「じゃあ、みんな準備はいい?」

 碇シンジは、綾波レイ、渚カヲル、そして、惣流アスカ・ラングレーの顔を順に見渡した。

「あったりまえじゃない。善は急げよ!」

 数日間でATフィールドの応用を含め彼らシンジの使徒たちにできることを全て身に付けたアスカは、自信満々といった様子で答えた。

 レイとカヲルは落ち着いた、しかし、真剣な表情でシンジの顔を見て頷いた。


 直後――世界は再び色を取り戻した。


新世紀エヴァンゲリオン

〜せめて人間らしく〜

第一部

第四章 再生


 シンジは早朝、尿意を催し目を覚ました。

どすん

 トイレへと移動するつもりでベッドから降りようとし、シンジは落下防止用の柵に足を引っ掻けて転げ落ちた。彼はその当時、子供用のベッドに寝かされていたことを覚えていなかったのだ。

(しまった。僕、子供に戻ってるんだよな……)

「どうしたシンジ。トイレか?」

 薄闇の中でシンジから顔は確認できなかったが、彼がベッドから転がり落ちたことに気付いて声を掛けたのは、碇ゲンドウだった。

「うん」

 動揺を隠しつつシンジが何とか返事をすると、「そうか」といってシンジの躰は抱え上げられ、トイレへと連れていかれた。


 シンジの第四の人生は、こうして始まった。

 レイが目覚めたのは、人工進化研究所第3分室内のLCLで満たされた水槽の中だった。周囲には、はっきりとした自我を持たない、しかし、自らと同じ姿形をしたものが漂っていた。

「ただいま」

 レイにとって、何故だかそれが相応しい言葉のように感じた。

(私、何故ここにいるの?)

 レイはこの当時の記憶を持っていない。『綾波レイ』の肉体達には、本来、この時点で覚醒を果たしたものは存在しないはずであった。

(私、どうしたらいいの?)

 水槽を抜け出すと、レイは様子を確認しつつ周囲を見回す。そこに着る物がないことなど全く気にはしていなかったが、とにかくシャワーを浴びて躰に染み込んだLCLを洗い流したかった。

 しかし、その部屋にはまだシャワーの設備は用意されていない。

(あれは……初号機?)

 やがてレイは、碇ユイによる接触実験に向けて準備が進められつつあるエヴァンゲリオン初号機の存在に気付いた。まだ早朝であることもあり、周囲に人影は存在しない。

(ここにいれば、碇君と逢える)

 LCLを洗い流すこともできず、水槽の中以外に居場所を見つけることもできないレイにとり、それは画期的な発見だった。


 レイはエヴァンゲリオン初号機に溶け込むように同化し、その場から消えた。

 カヲルが目覚めたのは、ドイツ国内にあるSEELE直轄の研究所――やはりLCLで満たされた水槽の中だった。第17の使徒タブリスの肉体はセカンドインパクトと時を同じくして覚醒を果たし、既に研究所内で人間として、また、人類補完計画の駒としての教育を受けている。

(ここで目覚めたって事は、僕はタブリスではないと言うことだね。正に神の思し召しと言うわけか……)

 既に深夜とはいえ、未だ周囲には人の気配があった。

(ここに僕の居場所はないということになるねぇ)

 カヲルは再び目を瞑った。


 翌朝、夜明けにも未だ早いという時刻に、カヲルは研究所を抜け出した。

(もう一人の僕にも会っておけばよかったかな……)

 カヲルは、そこにいるはずの別の『渚カヲル』のために用意された衣服を身に着けていた。

 シンジたちが新たな人生の第一歩を踏み出す中、アスカは夢の中にいた。

(やっぱり……)

 その日、ユイは自らが造り出したエヴァンゲリオン初号機の生体データを精査していた。

(ここ数日で明らかにパルスが強くなってる。これってリリスのS機関を移植したから?)

 それは、それまでの数年間積み重ねてきた零号機による実験では観測されたことのない異常なデータであった。

(まさか、初号機に自我が芽生え、その上急速に成長を始めたとでもいうの?)

 ユイの考察は半分正しく、半分間違いであった。

 エヴァンゲリオンには、希薄ではあるものの魂の欠片とでも呼ぶべきものが存在する。そしてリリスの魂の欠片は成長する――それは知られざるリリスの特性であった。移植されたS機関がエネルギーを与え、エヴァンゲリオン初号機の自我の成長を早めたことも事実である。しかし、ここ数日の変化は、誰にも知られぬままに初号機へと同化したレイの影響だった。

(急がないとまずいわね)

 エヴァンゲリオン初号機の内部では、レイがそこに芽生えつつあった幼い自我と対面していた。

『あなた、誰?』

『……』

『あなた、自分の形が解らないのね』

『……』

 そしてレイは突然理解した。

『そう……あなたは私……。私……初号機だったのね』

「今日も変わらぬ日々か……。この国から秋が消えたのは寂しい限りだよ。SEELEの持つ裏死海文書。そのシナリオのままだと十数年後に必ずサードインパクトが起こる」

 セカンドインパクトを境に日本では四季が失われて夏が続く中、冬月コウゾウはベビーカーに乗せられたシンジとそれを連れたユイと共に芦ノ湖畔を訪れていた。

「最後の悲劇を起こさないための組織。それがSEELEとGEHIRNですわ」

「人が神に似せてエヴァを作る――これが真の目的かね?」

「はい。人はこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きていられます。その中に宿る、人の心と共に。例え50億年経って、この地球も、月も太陽すらなくしても残りますわ。たった一人でも生きていけたら……。とても寂しいけど生きていけるなら……」

「人の証は、永遠に残るか……。私は君の考えに賛同する。SEELEではないよ」

「冬月先生。あの封印を世界に解くのは大変危険です」

(封印? 何のことだ……)

 ベビーカーに乗せられたままのシンジは、自分が3歳児らしい振る舞いを出来るとは思えないため、両親を含む他人の傍にいるときには狸寝入りを決め込んでいたのだが、コウゾウとユイの会話に、つい目を見張った。

「資料は全て碇に渡してある。個人で出来ることではないからね。この前のような真似はしないよ……。それとなく警告も受けている。あの連中が私を消すのは造作もないようだ」

「生き残った人々もです。簡単なんですよ、人を滅ぼすのは」

「だからといって、君が被験者になることもあるまい」

「すべては流れのままにですわ。私はそのためにSEELEにいるのですから。シンジのためにも……」

(母さん、まさか取り込まれるのを解っていて……。それがどうして僕のためになるのさ)

「LCL圧力、プラス0.2」

「送信部にデストルド反応なし」

「疑似フィールド安定しています」

 その日、GEHIRN本部内、人工進化研究所第3分室に隣接した広大な空間、地下第2実験場では、ユイによるエヴァンゲリオン初号機への接触実験が行われようとしており、制御室内には着々と準備を進めるオペレータの報告が響いている。

「何故ここに子供が居る?」

「碇所長の息子さんです」

 イライラを隠さないコウゾウの言葉に、赤木ナオコが答えた。

「碇、ここは託児所じゃない。今日は大事な日だぞ」

 コウゾウが詰問の目標を切り替えたその瞬間、通信が届いた。

「ごめんなさい、冬月先生。私が連れてきたんです」

「ユイ君、今日は君の実験なんだぞ」

 ユイにより実験場へ連れられてきていたシンジは、制御室の窓からエヴァンゲリオン初号機を見つめていた。

「だからなんです。この子には明るい未来を見せておきたいんです」

(あれが明るい未来なの? 母さん)

 制御室の窓辺にシンジを見つけ手を振るユイに手を振り返しながら、シンジは母親の真意を未だ掴みかねていた。

 コウゾウが落ち着きを取り戻したことを雰囲気から感じ取ると、ユイは改めてエントリープラグに乗り込んだ。

 この時代、未だ初期段階の設計でしかないエントリープラグでは被験者が乗り込み、プラグ内がLCLで満たされた状態での外部との通話は不可能であった。

「しかし碇。ユイ君は何を焦っておるのだ……。この実験、予定より2週間以上も早いのではないか?」

「冬月先生。私にはユイの考えていることなどわかりませんよ」

 ゲンドウはある種の諦観のようなものを見せていた。

 シンジは窓の外をキョロキョロと見回しており、端から見れば好奇心に駆られた子供があちこちを眺め廻しているように見える。

『綾波。どこにいるの? 綾波』

 しかし、シンジは自らのATフィールドを広げレイとのコンタクトを図ろうとしていた。シンジたちは自分たちと波長の合う――シンクロ可能な――神の眷属同士であればATフィールドを通じて意志の疎通を図ることができる。

『碇……君? 私は……初号機に……居るわ』

 シンジは初号機の周りに目を凝らしレイの姿を探すが、初号機に同化しているレイを発見することは当然のことながらできなかった。シンジはレイが初号機と同化しているとまでは知らなかったが、しかしそれでも、レイとの意思疏通が図れたことで、少なからず安心もしていた。

(僕は一人じゃない)

『実験のことは……私に……任せて』

『そうだね。頼んだよ、綾波』

 この場合、計画通りに接触実験への干渉を行うのは、初号機と同化しているレイの方が適任であった。

「実験開始」

 ゲンドウの厳かな宣言により、接触実験は開始された。

「主電源全回路接続」

「主電源接続完了。起動用システム作動開始。」

「稼働電圧、臨海点まで、後0.5……0.2……突破」

「起動システム第2段階へ移行」

「被験者との接合に入ります」

「シナプス挿入、結合開始」

「パルス送信」

「全回路正常」

「初期コンタクト異常なし」

「オールナーブリンク問題なし」

「チェック2550までリストクリア」

「第3段階への移行準備を開始します」

「2580までクリア」

「絶対境界線まで、後、0.9、0.7、0.5、0.4、0.3……」

 制御室は張り詰めた空気に満たされてはいるものの、オペレータたちの報告は淡々と続く。

うっ

 その時、ユイは強烈な悪寒を覚え、両手で口を押さえた。

(何故? まさか……間に合わなかった? でも……)

『この初号機は、私の、そして神の永遠の玉座とするために、私が私自身のために造り出したもの! さあ、私を受け入れなさい!』

 エヴァンゲリオン初号機の精神世界ではユイが自らの強力な意思の力をもって、初号機から感じられる自我を侵食していく。

『(あなたが此処に留まることで碇君が不幸になる。だから……ダメ)』

 それは、初号機――綾波レイ――の明確な拒絶。

 ユイの強烈な意思の力に翻弄されつつも、レイはユイを拒絶しきることに成功し、その結果、入り込もうとしていたユイの魂は初号機から弾き出された。

「パルス逆流!」

「第3ステージにて異常発生!」

「中枢神経素子にも拒絶が始まっています!」

「コンタクト停止。6番までの回路を開け」

「ダメだ。信号が届かない」

 突然、オペレータたちの報告が悲鳴混じりの物になった。

「実験中止。電源カット」

 その時、ゲンドウにより実験の中止が宣言され、その直後にはゲンドウ自身も動揺を隠さぬまま、実験場へと向けて走り去った。


『うまくいったみたいだね。お疲れ様、綾波』

『碇……君。私は……暫く……休……む……』

『おやすみ。綾波』

 とある仮想会議場。そこでは12体のモノリスによる会議が行われていた。

「GEHIRN本部でのエヴァンゲリオン初号機への接触実験」

「E計画の提唱者でもある我らが同士、碇ユイ」

「彼女をもってしても、エヴァンゲリオンは抑えきれなかったか」

東方の三賢者などと煽て上げられ、いい気になっておるからだ」

「聞けば、生命こそ損なわれてはおらぬものの、再び目覚める兆候は未だ見られぬそうではないか」

「生ける屍」

「その魂は初号機に捕らわれたか……」

「まあ、それとて、シナリオで予想された範囲内の出来事に過ぎんよ」


 やがて会議は終了し、01の番号を持つモノリスだけが残された。

「自ら人柱の道を選んだとは思えぬ。碇ユイ、その真意は誰にも量れぬか……」

 直後――最後のモノリスも消え去った。


(老人たちは、碇ユイが初号機に捕らわれたと解釈したか……)

 その時、カヲルは会議の様子を覗いていた。

to be continued...



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