヒトに……」

 来日直前に与えられたNERV本部に在籍するチルドレンの資料で、カヲルが一目見て興味を曳かれたのが綾波レイだった。空色の髪に紅い瞳、そして白い肌。その容姿は、いやがおうにも自らの出自との相似を窺わせる。

 実験に参加していない時間を利用してカヲルはNERV本部内を探り、その結果第5の使徒ラミエル戦で致命傷を受けたレイに対し未だに処置が続けられていることを知った。しかし、幾分かの期待を持って処置現場付近にまで訪れた彼に与えられた現実は残酷だった。

 カヲルは人ならざる身の上であるが故に、他人の存在を五感以外のモノ――ある種のATフィールドで感じ取ることができる。その感覚が教える真実は「綾波レイはもはやここには存在しない」というものであった。


「碇シンジ君。彼にもまだ会っていないし、相変わらずの実験の日々。僕は一体、日本まで何をしに来たのだろうね?」

 来日後も以前と同じように繰り返される日々を過ごしていたカヲルだったが、日曜日には休暇が与えられた。

「無理にスケジュールを捩じ込んだくせに、日曜日はお休みなのかい?」

 ドイツから同行してきた技術者による実験のための時間を作るために、NERV本部では今週のチルドレンの実験スケジュールがキャンセルとなっている。カヲルとチルドレンの顔合わせの予定も来週以降へとずれこむ結果となり、これがカヲルにとって不満であった。

 ドイツ時代のカヲルには休暇と言っても外出の機会はなく、せいぜい自室で音楽を聞いて過ごすのが関の山だったため、与えられる休暇には彼にとっての魅力など何もない。

 しかし、来日して最初の休みであるこの日、彼は唯独りで街を散策していた。特に目的もなく、ただ単純に情報としてしか知らない人類の生活というものをその目で確かめてみたかったというだけで起こした行動だったが、これが彼に一つの機会を呼び込む。

「おや? あれは――

 カヲルの視線の先には、カフェで休むシンジたちの姿があった。


「一体、彼らは何をしているんだろうね?」

 どこからか取り出した黒いサングラスをかけたカヲルがひとりごちる。

「ウィンドウショッピングじゃない? 可愛らしいわ」

「なるほど、あれがウィンドウショッピングというものなのかい」

 カヲルの目の前では、資料を通じて見知った少女たちがちょっとしたアクセサリーの類をとっかえひっかえしてはシンジに見せに戻って来る光景が繰り返されていた。

「女の子四人も連れてるのね、あの子。可愛い顔してやるわね」

「そういうものなのかい?」

「女の子は、誰でも一番でなければ嫌なのよ」

「ふうん。では彼らは何故、欲しいものを買わないのだろう?」

「中学生かな? 幾ら安物ばかりでも、お小遣い足りなくなっちゃうわよ」

 現在シンジたちが訪れている商店はいわゆる貴金属店ではなく、アクセサリーとは言ってもせいぜい銀細工やガラス細工などの比較的安価な商品を取り扱う雑貨屋であった。

 経験が皆無と言って良いだけに自らの金銭感覚には全く自信を持っていないが、少なくともシンジたちの経済状況を完全に把握しているカヲルには、シンジたちの行動を理解できなかった。

「おっと」

 突然カヲルが建物の影に身を潜めると、シンジはそれまでカヲルが立っていた辺りに視線をやり、首をかしげている。

「ところで君は何をしているのかな? 探偵ごっこ? それともスパイごっこかなぁ?」

ぴんぽーん

「はーい、今開けまーす」

 いつものようにシンジたちと共に下校し、着替えなどのために一旦自宅へと戻っていたアスカが山岡家の呼び鈴を押すと、保護者である山岡アヤネもしくはリナが応対することの多い日頃とは異なり、シンジが応対した。

「あんた、何でそんな格好してんの?」

 玄関のドアを開けアスカの前に姿を現したシンジは、黒のスラックスに糊の効いた白のシャツ、黒のベストに赤い蝶ネクタイといった様相である。

「今日は女の子の日だからね、昔から碇の家では男はおさんどんと決まっているのさ」

 シンジの様子を下から上までたっぷりと眺めた後に、アスカはにやりという笑い顔を浮かべ、持参した胴の太いボトルをシンジに託した。

「じゃ、これ冷やしといて」

「何これ?」

 大きな横文字の書かれたボトルを受け取ったシンジがアスカに尋ねると、靴を脱ぎ専用のスリッパに履き替えたアスカは、それに答えながらリビングへと向かった。

「ネクター。ママに貰ってきたの」


「あ、アスカいらっしゃーい。早いね」

 リビングに入ってきたアスカを迎えたのはリナ。自分の隣のクッションをぽふぽふと叩きながら、アスカに声を掛けている。

「ま、同じマンションだし、独りで家にいてもすることないから」

 この日は平日なので、皆中学校で昼食は済ませている。そのため、パーティは夕食時を中心とするように催されることになっており、他の参加者が訪れるまでまだまだ時間はある。

「碇君。アスカにお茶」

 今日に限っては、山岡ルナも当然のようにシンジを働かせている。

 アスカがリビングに落ち着くと、ほどなくしてシンジはティーポットとカップやソーサーを載せた盆を持ってリビングへとやってきた。玄関でアスカを出迎えた格好に加え、腰から下に白いエプロンを着けている。

「アップルティをどうぞ、フロイライン」

「何それ! フロイラインって、うぷぷっ」

 何やら気取った雰囲気を醸し出すシンジに、アスカは込み上げる笑いを堪えきれなかった。

「あの……シンジ様、後は私が――

 本来、碇家の侍女であるアヤネには、シンジを働かせて自分が休んでいるという状況は流石に落ち着かない様子で、腰を浮かしかけるが、それはリナに阻まれた。

「今日はシンちゃんの仕事なんだから、盗っちゃ駄目だよアヤネさん」

「それでは、ごゆっくり」

 アスカのお茶を注ぎ終えると、シンジは盆を片手で腰の横へと抱え、片足を軽く引き、空いた片腕は腹の前で横に折り曲げ、軽く頭を下げる芝居がかった礼の後にキッチンへと下がっていった。

「ふぅん、今日はそういう趣向なの……」

「ああいうシンちゃんもイイよね♥」

「こうしてシンジ君にもてなされるのは初めてだわ。歓喜に値するわ」

 カホルのこの言葉を聞いたアスカは、何故だか知らぬが喉元がムズムズするような感覚を受けた。

「ねぇ、カホルだってずっと一緒に住んでたんでしょ? なんで初めてなの?」

「女の子だけのお祭りだから参加するのは初めてだわ」

 アスカは突然立ち上がると、左手を腰にやり右手でカヲルを指差しつつ叫んだ。

「あーっ! そういうことだったの。ついに、本性を表したわね!」

「何のことかしら?」

「ずうーっとおかしいと思ってたのよ。あんたそんな格好してるけどフィフスね?」

「そう。私がフィフスチルドレン、山岡カホルよ。もう予備役扱いだけれど」

「だぁーっ、ちっがーう。そのフィフスじゃなくてあのフィフスよ!」

「弐号機パイロット、少し落ち着いたら? 意味が解らないわ」

「だから、あんたがファーストな時のあのフィフスがカホルに化けてるのよ!」

「……」

「……」

「……」


「もしかしてアスカ、今まで気付いてなかったの?」

 騒ぎを聞き付けてやってきたシンジが声を掛けるまで、リビングは完全な静寂に包まれていた。

「中学生で性転換なんて日本は進んでるのね」

「アスカってば……」

「んー? てことは、ルナがファーストでカホルがフィフスで……リナ、あんたって何者?」

「良く解んないけど、リナはエヴァ初号機なんだって」

「しょっ、初号機?」

「そうよ。私も多分、昔は初号機だった」

「何で、エヴァがあんたたちみたいになるのよ!」

「解らないわ」

「じゃ、カホルは何号機? てゆーか、もしかしてあたしって弐号機? でも、弐号機はママだから……。あれ、じゃあパパは何号機?」


――で、シンジのママが初号機なんだから、リナはシンジのママ?」

「おーい、アスカー、アスカってばー。戻って来ーい」

 妙な思考のループに填り込んだアスカを最初は面白そうに見ていたリナだったが、暫くして飽きてくると、両手でアスカの肩を揺さぶった。

「アスカは元々人間だよ。ご両親の顔、知ってるだろう?」

 ようやく正気に戻ったアスカにシンジが事実を伝える。

「じゃ、カホルは?」

「今のカホルやルナの存在は微妙でね、僕たちの前の人生では存在しなかったヒトなんだ。記憶や経験は前のカヲル君や綾波なんだけどね」

「じゃ、あのフィフスは?」

「前のカヲル君は人型の使徒として造られた。セカンドインパクトの時に、そのために用意されていた体に憑依したんだよ」

「どういうこと?」

「SEELEはそうやって人型の使徒が造れることを知っていたんだ」

「他にも沢山いるの?」

「カヲル君だけみたいだね」

「何でそんなこと解るのよ」

「僕の中に記憶されてる。どこかに記録もあるはずだよ」

「あぁ、そう言えば昔そんなこと言ってたわね」

「でも、何故か綾波のことは解らない。綾波は突然現れた存在みたいだ」

「碇君がこの世界を創った時、私たちは水槽の中にいた。だから、あの時点で綾波レイの体は用意されていたはず」

「ちょっと、水槽に体が用意されてたって何よ! あんた初号機じゃなかったの?」

「前の時は知らなかったもの」

「これは僕の推測だけど、前は元々初号機だった綾波の魂みたいなモノが何らかのきっかけで、水槽の中の綾波の体に移ったんだ。でもそれは人間が予定していた出来事ではなかった。おかげで、人類の誰一人として綾波の真の正体を知らなかったってことなんだと思う」

「じゃあ、なんであんたには解るっての?」

「この世界で目覚めた綾波が最初に初号機に入ったんだ、その時に中にいたのがリナ。母さんの実験の前からいたんだから初号機そのものと言ってもいいよね?」

「その時私は自分が初号機だったと解ったわ」

「後は僕がリナに人の形を教えてあげて外に連れ出したのさ」

「同じ時に私の髪や瞳の色も碇君に変えて貰ったの」

「その髪って、染めてるんじゃなかったの」

「体の形はATフィールドが決める。心次第でどうにでもできるわ」

 カホルの言葉を聞き付けたアスカは暫くカホルの顔を眺めていたが、話を元に戻した。

「で、水槽ってのは何?」

「NERV本部には綾波のクローンが沢山入ったLCLの水槽がある」

「クローンですって! じゃあ何、ファーストって5つ子ちゃんみたいに沢山いるの?」

「魂の入った動く綾波は同時には一人しか存在しない。一人が死ぬと、次が自動的に起きるみたいだよ」

「どういうこと? 羊とかのクローンって普通に生きているじゃない。人間だけ特別って事はないはずよ!」

「綾波の体は人間の体と同じじゃないんだよ。第2使徒リリスが組み込まれている。僕の中に答はないから、多分人類の知識には存在しない事実なんだろうけど、そのリリスの要素が綾波たちを普通のクローンとは違ったものにしてるんだろうね」

「組み込まれているのが第1使徒アダムという違いはあるけれど、渚カヲルの体も似たようなものね。SEELEの研究所にあるLCLの水槽の中に沢山あるわ。ただ、死んだからといって次のが目覚めるなどということにはならないけれど」

「ん? 何でファーストはリリスじゃなくて初号機だっていう結論になるの?」

「零号機にも似たような存在がいるからだよ」

「私の妹だよね。早く会いたいなー」

「リナに会うまで、あのヒトは一人目の私だと思っていたわ」

「一人目ってどういうこと?」

「アスカが知っていた綾波は二人目なんだよ。第16の使徒相手に自爆して死んだのが二人目、その後助かったといって僕の前に現れたのが三人目の綾波。一人目はもっと昔に死んでる」

「私、碇君に避けられていたわ」

「その頃だよ。リツコさんに綾波の水槽を見せられたのは。僕を忘れてしまったという綾波が怖かったんだ……」

「あの頃のシンジ君は、人と触れ合うことに恐怖を覚えていた。でも、今でもガラスのように繊細なままだわ、シンジ君の心は。本当に好意に値するわ」

「思い出してみれば、リツコさんも本当のこと知らなかったんだ……」

 リツコがゲンドウから与えられていたのは、綾波レイたちは碇ユイが取り込まれたエヴァ初号機からサルベージされたものであるという説明だった。奇しくもそれは、ゲンドウらが信じていた、レイの正体はリリスであるという誤解に比べ、レイの正体が初号機そのものであるという真相に近い欺瞞だった。

 ゲンドウがリツコに対し自らの信じる事実を伝えなかった理由は、国際条約で禁じられているヒトクローン関連の研究を他ならぬユイが行っていたという事実と、リリスが組み込まれているとは言えレイがユイのクローンであるという事実を隠蔽するためであった。ユイとレイの相似については、初号機からサルベージされたモノだからという欺瞞により説明づけていた。

「弐号機にはいないわよね?」

「弐号機にも参号機にもそう言った存在はいないわ。きっと、リリス由来のエヴァンゲリオンの特徴なのね」

ぴんぽーん

 話に一段落着き、キッチンへと戻ったシンジを除いた面々でいつものような雑談を続けていると、来客の呼び鈴が鳴った。


「お嬢様方、パーティの会場はこちらです」

 シンジにエスコートされてリビングへと入ってきたのは、洞木ヒカリとその妹洞木ノゾミ、そして鈴原トウジの妹でノゾミと同級生の鈴原ナツミであった。

 ヒカリだけは、妙に畏まった雰囲気のシンジにあてられて、どことなく落ち着かない様子だが、フリルの付いた淡い色合いの他所行きの洋服で着飾った年少の二人はニコニコと笑顔を振り撒いている。

「トウジとケンスケはこっちだから」

 女性客をリビングへと案内した後、シンジはトウジと相田ケンスケをキッチンへと連れ込んだ。

「わしらパーティには出らんのか?」

「今日は女の子の日だからね、僕たち男はおさんどん。さ、これを着けて」

 トウジの質問に返事をしつつ、シンジは用意しておいたエプロンを二人に手渡した。

「ジャージはないんじゃないか? トウジ」

 大人しくエプロンを着けるトウジを見てケンスケは感想を述べる。

「やかましわい。これはわしのポリシーちゅうやつなんや」

「ケンスケの迷彩服も合わないと思うんだけど?」

「何言ってんだよシンジ。これはね、最新のC−12型都市型迷彩。パーティの黒子みたいな役割にはピッタリじゃないか!」

「……ふぅ」

 シンジは溜め息を一つ吐くと、料理を運び出す準備を始めた。


「なぁせんせ。わしも腹減っとんのやが……」

 揚げ物やサラダ、カナッペなど最初の料理をリビングへと運び終えたトウジはシンジに空腹を訴えた。既にパーティは始まっているが、キッチンでのつまみ食いはシンジに止められ、会場でも女性たちに咎められた結果、彼はいまだに何も口にしていない。

「仕方ないなぁ。取り敢えずこれでも食べててよ」

 恨めしそうに空腹を訴えるトウジに対し、シンジは巨大な瓶詰を取り出した。

「何やこれ?」

「麦チョコ。先月アスカに貰ったんだけど、中々減らなくてね」

 シンジは既に、次の料理の準備に取り掛かっている。といっても、下拵えなどはアヤネの手によりほぼ完了している。

 次に出すのは、直径25センチの丸いケーキ型に酢飯と具材を交互に幾層にも重ねた押し寿司風ライスケーキである。間に挟み込まれた具材は下から順にほうれん草のソテー、鳥そぼろ、海苔、鮭フレークとなっており、最上段に錦糸玉子が載っている。

「なんや、ごっつうまそうやな」

「悪いんだけど、これ八等分以外に切り分けるの難しいからトウジの分は無いよ」

 パーティに参加している女性たちは、山岡家の四人とアスカ、ヒカリ、ノゾミ、ナツミで丁度八人だった。

「そらほんま殺生やで」

 シンジは既に八等分したライスケーキを皿に取り分け、蟹肉と蒸した小海老、そして少量のイクラをトッピングとして最後の飾りつけをしている。

「残り物でちらし寿司っぽいのは作れるから、後でね」

「わいの分もあるんか! 流石せんせや!」

 ひとまず目先の食糧が確保されたことで安心したトウジは、先程与えられた麦チョコをポリポリと齧っている。開口部に直接手を入れられるほどに巨大で透明なガラスの瓶の中は、まだ八割方麦チョコで占められていた。

 集光ビルから採り入れられた外光が茜色に染まり、密閉された地下空間であるジオフロントに夕刻を知らせている。

ぺしっ、ぺしっ

「こいつは中々良い出来だ」

 目の前の畑に実ったスイカの実を掌で軽く叩いていた不精髭の男、加持リョウジは立ち上がると満足気な表情を見せた。

 脇にはむしったばかりの雑草が小さな山を作っており、畑に残る緑の葉には、浴びたばかりの水滴が残っている。


「ジオフロントに農民がいるとは知らなかったよ」

 突然話し掛けられたリョウジは、それまで全く気配を感じさせなかった相手を警戒しつつ、声の聞こえた方向へと体を向けた。

「はははっ、こいつは俺の趣味でね、プロフェッショナルの仕事ってわけじゃない。残念ながら農民ってのはちと違うな」

 声の主が少年であることを知ったリョウジは、警戒は解かないものの気さくな雰囲気で言葉を返す。

 リョウジは少年を知っていた。少年は、先週ドイツから技術者を伴ってNERV本部へとやってきた新しいチルドレンである。リョウジの知る限り、少年と技術者の両方共にNERVドイツ第3支部の名簿に載っていない人物であり、SEELEから送られてきた者たちであるとすることは、彼にとって自然な推論だった。しかしその事情をSEELEが彼に説明していないからには、SEELEはそれが彼に知らせるべき情報であるとは考えていないということである。

「これが趣味かい。リリンとは本当に興味深いものだねぇ」

「ものを育てるのはいいぞ。それまで見えなかったことが見えてくる。楽しいことも――

「辛いこともかい?」

「辛いことは嫌いかい?」

「好きなヒトがいるのかい? あぁマゾヒストというものだね」

「ふっ、そうか俺はマゾか。いやいや違いない」

「あなたはマゾなのかい?」

 イタい人を見るかのような少年の視線に耐えられなくなったリョウジは、話題を変えた。

「ところで君は――

「カヲル。渚カヲル。仕組まれた子供、フィフスチルドレンさ」

「それじゃ、カヲル君。君はこんな所で何をしているんだい?」

「散歩だよ。単なる暇潰しさ」

「上の街なんかには興味ないのかな? ドイツから来たばかりなんだろう?」

「勿論興味はあるよ。でも日曜日に出掛けてみたんだけどね、知らない女性に捕まって一日引きずり回されて懲りたのさ。せっかく碇シンジ君を見掛けたから友達になろうと思ってたのにね」

「シンジ君たちとはまだ会ってないのかい?」

「彼らの実験をキャンセルさせてまで、毎日実験ばかりしてるからねぇ。まだ紹介して貰ってないよ。会いに行く機会もあれから無いしね」

「会ってみたいかい?」

「勿論だよ」

「ライスケーキをお持ちしました」

 パーティ会場となっているリビングへと再びやって来たシンジは、そう言うと静かに給仕を始めた。

 トウジとケンスケもシンジに続く。最初の出番で彼らは普段と変わらない態度だったため、女性たちから空気を読めと非難囂々だったが、二度目の出番ではなんとか役目を全うすることができた。

 三人は来客席から順に廻り、ライスケーキと焼きなすの小鉢、湯葉のお吸い物をそれぞれの前へと並べていく。

「うわぁ何やこれ、えらい可愛いらしぃなぁ」

「うん、おいしそうだね」

 ナツミやノゾミは初めて目にする料理に目を輝かせている。

「シンちゃん、これ作ってくれたんだね」

 酢飯のライスケーキは京都の碇本家におけるパーティでの子供向け料理の定番であり、リナもお気に入りの一品だった。

「碇君、これもう下げてくれる?」

 シンジたちが今回の分の給仕を終えたところで、ヒカリは最初に出された大皿を指し示した。大皿には揚げ物やカナッペの残りが整然と配置されており、とても食べ残しとは思えない。

「良かったなぁ、バカ兄貴。ヒカリ姉ちゃんに、ちゃんと礼を言っとかなあかんで」

「ほうか、おおきにいいんちょ」

 トウジは先程つまみ食いの許されなかった料理が、残り物としてではあっても自分の元にやってくることを知り、妹からバカ兄貴呼ばわりされたことを気にもせずホクホクした顔でリビングからキッチンへと下がっていった。

「せんせ、こらほんまうまいで」

 ライスケーキなどの給仕を終え、ようやく食事らしい食事にありついたトウジは脇目も振らずに箸を動かしている。

 皿の中身は酢飯の上に、パーティに出したライスケーキの残りの具材を載せたちらし寿司風のものであった。食卓には、パーティ会場から下げてきた揚げ物の残りやサラダなどもある。

「なぁシンジ。このイクラとか蟹ってもしかして本物か?」

 同じものを口にしたケンスケは、訳知り顔で尋ねた。

 セカンドインパクトの影響で日本が常夏の国となったことと関係し、周辺海域の生態系も以前とは完全に様変わりしている。その結果、現在の日本周辺には鮭は棲息しておらず全て輸入に頼っている。鮭フレークのような加工品は輸入食品としては比較的安価に入手可能だが、生のイクラなどはもはや庶民の味とは程遠い貴重品と化している。蟹についても事情は似ており、水温の低い海域に生息する種類の蟹はもはや日本の食材とは言えない。

 食糧危機への対策や技術革新の結果、以前から存在した人造イクラや蟹フレークといった食品がその完成度を高めて庶民向けの市場に出回っており、現在では余程の食道楽の人々を除くと本物を口にする機会は少なくなっている。

「偽物なんてあるの?」

 現在の山岡家ではアヤネがキッチンを預かっているため、シンジが食材の買い出しに出掛ける機会は皆無と言って良い。また、葛城ミサトと同居していた過去の経験では日常的におさんどんを勤めていたシンジではあるが、イクラや蟹の類を買い求めた経験はなかった。そのためシンジは偽物の存在を意識したことがない。

「本気で言ってるのか?」

 ケンスケは呆れたような顔を見せたが、貴重な食品をより一層味わうことに集中した。

 現在の山岡家の食卓にそれらの食品が載るのは、ルナの好物であるからという理由である。人外となった結果、食事という行為に楽しみ以外の意味を持たなくなった彼らは本物の食道楽であった。


「シンジー、ネクター持ってきて!」

 シンジたちが食事を終え、キッチンでお茶を飲みながら休んでいるところへ、リビングからアスカの声が掛かる。彼らの仕事はまだ終わらない。


「あれ、ケンスケは?」

 アスカの要求に応えたシンジがキッチンへ戻ってみると、ケンスケの姿が消えていた。

「いつの間にやらおらへんなぁ」

「カメラもないね。帰ったのかな?」

「それはないやろ。なんぼなんでも、サヨナラくらい言うてくで」

「デザートをお持ちしました」

 いつまで経っても戻って来ないケンスケのことはさておき、シンジとトウジはデザートの給仕を開始した。

「最後もさっぱり系なのね」

 リナはシンジが自分の目の前に置いたオレンジシャーベットを見てそう言った。

 ナツミとノゾミの年少組二人は、デザートに気付かないまま何故か床に座って話し込んでいる。

「あんたんとこの姉ちゃんは、家のバカ兄貴のどこが気に入っとん?」

「そうなの? 全然知らなかった」

「ガサツやし、気ぃも廻らん。こないだのバレンタインチョコかて絶対気ぃ付いとらんで?」

「お姉ちゃん……」

「あないに可愛く包んであったかて、余りもんのお裾分けなんて言うたらあかん。わざわざ日曜日に家まで届けて貰ても意味なしや」

「やっぱシンちゃんだよね!」

 二人の会話に割り込んだのは、デザートが来たことを伝えるためにやって来たリナだった。

「シンジ兄ちゃんもあかんで。あの歳でハーレムエンド目指しとる。妹萌えのバカ兄貴と五十歩百歩や」

「ルナさんにリナさん、それとカホルさんか……」

 ナツミとノゾミの座り込んでいる目の前には雛人形が飾られている。その雛人形は特別注文の品で、シンジの顔をしたお内裏様の両脇にルナとリナの顔をした二体のお雛様が並んでいる。

「大体やね、シンジ兄ちゃんは可愛い系やからお姉ちゃん方に人気やろ。シンジきゅん言うてな」

「意外とお姉さんたちだけじゃなかったりして!」

 ノゾミが指先で弄り廻している右大臣はカヲルの顔を模していた。

「何でカホル姉ちゃんのはないんやろ?」

「ね、シャーベット溶けちゃうから早く食べようよ。……って、ああ二人とも顔真っ赤じゃない。大丈夫?」

 小学二年生同士の会話に入り込めなかったが、当初の目的を思い出して再び声を掛けたリナは二人の顔を見て心配したが、二人は逞しかった。

「デザートも楽しみやなぁ」

「シャーベットだって。今日も暑いから丁度いいね」


「ねぇアスカ。さっきのやっぱりお酒だったんじゃ……」

 席へと戻ってきた妹たちの様子を見て不安になったヒカリは、少量ではあるが、先程自分も飲んだネクターについてアスカに質問する。

「何言ってんのよヒカリ、あったり前じゃない。ママに聞いたの。雛祭りは女の子が大っぴらにお酒を飲んでパーティをする日だって」

「ドイツではそうなの?」

 面と向かってそれは間違っているとは指摘できないヒカリだった。

「そんなことより、聞こえたわよ。ジャージにバレンタインチョコあげたんだって?」

 アスカはにやりという笑い顔を浮かべつつ話題を変える。

「だから、あれは作り過ぎたからお裾分けだって……」

「あたしにはお裾分けないのかなぁ」

「わざわざ日曜日にお家まで届けるかなぁ」

 今年の二月十四日は日曜日であった。

「ま、何にせよ、餌付け作戦は無事進行中ってわけね」

「プロポーズの言葉も決まりよね。『わし、いいんちょの飯のない人生は考えられへん。一生わしの飯、作ってくれんか?』なーんて、きゃー♥」

 リナによるトウジの物真似を聞いたヒカリは妹たちよりも更に顔を赤くする。

「そ、そう言うアスカはどうなのよ!」

 言葉に詰まったヒカリは、自分が日本のバレンタインデーの習慣をアスカに教えたことを思い出し、逆に質問を返した。

「生憎とお相手がいないのよねぇ」

 最終的にサードインパクトへと至った前回の経験では、葛城ミサトとのよりを戻したリョウジに幻滅し、自分よりもシンクロ率でも戦績でも勝っているシンジの存在が許せず――といった所々の事情により、アスカはこの時期心の余裕というものを完全に失っていた。そのため、日本特有のバレンタインデーの習慣などを知る機会もなかった。

「アスカだって、シンちゃんにあげてたよ」

「だぁっ! あ、あれは、そう、義理よ! 義・理! たかが麦チョコくらいで変に思われたくないわ!」

「誤魔化さなくてもイイのに。アスカだったら混ぜてあげるよ」

「ようやっと終いかい」

 デザートの給仕を終えたトウジは、今日自分に与えられた役割の終了を知り、安堵の声を上げた。手にはパーティに出したオレンジシャーベットの残りから自分の分を確保している。

「うん。後は、手伝って貰わなくても良いと思うよ。ありがとう。助かったよ」

「かめへん、かめへん。飯も食わして貰たし。……しっかし、ケンスケん奴戻ってけぇへんなぁ。ほんま、どこ行きよったんやろ。これも旨いのになぁ」

「まさか、お腹でも壊してトイレから離れられないとか?」

 シンジたちが口にした物は、形は違えども基本的に今日パーティに出したものと同じである。シンジは客たちに痛んだものを出してしまったかと不安を感じた。

「いや、便所にはおらんかったで」

ぴんぽーん

 ケンスケの捜索は来客を告げる呼び鈴により、再び中断された。

「あれ? こんな時間に誰だろう」

 時刻は既に午後八時を廻っている。パーティに参加するには遅いし、予定していた客は全員揃っていた。パーティ参加者の保護者たちが迎えに来るような予定もない。


 玄関へと迎えに出たシンジが良く実ったスイカを抱えてキッチンへと戻ってきた時、その後ろには二人の男性の姿があった。

「済みませんね。加持さん、カヲル君。今日は雛祭りのパーティでリビングは男子禁制みたいな感じなんですよ」

「いや、それは構わないさ。突然やってきた俺たちが悪いんだな」

「それよりシンジ君は僕の名を?」

「知らないものはいないよ。失礼だけど君は自分の立場というものをもう少し知った方がいいんじゃないかな?」

 カヲルの質問に対し、シンジは過去のカヲルが自分に掛けた言葉を真似して返した。およそ十五年という時間の殆んどを無気力に生きてきたシンジの人生の中で最も濃密な時間と言えば明らかに第3新東京市に来てからのものであり、サードインパクト直前となったあの時期の会話は良くも悪くもシンジの中で特に印象深い記憶であるから、忘れることなどできない。

「そうなのかい?」

「そうだよ。ようこそ、僕らの家へ。歓迎するよ。二人ともお腹空いてますか?」

「そういうつもりじゃなかったんだが、夕飯はまだだな」

「僕もだよ」

「じゃあパーティの残り物しかないけど何か用意しますよ」

 シンジは二人に椅子を勧め、台所に立った。食事の用意といっても、せいぜいお吸い物の残りを暖め直し、例のちらし寿司風のものを盛り付けるといった簡単なものである。

 ちなみに初めにパーティに出した揚げ物などの余りは主にトウジの腹の中に収まり、既に残っていない。

「ん、これは中々……」

「そうでっしゃろ。わしもこないに旨いもん、初めて食いましたわ」

 見知らぬ人物二人と一緒にキッチンのテーブルに残されたトウジは、何を話して良いのか解らず黙っていたが、自分も感心した食べ物の話題を無視してはおけなかった。

「寿司はいいねぇ。日本人の生んだ食文化の極さ」

「もしかして、何か美味しい物でも食べに行く予定だったりしたなら余計なことしたかも……」

 リョウジとカヲルの二人の前に暖め直したお吸い物と冷蔵庫から出したお新香を並べつつ、シンジはひとりごちるような小声でこぼした。残り物をすすめておきながら、今頃になってその点に気付いたのだ。

「いや気にすることはない。特に予定はなかったし、何よりこれはいいものだ。むしろこちらが礼を言うべきだな。ありがとう」

「これが、シンジ君の家庭の味というものかい? 帰る家、ホームがあるという事実は幸せに繋がる。良いことだよ」


「シンジー、ジャージー! あっ、さっきの加持さんだったんだ、ちょうど良いわ」

 リョウジやカヲルが食事を終え、シンジたちと共にお茶を楽しんでいるキッチンへと声を掛けながらやってきたのはアスカだった。

 デザートを楽しんだ後、酔いが回ったせいかどうかは定かでないが、ナツミとノゾミの二人がリビングのソファで寝てしまい、それを契機に今日のパーティはお開きとなった。アスカは洞木姉妹とナツミを家まで送り届ける相談をしにキッチンまで来たのだが、そこで良い足を発見したのだ。

「なんだか、便利な足代わりに使ってしまって済みませんでした」

「別にこれくらい構わないさ。立ってるものは親でも使えって言うだろう?」

 リョウジの運転で洞木姉妹と鈴原兄妹をそれぞれの家へと送り帰し、皆の待つ山岡家へと戻る途中、シンジはリョウジに恐縮しきりだった。

「でも二往復もさせてしまって……」

 リョウジの車は普通のセダンであり、運転手の他に四人までしか同乗できない。お互い初対面の洞木姉妹や鈴原兄妹とリョウジであるから、彼らに全てを任せっぱなしにする訳にもいかず、シンジが着いて行くことになった。その結果、一度に全員を送り届けることができず、最初に洞木姉妹、次に鈴原兄妹と二度、車を回すこととなった。

「ま、夕食のお礼とでも思ってくれれば丁度良いさ」

「あ、そう言えば、今日は何の用事でいらしたんですか?」

「ん? あぁカヲル君が君たちに会いたいと言ったんでね、俺も少し聞きたいことがあるし丁度良いかな……とね」

「なるほどカヲル君ですか」

「君たちがカヲル君を知っていたのには正直驚いたんだが?」

「僕たちの間では有名ですから」

「有名ねぇ……」


 シンジとリョウジが山岡家へと戻ってみると、リビングで行われたパーティの痕跡はほぼ完全になくなっていた。今日の午後シンジたちが学校から帰宅して以降、シンジだけを働かせていたことを気にしていたアヤネが張り切って後片付けをした結果である。

「あ、シンちゃんおかえりなさ−い」

 帰ってきたシンジを一番に迎えたのはリナであった。ルナやカホル、パーティの後も帰らずにいるアスカもリビングで寛いでいる。カヲルも違和感なく溶け込んでいる。

「このカプチーノというのはいいねぇ。好意に値するよ――好きってことさ。だが、この木の棒は何だい?」

 カヲルは自分の前に置かれたカプチーノのカップに添えられたシナモンスティックの存在を疑問に思った。

「こうやってお砂糖をかき混ぜるのに使えば香りが移るわ」

 カヲルの疑問に対し、カホルがシナモンスティックをマドラー代わりに使って見せる。

「なるほど、香りに意味があるのかい。興味深いねぇ」

 カホルの説明を聞くと、カヲルは暫くシナモンの香りを直接嗅いでいたが、やがてそれで自分のカプチーノをかき回した。

「流石は同世代同士だな。カヲル君もすっかり馴染んでいるようじゃないか」

 リョウジは、ドイツ出身のカヲルが日本式の生活習慣を持つ山岡家で上手くやっているのを見た感想を言った。

 現在、山岡家の客としてやって来ているカヲルとカホルの嗜好が似ているのは当然であり、カホル向けに用意されている様々なものは、現時点で人間らしい生活を送った経験の乏しいカヲルの好みにも良く合う。カプチーノもそのような一例であり、カホルは京都で『渚カヲル』として生活していた頃からカプチーノを好んで飲んだ。

 それに加え、『渚カヲル』と十年間共に暮らしている山岡家の面々はカヲルとの付き合い方を良く知っている。違う誰かと重ねて見られているというような不快感をカヲルが感じることもなかった。幸か不幸か、カヲルは生まれて以来天下り的に与えられる情報や環境を受け入れる以外の生き方を知らなかったからである。

 カヲルが山岡家に自分の居場所を見つけ、その空気に馴染むまで然程の時間を必要としなかったことは当然と言えた。


「さて、あまり遅くまで俺みたいなのがお邪魔している訳にもいかないんでね、単刀直入に聞こう。シンジ君。君は、いや……君たちは何者なんだい?」

「何が知りたいんですか?」

「君たちの目的は何だい?」

「現行人類の存続ですよ。というよりも、僕たちがのんびり生活できる世界です」

「そのためにNERVに協力しているのかい?」

「その方が都合がいいですから。ほら、立ってるものは親でも使えって言うじゃないですか」

 シンジは「そのためのNERVです」などと韜晦することもなく本音を語る。相手から引き出したいものがないからには駆け引きなど必要ないし、そもそもシンジはそのために必要な技術も経験も持っていない。唯一必要なことは、人外であるという彼ら自身の正体を隠蔽するということだけであった。

「なるほどな。ところで、君たちは例の怪獣図鑑、どうして信じられるんだい?」

「セカンドインパクトから七百七十七週の時を経て、第三の試練、使徒サキエルが黒き月を訪れる。特務機関NERVはエヴァンゲリオン初号機を用いこれを殲滅する。更に三週の後、第四の試練――

「シンジ君、そいつは……」

 シンジはリョウジの割り込みを許さず、人類の記憶として己れの内にあるシナリオの説明を続けた。

――四十日の後、第十五の試練、天より来る使徒アラエルが黒き月を覗き見る。NERVはエヴァンゲリオンを用いてこれを殲滅する――

「次の使徒まで、残り数日ということか……」

 シンジが語り終えるまで聞き入っていたリョウジだったが、それがSEELEやNERV首脳陣がシナリオと呼んでいるものの内容であることに気付いた。原文ではより預言詩風に書かれていたが、シンジの言葉はリョウジ自身が入手したものの内容と合致している。

 リョウジは、SEELEの人間と思われるカヲルが存在するこの場でシンジがその知識を披露したことに驚愕を覚える一方、シンジの情報源にも興味を持った。

「とある秘密結社の人々がシナリオと称するものの内容です。面白いでしょう? 基本的に使徒襲来のスケジュールと大体の性質、そしてエヴァで殲滅という結果しか記述されていないんです。ついでに言えば、使徒の土俵に立った上で真っ向勝負して勝つことになっています。シナリオには、他にも全ての使徒を倒した後に行う儀式の作法とか使徒との真っ向勝負に必要な準備のスケジュールみたいな記述もありますけどね」

 少なくとも最近まで、エヴァはその運用にアンビリカルケーブルを必要としていたという事実があるため、第3新東京市の拠点防衛専用の兵力として以外の用兵を考えること自体が間違いと言って良い。つまり、エヴァの海中戦用M型装備程度であればまだしも、火山の火口からマグマに潜れるような極地戦用D型装備などは特殊な事情でもなければ開発されるべきものではない。現実に開発されたのは裏死海文書を基にしたとされているシナリオがそれを要求したからである。

「ふむ」

 リョウジも以前自らが知ったシナリオの内容から同じような印象を受けていた。シナリオは敢えて相手の土俵に立ったエヴァが使徒を殲滅することに拘っている。

「シナリオの結果として何が起こるかと言えば、サードインパクトです。エヴァシリーズによる共鳴によって、セカンドインパクトでも観測されたアンチATフィールドの影響範囲が拡大され、地球全体が現在の南極のようになるそうです」

「というと?」

「動・植物から微生物に至るまで、全ての生命体がLCLと化して消滅します」

「それだけかい?」

 情報としては南極の状況を知っているリョウジではあるが、なまじ自らも経験しているだけに、地軸の変化や海水面の上昇、それに伴う人類社会の混乱と言った事象がセカンドインパクトの副作用に過ぎなかったというような解釈は俄かには受け入れ難い。

 国連主導の全世界的な情報操作の結果とはいえ、日常的に地球周辺から太陽系そして外宇宙の観測を続けているはずの天文学関係者の存在を考えれば有り得ない「不意の大質量隕石の衝突」などという説明が一般に受け入れられているのは、それが一般の人々が感じたセカンドインパクトの衝撃の説明として、それなりに相応しいものであったからだ。

「科学的に説明できる現象はそれが全てだそうです」

「それじゃ、その秘密結社の人々の目的というのは何だい?」

 リョウジはシンジの口から人類補完計画という言葉を引き出そうとしたが、それには失敗した。

「全地球規模の無理心中を図る目的なんて解るわけありません。案外、本人たちですら理解してないのかもしれませんよ」

 シンジの内にある人類の知識には人類補完計画に関する知識も当然含まれているが、紅い世界での議論により、その計画は誤解の産物であったとシンジたちの中では結論づけられている。今更それをここで持ち出すことに意味はない。

 人類補完計画――リョウジはそれを妄想の類だと考えている。しかしセカンドインパクトをより大規模にした何かが現実に起こるとなれば放置はできない。


「怪獣図鑑が何故信じられるか――。それは、彼らのシナリオとは別口で、僕たちが情報源を知っていて、それを信じられるからです」

「そいつを教えて貰えないかな?」

「知ってどうするつもりですか?」

「いや、俺にも何かできることはないか……とな。俺としてもサードインパクトはゴメンなんでね」

「加持さんにできるのは大人の仕事だけですよ」

「確かに俺はエヴァには乗れないからな」

「それはともかくとして、大人にお願いがあるんですけど……」

「改まって何だい?」

「第3新東京市の人たちを疎開させる良い手はないですかね?」

「今のままじゃ不十分ということかい?」

 サードインパクトに至った過去の経験では、度重なる使徒の自爆や第13の使徒ゼルエルの攻撃などにより、第3新東京市民は戦場の危険を肌で知っていた。そのため、この時期には既にそれが可能な人々の疎開はほぼ完了していた。

 しかし、それは現在の状況とは異なっている。シンジたちが上手く戦いすぎたがために市民の中の危機感が足りないのである。危機感の欠如という事情はNERV職員にしても同じことであった。

「シナリオの終りまでもう一月もありません」

「そうだな」

「最後にはこの街が人間同士の戦場、いや……虐殺の現場になります。NERVに本物の軍隊と戦う力はありません」

「市民を守る余裕はないってことだな」

「NERVの人たちもですよ。とある秘密結社の人たちは最終的に僕たちチルドレンを含めたNERVの人間を一切必要としません」

 最終的にNERVを攻撃するのは、NERVがサードインパクトを引き起こそうとしているという情報で唆された戦略自衛隊とSEELEの息の掛かった国連軍である。無抵抗の一般職員に対する無条件発砲の許可など、サードインパクト阻止に託つけたNERVへの意趣返しと取れる面もあるが、彼らが受けた「チルドレンは見つけ次第射殺」という命令を含め、全てはSEELEのシナリオ通りの出来事である。

 過去においてシンジが搭乗したエヴァ初号機を依り代としてSEELEの予定していた儀式は執り行われたが、本来は、何の意志も持たないはずのリリスを依り代とする計画であり、初号機を依り代とする場合であってもパイロットの存在は不要である。十年もの時間をかけ、周到に遂行されたチルドレンの心を壊すという計画ですら、万が一依り代となるエヴァにパイロットが乗り込んでしまった上に、エントリープラグやプラグスーツの遠隔制御によるパイロットの殺害に失敗した場合であっても、儀式により得られると彼らが信ずる結果に影響を与えさせないためのある種の保険に過ぎなかった。

「なるほど、考えとこう」

「お願いします」

ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ……

『総員第1種戦闘配置。対空迎撃戦用意』

 断続的な警報音と同時にNERV本部内に戦闘配置の命令が下る。

 ――すなわち使徒発見。


「使徒を映像で確認。最大望遠です」

 第1発令所のメインスクリーンには青葉シゲルの操作により、発見されたばかりの使徒の姿が映し出されている。

 左右対称でどことなく幾何学的な形を持つ白く輝く巨体。

 敢えて人類に馴染みのある生物で例えるのであれば鳥というのが妥当なところであろうが、現実に現れた使徒の見た目は生物的というより、むしろ記号的な姿をしている。有名なナスカの地上に描かれた鳥の親戚とでも言う方がより事実に近い。

「衛星軌道から動きませんねぇ」

 作戦課長の日向マコトは発見された使徒に対する攻撃手段を吟味しつつ、現状を把握する言葉を紡ぐ。

「ここからは、一定距離を保っています」

 続くシゲルの報告が、マコトの言葉を補足する。

 セカンドインパクトの結果としての地軸のずれにより、日本は常夏の国となった。つまり現在の日本は、赤道、そして、その直上に存在する静止軌道からも地理的に近い位置に存在している。

 使徒はしばしば人間の知る物理法則を無視した活動を行うが、静止軌道上で日本のNERV本部を俯瞰する位置に留まること自体は、然程非常識な行動でもない。但し、その大きさは過去最大と言って良い。これまでで最大だった第10の使徒サハクィエルは第3新東京市の上空、距離二万五千キロの地点で光学的に観測できたが、今回の使徒は地表からの距離で更に一万キロ遠方かつ第3新東京市の直上ではない静止軌道にありながら同じ機器でその姿が観測されている。

「まずは様子見ってところなのか?」

「降下接近の機会を窺っているのか、その必要もなくここを破壊できるのか……」

「こりゃあ、迂濶に動けませんねって、あれ? 葛城さん!」

 迎撃方針に目処が立たないままひとりごちるマコトに対し、先日までの入院の結果保安部の通常シフトから外れたままであることを幸として、発令所に潜り込んだ葛城ミサトが相槌を打った。

 第10の使徒サハクィエルとの戦い以来、ミサトが戦闘配置の発令所に潜り込む行動は司令部から黙認されている。

「どの道、目標がこちらの射程距離内に近付いてくれない限り、どうにもならないわ。エヴァには衛星軌道の敵は迎撃できないもの……」

「例の情報によるとこの使徒が放つ謎の怪光線は精神攻撃らしいですから、こちらの射程外にいるうちは、迂濶にエヴァも出せません」

 NERV本部内でも技術部や作戦部では、シンジから提供された怪獣図鑑は参考資料として一定の評価を得ている。すなわち、鵜呑みにはできないが無視もできない――そのような情報として取り扱われている。

 非常招集を受けたチルドレンはプラグスーツへと着替え、控室で待機している。現在のところ出撃命令が出る様子はない。

「出たくないなぁ」

 過去の経験から、アスカはこの使徒へのトラウマを持っている。借りを返したいという気持ちもあるが、打つ手が何もない現在の状況での出撃には気が進まない。

「どうするつもりなんだろうね?」

 怪獣図鑑は既にNERV本部のスタッフの手にある。シンジたちにできることは、その立場上、作戦部によって立てられた作戦を遂行するのみであり、今のところそれは待機というものである。

「日向さんたちに打てる手はないわ」

 ルナはロンギヌスの槍を使う以外にこの使徒を倒す方法を思いつかなかった。

 有効射程外の静止軌道上に留まっている使徒が降下接近してこない限り、地上からの迎撃の効果は期待できない。そして過去の経験ではこの使徒は動かなかった。今回の使徒の行動も過去と同様であるならば、作戦課のスタッフが手にしている兵器では対処のしようがないという結論になる。

 名称を含む詳細は別としてもロンギヌスの槍の存在自体が発令所スタッフから隠蔽されているわけではない。少なくとも、槍は第5の使徒ラミエルとの戦闘中に突然飛来したものとして、あの時発令所にいたスタッフはその存在を知っている。しかし、槍の機能や特性などの情報や現在の所在については知らされておらず、結果としてこの使徒に対する武器としての使用が期待できる状況ではなかった。

「お、ケンスケやないか。こないだはどこ行っとったんや?」

 雛祭りパーティの翌日、ケンスケは中学校を休んだ。結局パーティ当日、失踪したケンスケを発見する前に妹と共に帰宅することとなったトウジは、日曜日であるこの日、使徒襲来に伴う避難先のシェルターで偶然再会するまでケンスケの動向を知ることはできなかったのだ。

「聞かないでくれ」

 パーティ当日、自分の食事を終えたケンスケは持参のカメラを持ち出し、女性ばかりが集まっているパーティの会場へと侵入した。パーティ用に着飾った女性たちの姿の撮影――それは、ケンスケの使命である。

 ケンスケの失敗は、被写体たちにそれが盗撮であると認定されたことであった。自慢の都市型迷彩服も役には立たなかった。アスカを筆頭として、こそこそと影から撮影するケンスケを見咎めた女性陣は彼を捕獲し、布団で簀巻のようにした上でリビングのソファの裏に捨て置いた。

 拘束され、身動きもできないままその存在まで忘れ去られていた彼が解放されたのは翌日の午後、アヤネがリビングの掃除に取り掛かった後のことだった。

 NERV本部のスタッフが使徒への対策を打ち出せないまま、いたずらに過ぎて行く時を動かしたのは、シゲルによる一つの報告だった。

「市街地を中心として、いくつかのシェルターで騒動が起こっています」

 地上の様子を映し出すストリーミング映像の存在は、一般市民の間にも既に知れ渡っている。避難命令に従いシェルターへと長時間閉じ込められている市民は、何の動きも見せないNERVに対する苛立ちを隠さなかった。

 好奇心にかられた危機感の足りない若者が興味本位に外に出せと騒ぎ始めたことが発端だった。時を待たずして、その騒動はシェルターの警備員との揉み合いへと発展し、それが幼い子供たちの動揺を誘う。結果、泣きわめく子供の保護者たちまでもが騒動への参加を始める。

「原因は何だ?」

「詳細は不明ですが、早く解放しろと騒いでいる模様です」

 コウゾウが尋ねても、答は要領を得ない。

「早く倒せということだな」

 昨年より続く度重なる使徒の襲来により住民は避難に慣れきっている上に、これまでの経験により危機感も薄められている。その結果、決して快適とは言えない避難生活への忍耐力が低下している状況で、避難先のシェルターで小競り合いが起これば、早期の解放を求めるのは当然と言える。

 前回の使徒ゼルエルとの戦闘が極端に短時間で済んだのに対し、今回の使徒戦では既に数時間が経過しようとしているにも関わらずNERV側が目に見える動きを全く見せていないことも、状況に拍車をかけていた。

「エヴァを出撃させろ」

「しかし、こちらには攻撃の手段がありません!」

 ゲンドウの命令に対し、マコトが反論する。

「待っていても状況は変わらん。であるなら、こちらから動かすまでだ」

 NERVのスタッフには知らされていないが、シナリオによれば次の使徒の襲来まで僅か数日。経験的にシナリオには数日程度の誤差が含まれることを考慮すると、最悪の場合、複数の使徒の同時展開という事態も考えられる。シナリオを知るゲンドウは状況の変化を求めた。

「了解。エヴァ各機発進準備。超長距離射撃用意!」


『作戦は?』

 出撃準備の整ったエヴァ弐号機のエントリープラグから発令所に対しアスカが通信で質問する。当然ながら初号機のシンジや零号機のルナにも通信回線は接続されている。

「目標は未だこちらの射程外だ。だからここは一先ず、目標をこちらに引き寄せることを目的とする」

 質問に答えるのは作戦課長であるマコトの仕事である。

『武器は?』

「今、ポジトロンスナイパ−ライフルの準備をしている」

「最大出力で撃てば、理論上は目標まで届くわ。でも、目標のATフィールドを貫けるかどうかは不明」

 リツコが技術的な補足を加える。衛星軌道上の使徒の能力を測る手段は現在の人類には存在していない。但し、これまで襲来してきた使徒のデータを基にした推測では否定的な結論が得られている。

『チョッカイだけは掛けられるってことね?』

「そう願いたいわね……。装備の関係からライフルはこの地点でしか使えません」

 アスカに返事をしつつ、リツコはモニタに第3新東京市の地図を映しながら説明を続けた。大出力のポジトロンスナイパーライフルは、第5の使徒ラミエルとの戦いで用いられた戦略自衛隊製の自走式陽電子砲と同様に、エヴァのスケールで考えても取り回しには向かない巨大な加速器などの外部装置や大出力を支える電力供給のための専用ケーブルなどを必要としている。

「狙撃担当のエヴァは身動きが取れないと考えて欲しい」

『私が担当するわ』

 ここでルナがいつになく積極的な発言を見せた。『ファーストチルドレン・綾波レイ』の経験を持つルナは、フォースチルドレンとして選出された後もその長距離射撃などへの適性を発揮し、訓練でも好成績を納めている。能力的にもルナが狙撃を担当することは妥当と言え、アスカやシンジも反論しなかったことからルナの担当は早々に決定された。

『僕たちはどうすればいいんですか?』

「身動きが取れない零号機は一番後で発進させる。それまでに何とか目標の気を引いて、射撃のチャンスを作って欲しい」

『武器もないのに?』

「一応、カートリッジ式のポジトロンライフルもあるわ。こちらは理論上目標まで届かないことが保証されてるけど……」

「気を引くだけでいい。現時点では目標の攻撃手段も不明だし、こちらには攻撃手段がない。撤退も視野に入れて陽動だけに専念してくれ」

「例の情報では、光線兵器の存在が示唆されています。避けることを最優先に行動しなさい。この際、地上の被害は気にしなくていいわ」

『了解』

「では、エヴァ初号機及び弐号機発進!」


 発令所のメインスクリーンには出撃した初号機と弐号機の様子が映し出されている。

 事前の計算通り、小出力のライフルによる陽電子弾は使徒へと到達する前に消滅してしまい、使徒が反応を見せたという点を除くと全く効果がなかった。

「目標は、相変わらず一定距離を保ったままです」

 オペレータ席に多数用意されているサブモニタの一つで使徒の状況を観察しているシゲルが報告した。

「光線の分析は?」

 使徒は初号機と弐号機が地上に現れ、照準を定めようとライフルを構えるのと前後して、エヴァに向けて白色の光の帯を発した。

 最初は武器の取り扱いに慣れていて構えるのが早かったアスカの駆る弐号機、次いで初号機が目標とされた。しかし、二体のエヴァは長時間光線に晒されることを良しとせず、それぞれ早期に離脱を図り、現在までのところそれは成功している。この使徒は動き回る目標を追尾するように光線を発することはできなかった。

「熱エネルギー反応はありません。可視波長のエネルギー波でATフィールドに近いものですが、詳細は不明です」

 短時間とはいえ、それぞれ使徒の光線を浴びた初号機と弐号機は未だ健在であり、流れ弾的に同じ光線を浴びている周囲の建造物にも目視できる被害はない。その結果、発令所のスタッフも落ち着いて戦況を見つめている。

「やはり、この光線の目的は精神攻撃なの?」

 現在得られているデータは、怪獣図鑑の情報を否定するものではなかった。

「とりあえず陽動は上手くいってる。ポジトロンスナイパーライフルは?」

「零号機共に順調」

 マコトが次に打つ手に向けて確認を取ると、マヤがそれに対する報告を返す。

「零号機発進!」


 地表へと射出された零号機が一切の無駄を廃した訓練された動きでライフルを構える様子がメインスクリーンに映される中、発令所には技術者たちからの報告が次々と入る。

『加速器、同調スタート』

『電圧、上昇中。加圧完了』

『強制収束器、作動』

『地球自転及び重力誤差修正、0.03』

『超伝導誘導システム、作動中』

『薬室内、圧力最大』

 技術的な準備の完了を知ったマコトは、最後の命令を下す。

「最終安全装置、解除」

「解除、確認」

「全て、発射位置」

 マコトの命令が伝わると、スクリーンに映る零号機は即座に反応し、ポジトロンスナイパーライフルを発射した。

 しかし、発射された陽電子流は使徒の持つATフィールドに阻まれ周囲に拡散する。

「駄目です。この遠距離でATフィールドを貫くには、エネルギーがまるで足りません」

 サブモニタで使徒を観察しているシゲルの報告にも焦りが見られる。

 予測されていた事態とはいえ、目標がその位置を動かないままという状況でのこの結果は、スタッフの動揺を誘った。

「こっちは、出力最大だってのに!」

 マコトの愚痴も大声になる。

 ――直後、事態は急変する。

『何、ぼうっとしてんのよ、早く避けなさい!』

『ルナ! 大丈夫? ルナ!』

 発令所のスタッフが発射されたポジトロンスナイパーライフルの効果に気を取られている裏で、零号機の様子に一早く気付いたアスカやシンジがルナに掛ける言葉が通信回線を通じて発令所にも響く。

 その直後――

ぶーぅ、ぶーぅ、ぶーぅ、ぶーぅ……

 パイロットの危険を警告する特有の警報音が発令所内に鳴り響き、モニタも警報の赤い文字で埋め尽くされた。

「心理グラフが乱れてます。精神汚染が始まります!」

 チルドレンの状態をサブモニタで観察していたマヤが報告する。

「使徒が心理攻撃? まさか、使徒に人の心が理解できるの?」

 リツコは怪獣図鑑が示唆していた精神攻撃の内容がパイロットの心理に直接働き掛けるものだとは考えていなかった。図鑑の他には何の情報も存在しないため、例えば、激しく明滅する光や不快な音のように、それに晒されることで間接的に精神的な疲労を誘うような何らかの攻撃の存在を想定するのが彼女の限界だった。しかし、現実の使徒の攻撃はそれを上回っている。

 発令所のメインスクリーンに映る零号機は構えていたライフルを地面に下ろし、それ以降動きを見せない。


『リツコ! 他に武器はないの?』

 既にライフルの残弾を撃ち尽くし、新たに使徒の気を引きつつルナが正気を取り戻すだけの時間を稼ぐ手段を求めたアスカの要求にも、リツコは応えることができない。

「ないわね」

「シンジ君! 何やってんの?」

 相変わらず発令所に居座ったままのミサトが、その時初めてスクリーンの一部に映る初号機が不審な動きをしていることに気付いた。

 初号機が使徒に向けてプログレッシブナイフを投げつけたのだ。

『その手!』

 初号機の様子を知ったアスカの弐号機も、同じようにナイフを投げ始める。

 しかし、エヴァの腕力で投げられたナイフは大気の摩擦に晒され、使徒へと到達する遥か手前で燃え尽きてしまう。結局、ウェポンラックに僅か数本しか搭載されていないナイフを投げ尽くしても、効果は得られなかった。

 モニタに映る零号機は相変わらず使徒の発する白い光の帯の中にいる。

 ナイフを投げ終えた二体のエヴァは、前回の使徒ゼルエルとの戦いの余波で破壊され予算の都合から修復されないまま放置されている地上の建造物の残骸を投げ始めた。

(ライフルよりエヴァの身体能力……ということなのね。問題は大気か)

 シンジとアスカの行動の真意を知ったリツコは、目的に叶うと目される唯一の存在に思い至る。

「司令。第5使徒の時の槍を使いましょう」

 他のスタッフと同様にリツコにも槍の正体は知らされていない。しかしそれでも、彼女は戦闘当時の分析結果から槍がATフィールドを貫く効果を持っていることを知っている上に、槍という形状とその質量から、エヴァの腕力による投擲にも大気の摩擦にも耐え得る、軌道上に留まる今回の使徒への攻撃にこの上なく相応しい武器であると確信できたが故の上申であった。

「いかん」

 しかし、リツコの意見はコウゾウにより簡単に却下された。

「まだ全ての手段が失われたわけではない。構わん。パイロットと零号機のシンクロを全面カット」

「カットですか?」

「そうだ。回路をダミーに切り替えろ」

「しかし、ダミーシステムでは何が起こるか解らないのでは?」

 リツコが以前受けた説明を基に反論するが、ゲンドウは聞く耳を持たない。

「今のパイロットよりは役に立つ。やれ!」

 上官の命令であり、リツコたちにそれ以上の反論は許されなかった。


「おい、六分儀」

「老人たちが実戦データを寄越せと煩いのです」

「これも計算の内……か?」

 発令所のスタッフがダミーシステムの準備に取り掛かる裏で、コウゾウとゲンドウは小声で話し合っている。


「零号機では使えないと思うけどねぇ」

 エヴァが用意されていないため、来日以来初の実戦という場面で発令所内での見学を許されていたカヲルの言葉は誰にも届かなかった。

 ルナがインダクションレバーのトリガーを引くのと時を前後して、エントリープラグ内正面のスクリーンに映る、カメラが捉える零号機外部の映像がホワイトアウトした。

 それまで初号機や弐号機に気を取られていた使徒が、第三の存在である零号機に気付き、その白い光線を浴びせたのだった。

 視界そのものは狙撃用のヘッドマウントディスプレイにより保護されているが、物理的な破壊力を持つわけでもない白い光線はルナの思考力を瞬間的に奪い取る。片膝を立てた格好でライフルを構えていた零号機は、手に持ったライフルを緩慢な動作で地面へと下ろした。

『何、ぼうっとしてんのよ、早く避けなさい!』

『ルナ! 大丈夫? ルナ!』

 零号機の様子に気付いたアスカの言葉もシンジの言葉も、ルナには伝わらない。

 その時ルナの脳裏には、自分の過去が走馬灯のように思い出されていた。


(ここにも私がいるの?)

 それは、ルナとして初めて零号機に接触した時。


「行ってくるよ」

「今日からまた、碇君なのね」

 それは、京都から第3新東京市へと向かうシンジ。


「びえぇぇぇん」

「私と同じはずなのに、こんなにも違う。何故?」

 それは、同じ存在のはずなのに、感情豊かなリナ。


「ルナってのはどうだろう? 僕は月を見ると綾波を思い出すんだ……」

「ルナ――碇君がくれた、私の名前」

 それは、京都で始まったシンジたちとの新しい生活。


「綾波。何故そこから出ないの?」

「私には他に居場所はないもの」

「だからって……」

「ここで待っていれば碇君には逢えるもの」

「寂しくないの?」

「ここにはもう一人の私がいるわ」

 それは、シンジとの再会。


「はぁ、結局今年も実はつかなかったか」

「また来年を待てばいい。いくらでも時間はあるもの」

 それは、紅い世界での生活。


「私はあなたの人形じゃない」

「何故だ?」

「私はあなたじゃ……ないもの」

「頼む。待ってくれ、レイ」

「ダメ、碇君が呼んでる」

 それは、約束の日の記憶。


「そう、あなたを助けたの」

「覚えてないの?」

「いえ、知らないの。私は多分、三人目だと思うから」

 それは、三人目の自分とシンジの出会い。


こぽっ

「気付いたのね? レイ。あなたの名前は綾波レイ」

 それは、三人目の自分の目覚め。


「これが私の心? 碇君と一緒になりたい」

「これが涙? 泣いてるの……私」

「私がいなくなったら、ATフィールドが消えてしまう。だから……ダメ」

 それは、二人目の自分の最期。


「お母さんって感じがした」

「お母さん?」

「綾波は案外、主婦とか似合うのかもしれないね」

「何を言うのよ」

 それは、シンジと一緒になった自分を想像した日。


「何泣いてるの? ごめんなさい。こういう時、どんな顔すればいいのか解らないの」

「笑えばいいと思うよ」

 それは、シンジが自分の命の恩人となった日。


「お父さんの仕事が信じられないの?」

「信じられるわけないよ!」

ぱしっ

 それは、価値観が異なる不愉快な存在のシンジ。


「大丈夫か? レイ」

「問題ありません」

 それは、ゲンドウが自分の命の恩人となった日。


こぽっ

「レイ!」

 それは、二人目の自分の目覚め。


「所長がそう言ってるのよ。あなたの事」

「嘘!」

「ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済みだとか……」

「あんたなんか、あんたなんか死んでも代わりはいるのよ……レイ……私と同じね」

 それは、一人目の最期。


「あれがGEHIRN本部だよ」

 それは、初めて人工進化研究所第3分室から外に出た日。


こぽっ

「ひぃっ!」

 それは、一人目の自分の目覚め。


 これまで曖昧にしか認識できなかった一人目のレイの記憶をも含め、現在から過去へと遡るように再生された記憶は、やがて完全なる虚無へ到達する――

 それは、初号機の中の自分。


「そう、そうだったのね。これが私。周りの人たちとの関わりの中で形作られた私」

10

「零号機シンクロカットします」

 ゲンドウの命令に従い、マヤは零号機のシンクロシステムを停止する操作を行った。

「信号、受信を確認」

 マヤの隣の席に着いているシゲルは手順が正しく進められたことを確認し、報告する。しかし――

「駄目です。零号機、起動したままです。シンクロ率0%」

「やはり、真の適格者なのね」

 シンジたちはシンクロシステムの状態に限らず、エヴァを起動させることができる。ルナの場合には過去の経験とほぼ同じ状況で零号機に搭乗しているため、これまではシンクロシステムを通じて零号機を起動させるという勝手知ったる方法を用いていた。

 しかしルナは、NERV本部の技術者たちが想定していたようにシンクロシステムを通じてエヴァを制御しているわけではない。

 シンジたちにとってエヴァの起動とは、人間としての自分を意識するかエヴァとしての自分を意識するかという気持ちの切り替えの問題である。そして、エヴァとの同化には物理的にエヴァに身体を溶け込ませるなどの必要はなく、エヴァと自分のそれぞれが持つある種のATフィールドの融合がなされれば良い。極論すれば、エントリープラグに乗り込む必要すらない。

 これはルナの場合も同じことである。偶々零号機の中の存在とルナがシンクロシステムによる高水準の同調が期待できる関係にあるが故に、高いシンクロ率などが観測され、シンクロシステムが働いているように見えていたが、現実には、シンクロシステムはルナ自身の気持ちの切り替えのきっかけとして用いられていたに過ぎなかった。


「構わん。ダミー起動」

 ゲンドウはオペレータたちの報告を完全に無視し、命令を下す。

「コンタクト、スタート」

「了解」

 リツコとマヤは命令に従い、ダミーシステムを起動するための手順を進めた。しかし――

ぷーっ

「何?」

「パルス消失、ダミーを拒絶。駄目です。零号機、変化ありません」

 予定外の警報音と共に、それまで進めた手順がキャンセルされた。

「続けろ。もう一度108からやり直せ」

「駄目です。反応ありません。いえ、ルナの心理グラフ、危険です。精神汚染Yに近付いています」

 起動しているエヴァに対し、ダミーシステムという異物が接触を図れば、当然それは拒絶に遇う。接触を図られたエヴァや同化しているルナにとってみればそれは苦痛である。心理グラフに現れたのはその結果だった。

「所詮、出来損ないか」

 原因は零号機の内なる存在とルナの双方からの拒絶にあるという真実を知らないゲンドウは、好き勝手なことを口走る。


「やはりね」

 様子を見ていたカヲルにしてみれば、それは想像通りの結果であった。


「冬月……。少し頼む」

 ゲンドウはそう言い残すと、発令所の上段に設けられた司令塔から退出していく。

「ルナ君の様子は?」

 後を引き継いだコウゾウは、状況の確認からやり直すことにした。

『そう、そうだったのね。これが私。周りの人たちとの関わりの中で形作られた私』

「何を言っているの?」

 突然通信回線を通じて聞こえてきたルナの言葉にリツコが疑問を感じている裏で、サブモニタを通じてルナの状態を観察していたマヤが報告する。

「心理グラフ、正常に戻ります」

「使徒はどうだ?」

「目標、変化無し。相対距離、依然変わらず」

「零号機の射程距離内に移動する確率は、0.02%です」

「打つ手無しだな……」

「構わん。シンジ、ドグマを降りて槍を使え」

 コウゾウの指揮により膠着した状況が再確認された直後、顔を洗って出直してきたゲンドウが新たな指示を出した。

「ロンギヌスの槍をか? 六分儀、それは……」

「ATフィールドの届かぬ衛星軌道の目標を倒すにはそれしかない。急げ」

 コウゾウの言葉を聞き流し、ゲンドウはシンジへの指示を繰り返す。

「しかし、アダムとエヴァの接触はサードインパクトを引き起こす可能性が! あまりに危険です。六分儀司令、止めてください」

 暫く黙っていたミサトがここで口を挟むが、ゲンドウはそれにもまた無反応であった。

「嘘。欺瞞なのね。セカンドインパクトは使徒の接触が原因ではないのね」


 サブモニタの一つに映る初号機は、ワイヤにリング状の足場が付いているだけの簡素なリフトを用い、ジオフロントの地下深くへと降下している。

『セントラルドグマ10番から15番までを解放』

『第6マルボルジェへ初号機、通過』

『続いて、16番から20番、解放』

 初号機の移動に合わせ、その進路に位置する多数のハッチがMAGIの制御により解放されていく。

「サードインパクトは起きないというわけね、そんなことでは……。だったら、セカンドインパクトの原因は何?」

 初号機、そして何の動揺も見せないゲンドウらの様子を目にしたミサトは、親指の爪を齧りながらひとりごちた。


「六分儀、まだ早いのではないか?」

「委員会はエヴァシリーズの量産に着手した。チャンスだ、冬月」

「しかし、なぁ」

「時計の針は元には戻らない。だが、自らの手で進めることはできる」

 司令塔へと戻ったゲンドウとそれを待ち受けていたコウゾウが小声で話し合っている間に、初号機はジオフロントの最深部、ターミナルドグマへと到達し、LCLの溜まった池に踏み込んで更に奥へと歩みを進めていた。

「我々のシナリオの修正を待たずに時計を進めて良いのか? それに、老人たちが黙っていないぞ」

「SEELEが動く前に全て済ませねばならん。これ以上の遅れは我々の益にならない。そして、今、零号機を失うのは得策ではない」

「かといって、ロンギヌスの槍をSEELEの許可無く使うのは面倒だぞ」

「理由は存在すればいい。それ以上の意味はないよ」

「理由? お前が欲しいのは口実だろう」


 サブモニタに映る初号機は、胸を槍で貫かれた白い巨人の前に立っていた。

 巨人の顔には、大きな逆三角形を背景に、向かって右に三つ、左に四つの目を模したSEELEの紋章をモチーフとする仮面。身体には腰から下の部分が存在せず、そこからは途切れることなくLCLが流れ出ている。

 発令所に詰めている殆んど全てのスタッフ、すなわちNERV本部内でも限りなく中枢に近いはずの職員たちですら、この白い巨人の姿を目撃するのはこの時が初めてのことだった。

 彼らが見つめる中、初号機はその両手にかなりの力を込め、巨人から切っ先が二股に分れた奇妙な姿の槍を引き抜いた。すると、巨人の胸から下の部分が突然ブクブクと泡立つように膨張し、それが戻った時には失われていた下半身が復元されていた。

11

「初号機、2番を通過。地上に出ます」

 シゲルが初号機の現在位置を報告した直後、発令所のメインスクリーンには再び地上へと戻った初号機の姿が映し出されていた。

「あれが、ロンギヌスの槍」

 ミサトは第5の使徒ラミエルとの戦いの最中には、ラミエルの荷粒子砲による被害を受け大部分の機能が失われた二子山仮設基地にいた。そして、戦闘終了後に保安部への異動となったため、彼女が槍の全体像を目にするのはこれが初めてのことだった。

『アタシに貸しなさいよ!』

 アスカの言葉が通信回線を通じて発令所内に響く中、スクリーンに映る弐号機は地上へ出たばかりの初号機からロンギヌスの槍を引ったくるように奪い取っていた。

「構わないわ。アスカに任せましょう」

 弐号機の所業に発令所のスタッフが困惑する中、リツコが冷静に指示を出した。武器の取り扱い経験、コンピュータの指示に合わせたエヴァの操縦、訓練期間の長さ、それらのいずれをとってみてもアスカのキャリアはシンジを上回っており、ここで無理にシンジの初号機に槍を投擲させる理由はない。

「弐号機、投擲態勢」

「目標確認、誤差修正良し!」

 リツコの指示をきっかけとして発令所のスタッフは落ち着きを取り戻し、弐号機による槍の投擲のための補助作業はスムーズに進んだ。

「カウントダウン入ります。10秒前……8、7、6、5、4、3、2、1、0」

 カウントダウン終了と同時にスクリーンに映る弐号機は全身の力を使い、使徒を目掛けて槍を投げる。

『負けてらんないのよ! このあたしは! あんたなんかにぃぃぃぃ!』

 投擲から僅か数秒で、槍は使徒の展開したATフィールドへと到達した。

 衛星軌道上の使徒周辺宙域へと集められた観測衛星の映像は、ATフィールドにぶつかった槍が一旦その運動を止められる瞬間を捉えている。しかし、止められたはずの槍はその直後にドリル状に変形し、続いてATフィールドを貫いた。

 ATフィールドを突破した槍は物理法則を無視するかのように再び運動を始め、そのまま使徒本体へと突き刺さり、更に使徒を貫通する。

「目標、消滅」

 槍に貫かれた使徒は残骸すらも残さずに消滅した。


「ロンギヌスの槍は?」

 使徒の消滅を知ると、コウゾウは投擲された槍の行方が気になる。

「第1宇宙速度を突破。現在、月軌道へと移行しています」

「回収は不可能に近いな……」

「はい。あの質量を持ち帰る手段は今のところありません」

to be continued...



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