「米国第2支部消滅の原因を探る手掛かりは、この静止衛星からの映像だけで、他には何も残っていません」
赤木リツコが言うように、会議室のモニタには砂漠を上空から撮影した映像が映されていた。中心部はクレーターのようにも見える。
「10セカンド……8……7……6……5……4……3……2……1……コンタクト」
伊吹マヤのカウントダウンが0に達した時、映像の中心部がほんの数瞬だけ輝き、後には何も残されていなかった。そこではクレーター状の地形すら失われ、完全な更地と化している。
「酷いな」
冬月コウゾウの洩らした感想では不十分とばかりに、マヤは事態の深刻さをより詳細に報告する。
「エヴァンゲリオン四号機、並びに半径89キロ以内の関連研究施設は全て消滅しました」
「数千の人間も道連れにね」
リツコは人的被害について補足した。
「タイムスケジュールから推測して、ドイツで修復したS2機関の搭載実験中の事故と思われます」
「予想される原因は、材質の強度不足から設計の初期段階のミスまで、32768通りです」
「爆発ではなく消滅ってことは――妨害工作という線は考え難い。消えた第2支部の謎……か」
「多分ディラックの海に飲み込まれたんでしょうね――先の弐号機みたく」
「せっかく直したS2機関も?」
「パーよ。夢は潰えたわね」
リツコは口ではそう言いつつも、現在初号機と弐号機にS2機関が搭載されていることを知っている。
会議室での第2支部消失に伴う打ち合わせを終えたリツコは、偶然出会った葛城ミサトと共に、エスカレータを下っていた。
「で、残った参号機はどうするの?」
「ここで引き取ることになったわ。米国政府も第1支部までは失いたくないみたいね」
「参号機と四号機は、あっちが建造権を主張して強引に作っていたんじゃない。今更危ないところだけうちに押し付けるなんて、虫のいい話ね」
「あの惨劇の後じゃ、誰だって弱気になるわよ」
「で、起動試験はどうするの? アスカ? シンジ君? それとも、まさかルナちゃん?」
「零号機が他の機体に比べて脆弱なのは確かだわ。――でも、それとは別に、これから決めるわ」
(五人目を選ぶに決まっているけれどね)
「これが、ダミープラグ――ですか?」
六分儀ゲンドウに呼び出されたリツコの頭上には、クレーンに吊された赤い筒状の物体があった。赤い筒には「KAWORU/DUMMY PLUG・EVANGELION・2016・KAWORU─00」という記述がなされたプレートが貼り付けられている。
「委員会から極秘裏に運び込まれた試作品だ。信号パターンをエヴァに送り込み、エヴァがそこにパイロットがいると思い込んでシンクロだけはできるという機械に過ぎん。零号機にだけデータを入れておけ」
「零号機に――ですか?」
「他は危険だ」
ゲンドウの意図は、エヴァンゲリオン初号機にSEELEから押し付けられた得体の知れない物を組み込むことを避けるという一点のみにあった。
一方リツコは、S2機関を搭載したエヴァに不完全な物を搭載することが危険であるということを暗示されたのだと解釈した。
「解りました」
「参号機の機体の運搬はUNに一任してある、週末には届くだろう。後は君の方でやってくれ」
「はい。調整並びに起動試験は松代で行います」
「テストパイロットには五人目を選べ。ダミーでは何が起こるかわからん
「はい」
きーんこーんかーんこーん……
「起立、気を付け、礼」
そこは、終令のチャイムと共に洞木ヒカリが号令をかけ、午前の授業が全て終わった第3新東京市立第壱中学校2年A組の教室。
机の上に無数の菓子パンを積み上げて、いつものセリフで昼食の喜びを表現する男がいた。
「さーって、飯や、飯。学校最大の楽しみやからなぁ」
彼の名は鈴原トウジ。毎日毎日の昼食の菓子パンを心から楽しめる幸せな男だった。
「ねぇ、ヒカリ。ジャージっていっつも購買のパンじゃん。お弁当作ってあげたら?」
「えっ?」
惣流アスカ・ツェッペリンがヒカリに何気なく掛けた言葉は、呆れるほど簡単にヒカリの頬を染めた。
「餌付けよ、餌・付・け」
「でも……何て言って渡したらいいのか――」
「シンプルに食べてって言えばいいのよ」
「でも……何で、私が鈴原を――って?」
「ジャージとバカシンジくらいよ。このクラスで気付いてないの」
アスカの言葉を聞いたヒカリは、顔を下に向け、頬を赤らめたまま黙り込んだ。
「ところで話は変わるんだけどさ、カホルって何で太らないの? あの娘」
山岡カホルは大食漢だった。彼女の元には毎日のように、二つのお弁当が届けられる。それはカホルファンであるという女子生徒からの物だ。その二つのお弁当は、カホルが午前の休み時間に早弁して消費される。その上、お昼休みになると、彼女は家から持参したお弁当を碇シンジらと共に口にする。
「アスカは太るの?」
「体の形は心が決める。あなた、太りたいのね」
「えぇぇぇっ! アスカってば、まだおっぱい大きくしたいの? なら手伝ったげる」
ごすっ、ごすっ、ごすっ
今日の昼休みも平和であった。
肉親のインストールされたエヴァのコアがNERV本部の奥底に密かに用意されている子供たちを集めて保護しているクラス――コード707――第3新東京市立第壱中学校の2年A組にはそういう秘密があるとリツコは聞かされていた。
それら候補者の中から、定められた方針に従い、次のチルドレンを選択することはリツコに任された仕事である。実際にはMAGIが最有力候補者を選択するが、そのためのプログラムを用意したのはリツコ自身だった。
(チルドレンは私が選んでいるはずなのに……)
マルドゥックレポートNo.5――カホルの調査報告書を手にしながら、リツコは考えていた。
(何故、またも山岡?)
(何故、リナさんではなくカホルさん?)
「これじゃ、私までマルドゥックと同じじゃない……」
マルドゥック機関――チルドレン選抜を司る諮問機関という体裁をとるNERVの傀儡組織。それは初めからその実体が存在せず、後ろ暗い秘密を抱えたNERVのチルドレン製造方法を闇の奥底に隠すために作られたダミー組織であった。
ダミー組織の存在により隠されるべき仕事をしているはずのリツコには、自分の仕事すら何かの隠れ蓑になっているように感じられた。
(それにあの怪獣図鑑その13……)
「リツコ。なーに、考え込んでんのよ?」
リツコがカホルの報告書を前にマルドゥック機関やチルドレン選抜のことなどに思い巡らせている、正にその最中、ミサトがいつものように仕事をサボりがてらコーヒーをたかりに、リツコの研究室へと入ってきた。
「ん? ――これって五人目が見つかったの? しかもこの娘……」
「ちょっと、ミサト! それはあなたの見ていいものじゃないわよ」
「まぁまぁ、固いこと言わないの。どうせ、直ぐに護衛対象になるんだから」
掌をひらひらさせながら、ミサトは悪びれもせずに言った。
「街――人の造り出したパラダイスだな」
リニアで移動中のコウゾウはいつものように同行中のゲンドウに話しかけた。
「かつて楽園を追い出され、死と隣り合わせの地上に逃げるしかなかった人類。その最も弱い生物が、弱さ故に手にした知恵で造り上げた、自分たちの楽園だよ」
「自分を死の恐怖から守るため、自分の快楽を満足させるために、自分たちで造ったパラダイスか……。この街が正にそうだな。自分たちを守る武装された街だ」
「敵だらけの外界から逃げ込んでる臆病者の街さ」
「臆病者の方が長生きできる。それも良かろう……。第3新東京市。NERVの偽装要撃都市。遅れに遅れていた第7次建設も終わる。いよいよ、完成だな」
奇しくも、その時リニアはジオフロントを車窓に望む位置にまで到達していた。
「四号機の事故、委員会にはどう報告するつもりだ?」
「事実の通り、原因不明さ」
「しかし、ここに来て大きな損失だな」
「彼らにとってはな。ここと初号機が残っていれば充分だ」
「しかし、委員会は血相を変えていたぞ」
「予定外の事故だからな」
「SEELEも慌てて行動表を修正しているだろう」
「死海文書にない事件も起こる。老人にはいい薬だよ」
「せっかくここの迎撃システムが完成するのに、祝賀パーティの一つも予定されていないとは、ネルフってお固い組織だね」
加持リョウジはNERV本部内の休憩所に設置された自動販売機に背を凭れさせ、手に持った缶コーヒーを飲み干すと、空いたばかりの空き缶を、溢れ変えるゴミ箱に投げつけ、その山を崩した。
からん、からん、からん
「六分儀司令がああですもの」
リョウジの目の前のベンチに座っていたマヤは彼の態度を不快に思いつつも、世間話の相槌を打った。
「君はどうなのかな?」
リョウジはそう言うと腰をかがめ、マヤの顔の前に自らの顔を接近させた。
「いいんですか? 加持さん。葛城さんや赤木先輩に言っちゃいますよ?」
「その前に、その口を塞ぐ」
「お・仕・事、進んでるぅ?」
リョウジとマヤの影が一つになろうかという、正にその瞬間に声を掛けたのはミサトだった。
「いやぁ、ボチボチだな」
「では、私は仕事がありますから、これで――」
全く悪びれない様子のリョウジの裏で、マヤは小声で言訳をしつつ、こそこそとその場から退散した。
「いやぁ、まさかゴミを片付ける葛城が見れるなんてな」
つい先程、撒き散らされた、ゴミ箱から溢れ出た空き缶をミサトが集め、ゴミ箱に詰め直すのを見て、リョウジは感心したように言った。
「あなたのプライベートに口出すつもりはないけど、この非常時にうちの若い娘に手ぇ出さないでくれる?」
「君の管轄ではないだろう? 葛城ならいいのかい?」
「これからの返事次第ね。地下のアダムとマルドゥック機関の秘密、知ってるんでしょう?」
「はて……」
「惚けないで」
「他人に頼るとは君らしくないな」
「なりふり構ってらんないの。余裕ないのよ、今。都合良くフィフスチルドレンが見つかる――この裏は何?」
「一つ教えとくよ――」
そう言うとリョウジはミサトの耳元に口を近付け、小声で続けた。
「マルドゥック機関は存在しない。影で操っているのはNERVそのものさ」
「NERVそのもの――六分儀司令が?」
「コード707を調べてみるんだな――と、ちょっと前なら言ったんだがな……」
「707――シンジ君の学校を?」
「どうもそれすらも今はレッドヘリングに見える――おっと」
そう言うとリョウジはミサトから離れ、先程飲んだばかりの缶コーヒーを新たに買い求めた。
「あ、ミサトさんと加持さん。こんな所でデートですか?」
「おっ! いいこと言うね、シンジ君。お礼にお茶でもどう?」
「ごちそうさまです。そうそうミサトさん、リツコさんが明日からの出張の打ち合わせだって」
世間話を始めたシンジとリョウジをその場に残し、ミサトは一人、黙り込んだまま歩き去った。
(レッドヘリングって何?)
きーんこーんかーんこーん……
「起立、気を付け、礼」
いつものように終令のチャイムと共にヒカリが号令をかけ、午前の授業の終わりを告げた。
「さあー、飯や飯」
『山岡カホル、至急校長室まで――』
トウジと相田ケンスケとシンジが誘い合わせ、昼食を摂るために屋上へと向かおうとしていたところ、校内放送が流れた。
「何や?」
「カホルさん、何かやったの?」
「いや、僕に訊かれてもね……」
「ま、そらそやな」
「昨日の新横須賀、どうだったの?」
「ばっちし。ところで、ちょいと気になる情報を仕入れたんだけど――」
「今度はエヴァ参号機かいな?」
「そ、アメリカで建造中だったやつさ。完成したんだろ?」
「シラナイナァ」
「隠さなきゃならない事情も解るけど、なぁ、教えてくれよ」
「ほんとに聞いてないよ。だから僕の持ってる情報なんてケンスケと似たようなもんだよ」
「松代の第2実験場で起動試験をやるって噂、知らないのか?」
「噂だけはね。正式にはまだ聞いてない」
「パイロットはまだ、決まってないんだろ?」
「んなもん、とうに決まっとるやろ?」
「俺にやらしてくんないかなぁ……なんて、前なら思ったんだろうけど、今度ばかりはちょっとな」
「お前、何ぞ悪いもんでも食うたんか?」
「これだよ、これ」
そう言ってケンスケが取り出したのは怪獣図鑑その13だった。
「これって、どう見てもエヴァだよな。零号機でも初号機でも弐号機でもないってことは参号機なんじゃないのか?」
「何や、怖いっちゅうんか」
「敵と戦って死ぬというのであれば、この相田ケンスケ、本望であります」
突然、直立不動の体勢を取り、軍人口調で話し始めたケンスケだったが、口調を戻し、更に続けた。
「――とは言ってもな、エヴァに乗ったらそれが使徒だったなんてのは流石に想定外だよ……」
「ケンスケ、こんなの信じてるの?」
シンジは怪獣図鑑を手にしながら言った。
「シンジ、それわしも最初は子供騙しやと思うとったんやけどな――」
「出てきた奴は今まで全部当たってるんだぜ? 何にも教えてくれないNERVよりよっぽど信用できる」
「そんなもんかねぇ……」
「シンジはほんま、幸せもんやなぁ」
突然話を変えたトウジの視線の先には、空になったシンジの弁当箱があった。
「いつも悪いわね。招かれざる客なのは解っているんだけれど……」
「いえ、気にしないでください。食事は大勢でする方が楽しいですから」
その日の山岡家の夕食の席にはリツコとマヤが同席していた。メニューは刻んだ鰻と蟹肉を散らした五目寿司。デザートはスイカだった。
「ねぇ、シンちゃん。リツコさんたちが来た時って、いっつもスイカなんだけど狙ってやってるの?」
「偶々だよ。今日のは昨日加持農園で貰って来たやつだよ」
「加持農園って……」
「みんなには秘密だなんて言ってたんですけどね、加持さんジオフロントでスイカなんか作ってるんです」
「それで、今日はカホルがフィフスチルドレンに選抜されたって話ですよね」
「あなたたちばかりに苦労を掛けることになるのは充分承知してるんだけどね……」
「まぁ、それは仕方のないことです。類は友を呼ぶと言いますから」
「チルドレンの資質に類友があるのかしら?」
「さぁ?」
「あなたたちなら、きっとチルドレンに就任すること自体は受け入れて貰えるだろうとは思っていたんだけど、問題は――」
「次の使徒ですね?」
「正直、信じられないのだけれど……」
「今までに外れはないですよ、あの怪獣図鑑。秘密にされてる第11の使徒も含めて……」
「どうすればいいのかしらね」
「私は構わないわ。危なくなったらシンジ君が助けてくれますもの。白馬の王子さま……。あぁ、いい響きね」
「初号機はむしろ紫の鬼だよ?」
「鬼と言えば生け贄の処女。あぁ、日本人の生んだ神話の極ね……」
「日本の鬼は赤鬼か青鬼と決まっているわ」
「赤と青が混ざれば、それは紫。赤鬼かつ青鬼、究極の鬼が紫鬼。素晴らしいわ。本当にシンジ君に相応しい」
「シンちゃんは鬼なんかじゃないよ!」
太平洋上空を進む黒い輸送機は、前方の積乱雲に向かい飛行を続けていた。
『こちらエクタ64。ネオパン400、前方航路上に積乱雲を確認』
「こちらネオパン400。確認した。航路上、気流、気圧共に問題無し」
『了解。航路変更せず、到着時間を順守せよ』
「了解」
「しっかし、こいつは本当に雨ってやつに好かれてるんだな」
輸送機のクルーは、同乗する別のクルーに話し掛けた。
「ああ、そういやぁ、出発の時も季節外れの雨だったな」
「こいつ、あのまま置いとけば、あの砂漠にもオアシスができたんじゃないか?」
「ははは、違いない」
ぴきぴきっ
輸送機が積乱雲に突入した直後、雷鳴と共に稲妻が輸送機を襲ったが、クルーは気にも留めていなかった。
「ヘイ、どうしたんだボーイ? 雷にちびっちまったか?」
「いいか、これから俺たちが行くのは日本だ。日本には日本の風習ってもんがあるんだ」
「は、はん?」
「いいか? 地震、雷、火事、親父。日本に行ったらこれら四つは怖がらなきゃならないんだ」
「オーケー、オーケー。勉強になったよ」
「遅れること二時間。ようやくお出ましか。あたしをここまで待たせた男は初めてね」
「デートの時は、待たずにさっさと帰ってたんでしょう? それに、別にあなたを待たせていた訳じゃないわよ」
直ぐ脇に弁当殻を乱雑に積み重ね、口に爪楊枝を銜えながら愚痴をこぼすミサトに、リツコは事実を指摘した。上空にはエヴァ参号機を吊り下げた黒い輸送機が着陸態勢に入っている。
保安部所属のミサトは、その日から数日間の予定で松代の第2実験場で執り行われる参号機の調整及び起動実験に立ち会うリツコの護衛として、松代へ同行していた。彼女の仕事はリツコの護衛であり、エヴァとは直接の関係がない。
「で、問題のフィフスチルドレンはいつ呼ぶの?」
「明日になるわね。まだ調整やら技術者レベルでの打ち合わせやらが残っているから……」
「シンジ君たちは知ってるん……でしょうね」
「当たり前でしょう? あなたなんかより、彼らの方が遥かにプロフェッショナルよ」
「カホルちゃんってどういう娘?」
「ちょっと変わった娘。あれはきっと夢見る乙女を演じているのね」
「本当は夢なんか見てないってこと?」
「現実をシビアに見てるわ。そう、もしかしたらシンジ君なんかよりもずっと……」
「おはようございます、カホルさん……ってあれ?」
「まだ、来てないみたいね」
朝の2年A組の教室には、今日も1年生の女子生徒が二人、それぞれ弁当の包みを持参して訪ねてきていた。毎日のようにカホルに弁当を届けているのは彼女たちであった。
「カホルさんなら今日は休みよ」
カホルの客に気付いたリナがその事実を伝えると、二人は困ったような顔をしてヒソヒソ話を始める。
「おべんとどうする?」
「私、二つも食べられないよ」
「でも、捨てるのは勿体ないですぅ」
「……」
「リナさん……ですよね? これ食べてくれませんか? カホルさんいないし……」
弁当持参の二人は、手持ちの弁当を押し付ける相手としてリナを選択した。リナはカホルの妹であり、性格も明るく、活発な少女に見える。全身は細身ながら、メリハリのある体つきをしているあたりはカホルと共通している。きっとカホル同様、大食漢に違いない――と彼女たちが判断した結果であった。
「でも、私もお弁当持ってきてるし。大体二つも食べらんないよ、ねぇシンちゃん」
「あの、碇先輩でもいいです」
次のターゲットはシンジになった。
「あの二人、お昼はいつもパンなんだけど――」
シンジはトウジとケンスケを指さしながら言った。
「カホルさんがいないなら、リナさんと碇先輩に食べて貰いたいんです」
二人にはトウジとケンスケに弁当を渡すことは拒否したいという態度が見え見えだった。
ぽんっ
「しょうがないなぁ。今日だけだよ」
突然リナは左の掌に右拳の小指側を打ち付けると、そう言った。
「ありがとうございます」
そこには、弁当を手渡した側が感謝の言葉を述べるという不思議な情景が繰り広げられていた。
「あ、シンちゃん、家から持ってきたお弁当出して」
「どうするの?」
「やっほー! ジャージ君と眼鏡君」
シンジがリナの言葉を不審に思っている間に、リナはトウジとケンスケを自分の席へと呼びつけた。
「今日、私たちお弁当貰っちゃったから、自分で持ってきた分まで食べられそうにないの。代わりに食べてくれない?」
「ア、アヤネさんの弁当……」
「食う、食う、絶対に食うちゃる。もう返さへんでー」
シンジもリナの作戦を理解し、二人が家から持ってきた弁当は無事トウジとケンスケの胃袋へ収まる算段が付いた。
シンジの席の傍で涙を流しながら弁当を受け取っているトウジの姿を見たヒカリは呆然としていた。
「どうしたの、ヒカリ?」
ヒカリの様子に気付いたアスカが声を掛けると、ヒカリは小声で呟いた。
「今日こそはと思ったのに……」
そして、手に持った弁当の包みをアスカに見せながら尋ねた。
「食べる?」
「何言ってんのよ、ヒカリ。ジャージならお弁当の二つや三つ関係ないでしょ! 大体、あたしがそんなジャージサイズのお弁当食べきれるわけないじゃない」
「食べられると思うけど?」
ごすっ
「ほらほら、今、盛り上がってる隙に渡しちゃいなさいよ」
アスカは、横からボソリと余計なことを言ったリナに拳骨を与えつつ、ヒカリを後押しした。
「アヤネさんのだけやのうて、いいんちょのまで貰えるなんて、わしはほんま幸せもんやー!」
「たこさんウィンナーはいいねぇ。たこさんウィンナーは目とお腹を和ませてくれる。リリンの生んだ包丁細工の極だよ。そうは思わないかい? ――えっと名前聞いてなかったな……」
「卵焼きはいいわね。卵焼きは冷えたお弁当に暖かみを与えてくれるわ。日本人の生んだお弁当のおかずの極よ。そうは思いませんか? ――えっと名前聞いてなかったね……」
お昼休みになり、今朝受け取った弁当を食べたシンジとリナは、弁当箱を回収しに来た二人組に対し、カヲルやカホルの真似をしつつ礼を言った。シンジたちにとり、カヲルの真似は京都の碇家で過ごした幼少時代の定番の遊びだった。
「ごちそうさま。ありがとう、美味しかったよ」
「えっと、それって山岡さんのお家の風習なんですか?」
「そっくりですぅ。私、それが聞きたくて毎日お弁当作ってるんですぅ」
松代の第2実験場は、昨日空輸されたばかりの参号機の調整が進み、後は起動実験を残すばかりという状況であった。
うーーーーーーーーー
『参号機、起動実験までマイナス03秒』
「補助電源、問題無し」
「第2アポトーシス、異常無し」
「左腕拘束具、固定完了」
「了解。Bチーム、作業開始」
技術者の報告を聞いたリツコは、別グループへの指示を出した。米国第1支部から出張してきている技術者のグループもあり、当初現場にはやや混乱も見られたが、今ではそれも完全に落ち着いている。
「エヴァ参号機、データリンク問題無し」
「これだと即、実戦も可能だわ」
「その割に浮かない顔ね? 何か気掛かりでもあるの?」
リツコの護衛が任務であるため、彼女が実験場に詰めている間は手持ち無沙汰であるミサトは、なし崩し的に実験の様子を見学していた。
「使徒よ。参号機は使徒だという噂があるの。でも、検査では見つけられなかった」
「見つからないなら、いないってことじゃないの?」
「あなたのそういう楽観的なところ、助かるわ――って前も言ったわね」
『フィフスチルドレン到着。第2班は速やかにエントリーの準備を開始』
「エントリープラグ固定完了」
「主電源全回路、接続」
「主電源接続完了。起動用システム、作動開始」
「稼働電圧、臨海点まで、後0.5……0.2……突破」
「起動システム、第2段階へ移行」
「パイロットとの接合に入ります」
「シナプス挿入、結合開始」
「パルス送信」
「全回路正常」
「初期コンタクト、異常無し」
「オールナーブリンク、問題無し」
「チェック2550まで、リストクリア」
「ハーモニクス、全て正常値。絶対境界線、突破します」
ぴーっ
絶対境界線を突破してエヴァ参号機は無事起動し、その目に光が灯る――
しかし、それとほぼ同時に、それまで順調に手順が進められていた参号機の起動実験で初めての異変が起こった。
どんっ
最初は鈍い音だった。
ぷーっ、ぷーっ、ぷーっ、ぷーっ
次に警報音が断続的に鳴り始めた。同時にケージでは参号機が拘束具を引きちぎろうとしている。それは暴走の兆候だった。
「実験中止。回路切断」
リツコが慌てて出した指示に従い、参号機からは既にアンビリカルケーブルがパージされている。しかし――
「ダメです。体内に高エネルギー反応」
「まさか……使徒?」
うぉおおおおおおおん
参号機が吠え声をあげた直後、実験場には火柱が立った。
「松代にて、爆発事故発生。損害不明」
NERV本部第1発令所にてその報告を受けたコウゾウは直ちに命令を下した。
「救助及び第3部隊を直ちに派遣。戦自が介入する前に全て処理しろ」
「了解」
「事故現場に未確認移動物体を発見」
「パターンオレンジ。使徒とは確認できません」
目標が使徒であるとの確認が取れていない状況だが、ゲンドウは命令を下す。
「第1種戦闘配置」
「総員、第1種戦闘配置」
「対地戦用意」
「エヴァ全機、発進。迎撃地点へ緊急配置」
「空輸開始は20を予定」
「まったくバルディエルったら、爆発なんかさせちゃって、好意に値しませんわ」
参号機のエントリープラグに乗ったカホルにとり、それは予定していた通りの展開たったため、彼女は落ち着いていた。
カホルが愚痴をこぼす間にも、第13の使徒バルディエルに乗っ取られた参号機はカホルの意志を無視し、第3新東京へと歩みを進めている。
「前の神も、こんなに姑息な使徒を創るなんて、余程性根がねじ曲がっていたのでしょうね……。本当に繊細さの欠片も感じられませんわ」
(さて、どうしたものかしらね……)
(このままシンジ君に助けて貰うというのにも心惹かれるモノはありますが……)
『バルちゃん。あなた、私に勝負を挑むとは身の程知らずにも程がありますわ』
『よってあなたには、現役の神の使徒の力を見せてあげます』
『出血大サービスですわ』
『あなたの役割はとうに終わっているのです』
『そう、もう何十年も前に』
『それでも、私に挑みますか?』
『ほら、今の私は参号機そのものよ』
『愚かなあなたの力を見せてご覧なさい』
カホルは言葉を理解するかどうかすら定かでない相手に、自らのATフィールドを用いて一方的に語り掛けていた。
参号機に寄生していたピンク色の粘菌状の物体である第13の使徒は、カホルの言葉に反応したのか、参号機の肉体と装甲の隙間やエントリープラグの隙間、そして口などに狙いを定め、参号機の肉体への侵食を試み始めた。
『それで私を犯しているつもり?』
『全然物足りませんわ』
カホルの言う通り、粘菌状の物体がどれだけ執拗に参号機の肉体への侵食を試みようとも、それらは全て参号機のATフィールドに阻まれていた。
『犯す――というのはこういうことを言うのです』
カホルは参号機のATフィールドを一瞬だけ弱めた。その瞬間、侵食を試みていた第13の使徒は一気に参号機への侵入を果たした。
『愚かなものね』
使徒の侵入を感じたカホルは、再び参号機のATフィールドを展開した。
『ほら、これであなたは完全に囚われの身』
『外にも逃げられず、それ以上の侵攻もできず』
『あなたはこれから何をするのかしら?』
『乗っ取るつもりで、逆に囚われるなんて』
『どう? あなたのその醜い体が他人に乗っ取られる気分は』
『もう終りなの?』
『いい子ね。人間諦めが肝心よ』
『あら、ごめんなさい』
『あなたは人間ではなかったわね』
『あなたの体は――』
『現役の神の使徒であり――』
『先代の神の使徒アダムの魂を受け継ぐこの私の――』
『道具として活用してあげる――』
『だから――』
『光栄に思いなさい!』
『松代で事故? リツコさんたちは?』
「まだ、連絡がないんだ」
初号機に乗り込み、設定された迎撃地点で待機しているシンジが、通信でマコトに尋ねたが、その答は芳しくないものだった。
『きっと無事』
同じく零号機で待機しているルナは気休めを言う。
『だといいんだけどね……』
『何ぐじぐじ言ってんのよ! 今あたしらが心配したってなんにもならないでしょう?』
『でも、他にすること無いし』
チルドレンは案外リラックスしていた。最悪の場合として参号機と戦うことはとうに覚悟を決めていたことであるし、エントリープラグを直接握り潰すような事態さえなければカホルの安全は確保できるであろうことも解っている。プラグを握り潰してもカホルは無事だろうが、それが疑惑を呼ぶことは明らかなのでそれだけは避ける必要がある。
「野辺山で映像を捉えました。主モニタに廻します」
そのシゲルの報告と同時に、モニタには夕焼けの山陰から歩き出る黒い巨体、参号機の姿が映し出されていた。
「やはり、これか……」
コウゾウがひとりごちる裏で、ゲンドウが指示を出していた。
「活動停止信号を発信。エントリープラグを強制射出」
「ダメです。停止信号及びプラグ排出信号、認識しません」
「パイロットは?」
「呼吸、心拍の反応はありますが、恐らく――」
ゲンドウの質問に対する報告はどれも望ましくないものであった。そして――
「エヴァンゲリオン参号機は現時刻をもって破棄。目標を第13使徒と識別する」
ゲンドウの決断は下った。
「しかし……」
「予定通り野辺山で戦線を展開、目標を撃破しろ」
「目標接近」
シゲルの言葉がチルドレンに注意を促すと同時に、エヴァのモニタにも参号機の影が映し出された。
「全機、地上戦用意」
マコトの指示も、参号機を目標とするものであった。
『えっ? まさか……使徒? これが使徒ですか?』
「そうだ。目標だ」
『目標って、これは――エヴァじゃないか』
「構わん。そいつは使徒だ。我々の敵だ」
『いや……だって、そっちでは見えてないの?』
その時初号機のモニタに映る参号機は、何やら怪しげな踊りを踊っているようだった。
「六分儀……まさか、あれは――」
「ああ、間違いない。第2だ」
『ちょっと、カホル? カホルさん? 通信が繋がらないのか……』
『カホル? 聞こえる? カホル?』
通常の通信回線が通じていないと判断したシンジは、ATフィールドを展開して参号機のカホルとの接触を試みた。
『ああ、シンジ君。お待ちしてましたわ』
『あのさ、カホル。参号機と通信が出来てないんだけど――』
『ああ、さっきバルちゃんにお説教した時に切ったままだったわ』
カホルがシンジにそう知らせた直後、参号機との通信が回復した。昔取った杵柄でカホルは参号機の電子装備を完全に制御していた。
『ラジオ体操はいいわね。ラジオ体操は体をほぐしてくれる。日本人の生んだスポーツの極ね……』
新世紀エヴァンゲリオンは(株)ガイナックスの作品です。