新世紀エヴァンゲリオン

〜せめて人間らしく〜

第二部

第十六章 飛翔


 NERV本部地下。

 大深度施設と呼ばれる区域の最深部。

 ターミナルドグマと名付けられた地下空間の一部。

 ヘブンズドアに匿われ、磔にされた白い巨人の前に三つの人影があった。

「渚カヲル。西暦2000年9月13日、セカンドインパクトのその日に生まれ、SEELEの研究所で育つ。幼少時より来日までの15年間、その毎日は実験と少しの教育のみ。SEELEは最後の使者たるカヲル君に対し、彼らのシナリオに忠実であるために必要な情報のみを与えた。しかし使徒としての自分に与えられた名前、天使タブリスの司る自由意志というモノについて暇さえあれば考えていたカヲル君は、ある時遂に自分に与えられた真実の使命を知った」

 報告書でも読み上げているような長広舌は碇シンジ。日頃の彼らしい言葉遣いではないが、それは彼がこの十年余りの生活で気付いた彼の能力の一つ。淡々と述べられる情報の羅列は、現在山岡カホルとして生きているカヲルとの紅い世界から続く長い付き合いの中でシンジの聞いた言葉が、シンジの内にある人類の知識と同様に整理された物だった。

 元は薄緑色の膝上丈のパンツはLCLに浸ったために、今はオリーブ色に見える。薄い赤色の半袖のシャツはその色みに大した変化はないものの、やはり湿って肌に張り付いている。

 出撃は突然で、シンジにプラグスーツへ着替える暇は与えられなかった。

「そんなことまで知っているのかい?」

 渚カヲルは白のカッターシャツに黒のスラックス。彼には中学校に通った経験はなかったが、その装いはシンジが通う第3新東京市立第壱中学校の男子制服と同じ物である。

「カヲル君は使徒である自分の存在そのものを守ることには何の価値も認めなかったが故に、SEELEのシナリオに従い約束の日の前に自らの死を迎えることそれ自体には何の感慨も持っていなかった。しかし、押し付けられたシナリオに唯々諾々と従うことはタブリスの司るものに反する。どう見てもそこに自由はないからね。この矛盾を解消する唯一の方策が自ら望み、受け入れる死という選択だった。その死を演出するのがカヲル君のシナリオ。何年もかけて準備したんだよね?」

「君は僕よりも僕のことを知っているようだよ」

「カヲル君って、時々、会話に流れみたいなものが無いみたいに、意味が良く解らないこと言い出すよね。ああいうのがシナリオのセリフなんだよね?」

「そんなことまでお見通しなのかい? ふふっ、アドリブは苦手なのさ」

「悪いけど、あんたの自殺を手伝うつもりはないの。だからこの後の演出は私たちに任せるのよ。あんたの出番はもう直ぐ終わるけど舞台の終わりも直ぐだから、それまであんたはあそこの中。後は打ち上げまで大人しく待ってなさい」

 三人目の人物はブルージーンズに黒のノースリーブという装いに、レモンイエローのカーディガンを羽織っている惣流アスカ・ツェッペリンだった。

「しかし、それでは僕の使命が……」

「カヲル君にはまだまだ、知らなくちゃいけないことが沢山ある。でも、その中で本当に重要なことは、君が渚カヲル以外の何者でもないという事実だけかもしれない」

「我々も穏便に事は進めたい。君にこれ以上の凌辱、辛い思いはさせたくないのだ」

 01の数字の付けられたモノリスが話し掛けた相手は山岡カホルだった。

「私は凌辱されてもいないし、辛い思いもしていませんわ」

 薄暗い部屋に全裸で立たされているカホルは、ホログラフで表示された十二個のモノリスに囲まれている。

 透けるような白色の肉体。

 歳相応に小振りながら、重力を感じさせずつんと上を向くような張りのあるバスト。

 内臓がつまっていることを疑いたくなるほどに、キリッとしまったウェストライン。

 程良く肉が付き、丸みを帯びていながらキュッと上がったヒップ。

 全体的に細身ながらもめりはりの効いた、どこか作り物めいた感覚すら受ける完璧なプロポーションの裸身を惜し気もなくさらけ出しているカホルの顔に羞恥の色は見えない。

「気の強い少女だ。サードチルドレンが傍に置きたがるのも解る」

「おじいさま方は何か思い違いをしておられませんか? 私は自分の意志でここにいるのですよ」

「まあ良い。君にはこれから真実を知って貰う」

「選ばれし者として」

「これから何が起こり」

「何が生まれるのか」

「全てをその目で確かめるのだ」

「人は愚かさを忘れ、同じ過ちを繰り返す」

「自ら贖罪を行わねば、人は変わらん」

「予定より早いが、始まったようだな」

 その時、カホルの目の前に用意された小さなモニタには、NERV本部第1発令所のメインスクリーンと同じ映像が映し出されていた。

「見たまえ。これが第17の使徒タブリスだよ」

「そして、最後の使徒だ」

「君とは親しくしていたようだがね」

「やはり本能には逆らえない」

「アダムへと回帰しようとするモノだ」

「インパクトを起こそうとするモノだ」

「所詮、我々とは相容れぬモノなのだ」

「アダムや使徒の力は借りぬ」

「我々の手で、未来へと変わるしかない。初号機による遂行を願うぞ」

「正当な継承者たる失われた白き月よりの使徒、その始祖たるアダムのサルベージされた魂を持つ渚カヲルに、あなたがたの願いは託されたのではなかったかしら? それとも、もうお忘れになった? 嫌ですわね、老人性健忘症は」

「我々を愚弄する気か?」

「事実を提示しているだけですわ」

「カヲル君の言葉を借りれば、滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体はもう選ばれたんだよ。三十年くらい前のことかな」

「シンジ君。僕には君が何を言っているのか解らないよ」

「宿題よ。あんたは暫く暇になるんだから、自分で少しは考えたら?」

「全部終わったら、話してあげるよ。カヲル君。短い話じゃないから、今は無理だけどね」

「全部終わったらとはどういうことだい?」

「人類補完計画だよ。SEELEの準備ももうすぐ終わるんでしょう?」

「あれをぶっつぶしておかなきゃ、あたしたちの十年が無駄って事になるのよ」

「老人たちの準備は終わっているよ。シンクロテストの前にそう聞いたよ」

「それじゃあ、カホルを誘拐したのは……」

「老人たちだろうね。僕が死なない限り、彼らのシナリオは進まないからね」

「ってことは、あんたが死んだら、エヴァシリーズが攻めてくるのね?」

「それなら、なおさらカヲル君は生きている方が……」

「いや、やはり未来は君たちにこそ必要だ。ありがとう。君に会えて、嬉しかったよ……」

「カヲル君。それは君のシナリオのセリフじゃないか」

「あたしたちも生きる。そして、あんたも生きる。これが神の決定よ」

「しかし、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ。そして君たちは、死すべき存在ではない」

「それはSEELEが言っていることだけど、僕はそれが真実ではないことを知っているよ。だって、僕たちは生きているじゃないか」

「僕がアダムを目指すという可能性は考えないのかい?」

「アダムやリリスはもうその役目を果たし終えたんだ。そう、この巨人が抜け殻なのと同じでアダムも単なる抜け殻だよ。いっそのこと消えてしまえばいい」

 それはシンジがリリスを見上げながら言葉を発した直後だった。

ばしゃっ……ざっぱーん

「ちょっ、シンジ何やったのよ!」

「うーん。何もしてないけど……解らないや。まぁ、いいじゃない。手間が省けたし」

 磔にされていた白い巨人がLCLへと化し、その場に流れ落ちる様を目撃したカヲルはその衝撃に言葉を失う。

「それもそうね。じゃ、さっさと終わりにしましょ」

 切り替えの早いアスカはサンダル履きとは信じられない速度でエヴァの待つヘブンズドアの外へと急ぎ、シンジとカヲルも連られるように後を追った。

 その場に残されたのは、リリスと呼ばれた白い巨人を磔にしていた十字架だけだった。


「先に零号機を直しておこう」

 シンジたちがヘブンズドアの外に残したエヴァの元へ戻ると、そのすぐ傍に全身を包帯で巻かれた零号機があった。

 山岡ルナやアスカでも、S機関を持つエヴァの傷付いた身体に自己修復を掛けることはできる。それは彼女ら自身の身体についても同じことである。しかし、それで修復されるのはあくまでも生体の部分だけであり、その効果は装甲などの人工物までは及ばない。

 シンジは零号機に近付くと宙に浮き上がった。

『ルナ、思ったよりも時間がないみたいなんだ』

『何?』

『もうSEELEの準備は終わってるみたいだよ』

『そう』

『だから、今から零号機を直すよ。どんな気分か解らないけど、ちょっと覚悟しておいてね』

『解ったわ』

 零号機が元の姿を取り戻すのに掛かった時間はほんの一瞬。

 宙に浮いたシンジが零号機の背中側に回り、零号機に触れ、集中するために軽く目を瞑った直後、そこには新品同様の青い巨人が現れた。全身に巻かれていた包帯も消滅している。

 それがシンジの持つ、無から有を作る力。

「ねぇ、シンジ。零号機が勝手に直ってたら変に思われるじゃない。どうすんのよ?」

「あっ、全然考えてなかったよ」

『始まるまで、ここで待ってればいいわ』

「ルナ、あんたはそれでいいの?」

『問題ないわ』

「シンジ君。僕には零号機が心に直接話し掛けてくるような感じがするんだけどこれは?」

 ここへ来てようやく、相次いで目撃した理解できない事象の数々により暫し言葉を失っていたカヲルが会話に入った。

「ルナだよ。前にも言ったでしょ。ルナにはいつでも会えるって」

「僕には君たちという存在が本当に解らなくなったよ。君たちは一体……」

「それは――

「それは?」

「それも、宿題よ!」

「我らがタブリスに託した願いはその死のみ」

「左様。滅びは我らの手に因らねばならない」

「あなた方の手? エヴァの手の間違いですわね」

「エヴァンゲリオンは我らの力だよ」

「人間の知恵の、そう、科学の力だよ」

「科学? エヴァを科学と仰有いますか?」

「左様。人間が作り出したモノだ」

「アダムやリリスがなければ、指一本作れはしないのに?」

「それは見解の相違だ」

「アダムやリリスは素材に過ぎない」

「鉱物や石油と同じだよ」

「くすっ。見解の相違。それこそが人間を人間たらしめるモノですわね」

 立体映像のモノリスたちとの会話を続けるカホルの前のモニタには、現在ホワイトノイズ以外の何物も映っていない。

「あそこがあんたの控室よ!」

 アスカが指でカヲルに指し示したのは、初号機の口だった。

 シンジは既に初号機に取り付いている。

「口……かい?」

「他に何に見えるのよ」

「口と言えば、何故初号機には口があるんだろうねぇ?」

「それは――

「それは?」

「カヲル君を食べるためだよ!」

 耳に届いたシンジの言葉を理解した時には、既にカヲルは初号機の右手に捕まり、そのままの流れで初号機の口に運ばれていた。

「カヲル君には暫く初号機の中のヒトになってもらうから、よろしくね」

「僕に彼女と生き続けろと言うのかい?」

「彼女?」

「シンジ君のお母さんだよ。知っているんだろう?」

「僕の母さん? 初号機は空っぽだよ。10年前からずっと。母さんは最初から初号機にはいないよ」

「僕は初号機の中には君のお母さんがいると聞いていたんだけど?」

「僕たちがシナリオに干渉した最初の出来事だよ」

「では、君のお母さんはどこにいるんだい?」

「それが判らないんだ。初号機への接触実験の後は一度も会ってない」

「消えてしまったのかい?」

「うん。父さんの様子を見る限り、いなくなったのは間違いないと思うんだけどね……」

「君にも知らないことがあるんだねぇ」

「それはそうだよ。特に未来のことはわからないことばかりだよ」

「ところで僕が死ぬのと初号機に融合することの違いが、僕には解らないよ」

「死んだ振りをしとけって事よ。要するに、世界を相手に芝居を打つのよ」

「だが、サキエルは初号機に食べられて消えたはずだよ。同じことじゃないのかい?」

「カヲル君は消えないよ」

 シンジの言葉には何の根拠もない。

 しかし、カヲルにはそれでも良かった。予定とは多少異なっているが、自分が消えるシナリオは最後まで遂行できるのだ。


「シンジ君。君はそこで何をしているんだい?」

 僅かな時間考え事をしていたカヲルが気付くと、シンジは再び初号機から離れ、地に降りている。

「見て解らないの? 小道具さんよ!」

 アスカが解説を加える間に、シンジの前には人型が現れていた。

「それは?」

「等身大カヲル君人形だよ。良くできてるでしょう? これはエヴァと同じ体で出来ていて魂が込められてないから、カヲル君なら簡単に同化できるでしょう?」

「あんたのシナリオは、ここから人形劇になるのよ」

「僕が初号機に食べられて終わりじゃないのかい?」

「まだ少し残っているでしょ? カヲル君のシナリオは」

「続けることの意味が解らないよ」

「あんたバカァ? 結末くらいはお客さんに見せてあげないと失礼でしょ!」

「食べる瞬間は初号機のカメラに映らないからね。ちょっと動かしてみてよ」

 カヲルがアスカの方に視線をやっている間に、初号機はその右手にカヲル人形を掴んでいた。

「くっ。これじゃあ、動けないよ」

 苦笑混じりのカヲルだったが、その声は初号機の手から抜け出そうともがく人形から出ている。

「中々やるじゃない! それじゃ、とっとと終わらせるわよ」


 シンジが初号機のエントリープラグに戻るのを確認したアスカの掛け声は――


「Action!」

「人と人とは決して解り合えない」

「不完全な群体として生み出された我々人類の宿命」

「人と人との争いこそ我々人類の閉塞そのものだよ」

「だが、我らの希望は具象化されている」

「滅びの宿命は、新生の喜びでもある」

「神も人も、全ての生命が死をもって、やがて一つになるために」

「既に神はないと?」

「やがて、だよ」

「では、今、滅びを齎す意味は?」

「真実を知る者の義務だ」

「見たまえ」

 いつの間にか映像が復活しているカホルの目の前のモニタには、カヲルの最期の瞬間が映し出されている。

「神のシナリオの前には、使徒とて無力」

「この世界の全ての事象は、預言書に記述されている」

「預言書を読み解いたモノこそが、我々の知恵なのだ」

「全てが神のシナリオ通りなのであれば、尚更あなた方の出る幕はありませんわね」

「我々こそが選ばれし者なのだ」

「我らの行動そのものが、シナリオに記述されている」

「そこにあなた方の意志は含まれず、あなた方がシナリオの操り人形に過ぎないのであれば、具象化された希望というのもあなた方のモノではないのですね。くすっ。可哀想な人たち」

「山岡カホル。真実を知らされるべく選ばれし観察者とはいえ、我らは些か話しすぎた。我らを愚弄する言葉の数々も、その無知に免じ、敢えて許そう。時は満ちた。君には最後の晩餐を与えよう」

 01の番号の付いたモノリスが言葉を残すと、全てのモノリスが一斉にカホルの周囲から消滅し、部屋の灯りが着いた。

 連れてこられて以来、暗闇に包まれていたその部屋は窓一つない正方形。

 背後には閉ざされたドア。

 片隅の小さなテーブルの上にはパンとワインの注がれたグラス。

 周囲を見回すカホルの目に入る物はそれで全てだった。

 使徒タブリスの殲滅シーンの直後、それまで口に銜えられていたカヲルは初号機につるっと飲み込まれ、気付けば初号機への融合を果たしていた。そこに肉体は存在しないが自分という存在が消えたわけでもない、そんな曖昧な状況でカヲルはシンジに話し掛ける。

『やぁ、シンジ君。エヴァになるというのは不思議な気分だねぇ』

『そう? 僕は殆んど何も覚えていないよ』

『まるで君と一つになっているようで、とても気持ちの良いものだよ』

『あはは、そ、そう、なん……だ』

 現在初号機は発令所からの指示に従い、第15の使徒アラエルとの戦いの際に初号機がロンギヌスの槍を求めてターミナルドグマを往復したときに用いた簡易型リフトを用いて、上層のセントラルドグマ、エヴァのケイジへと移動している。

 発令所の人間はアスカがカヲルと同じようにエントリープラグ無しで弐号機を操れることを知らないため、シンジは初号機で弐号機を運ぶことを指示されていた。アスカも弐号機と一緒に運ばれている。

 勝手に動いた零号機に関しては、今のところ何の指示も出されていない。

『バカシンジ! 浮かれてるんじゃないわよ。あんたは芝居が下手なんだから怪しまれるわよ! バカヲル、あんたも大人しくしてなさいよ!』

『そ、そうだね』

『しかし、リリスと同じ体で出来ている初号機に僕が入っても平気なんだねぇ。本当にこの世界は不思議に満ちているよ』

『ぼけぼけっとしてる内に上に着いちゃうわよ! 少しは深刻そうな顔しておきなさいよ』

『カホルさんはどうなったんだろうねぇ』

『多分大丈夫だとは思うんだけど……』

『問題は時間よね』

『戻って来られるかな? どこに連れて行かれたんだろう……』

『君たちはカホルさん自身のことは心配ではないのかい?』

『カホルはカヲル君より強いと思うよ』

『あれが死んだりするわけないでしょう? 常識で考えなさいよ!』

『そういうものなのかい?』

『そうよ! っていうか、もう着いちゃうじゃない! 仕方がないわ。バカシンジは暫く黙ってるのよ』

『どうするつもり?』

『どんな時にも沈着冷静。任務のためには自分をも殺し、何事にも簡潔・簡単・確実な手段を用い、着実に目的を果たすクールな天才美少女パイロット、惣流アスカ・ツェッペリンというこの私のキャラを活かす時が来たのよ!』

「約束の時が来た。ロンギヌスの槍を失った今、リリスによる補完はできぬ。エヴァ零号機もまた自我を獲得し今では使徒と変らぬ。リリスの分身たるエヴァ初号機による遂行を願うぞ」

 最初に言葉を発したのは01と記されたモノリス。

 資料用のモニタには月面に突き刺さったロンギヌスの槍の画像が映し出されている。

「SEELEのシナリオとは違いますが?」

 立体映像のモノリスたちに対峙するのは六分儀ゲンドウだった。口の前で手を組み、他人に表情を窺わせないその姿はいつもと何ら変らない。

「人はエヴァを生み出すために、その存在があったのです」

 日頃のSEELEの仮想会議との唯一の相違点は、ゲンドウの斜め後ろに立つ冬月コウゾウの存在だった。彼が会議中に発言するのはこれが初めてのことだ。

「人は新たな世界へと進むべきなのです。その為の、エヴァシリーズです」

 コウゾウの言葉を補足するように、ゲンドウは持論を展開する。

「我らは人という形を捨ててまで、エヴァという名の箱船に乗ることはない」

「これは通過儀式なのだ。閉塞した人類が再生するための」

「滅びの宿命は、新生の喜びでもある」

「神も人も、全ての生命が死をもって、やがて一つになるために」

「死は何も生みませんよ」

 淀み無く紡がれるモノリスたちの言葉は予め用意された台本のセリフのようで、ゲンドウには何らの感慨も与えない。

「死は、君たちに与えよう」

 最後に再び01と記されたモノリスが発言すると、全てのモノリスは一斉に消滅した。

「人は、生きていこうとするところにその存在がある。それが、自らエヴァに残った、彼女の願いだからな」

 コウゾウの言葉は自分たちの立場、そして、想いを再確認するようなものだった。

 これがNERV本部における第17の使徒タブリスの殲滅から時をおかずに招集されたSEELEの仮想会議、そしてゲンドウらとSEELEが完全に決別した時だった。

「おじいさまがたのお話も終わりみたいですし、そろそろ帰りましょうか」

 周囲からモノリスが消え、部屋に取り残されていたカホルはそうひとりごちると背後のドアへと向かう。コンクリート打ちっ放しで窓一つ無いその部屋の唯一の出入り口は電子ロックで施錠されていたが、そんなものは何の障害にもならなかった。

 彼女は部屋に閉じ込められる前に全ての着衣を脱がされていたため、まずは着替えを確保する必要がある。

 若干の希望を込めてカホルが進んだ先は、ここまで彼女を連れてきた加持リョウジに替わり、彼女とSEELEの会見を準備した男たちにより彼女が脱衣を強要された部屋だった。

 部屋の壁には彼女が最初にその部屋を出た時と同じく、元は人間だったモノが押し潰された跡がそのまま残されている。それは、彼女が服を脱いだ直後に部屋に押し入ってきた数人の男たちであり、SEELE関係者から唆されたとは言っても直接の繋がりのない街のごろつき。カホルに対し凌辱を加える目的で用意された者たちのなれの果てだった。不埒な男たちの目的を知ったカホルは遠慮無くATフィールドを展開し、その結果、男たちは単なる壁の染みとなったのだ。

 カホルは深く考えていたわけではなかったが、ここはMAGIの監視下にない土地であり、ATフィールドの反応などが外部に検知されることはなかった。

「無いわね」

 カホルの着ていた洋服や下着は全て処分されていた。


「すまん。遅くなった」

 部屋のドアが細く開けられ、そこから下着やシャツの入った紙袋が差し入れられた時に聞こえてきた声はリョウジのものだった。

「道理で……」

 監視の者がいなくなっていることを不審に思っていたカホルだったが、それで腑に落ちた。


「どのくらいで戻れるのかしら?」

「2時間くらいかな」

「ぎりぎり間に合うかしら……」

「シンジ君、アスカ! 良くやったわ。ご苦労様。それにしてもアスカも隅に置けなじゃない。わざわざ一緒に帰るのにシンちゃんのシャワーまで待つなんてねぇ」

 エヴァをケイジに戻しシンジとアスカがチルドレン控室へと戻ると、そこにはミサトが待っていた。

「あんたバカァ? 何こんな所でぼけぼけっとしてるのよ!」

「カホルさんなら心配ないわ。今、保安部総出で捜索してるから保護されるのは時間の問題よ。シンジ君の他の家族も既にNERVで保護してるわ。だから一安心」

「それじゃあ何? 今、NERVに白兵戦ができる人間って全然残ってないの?」

「嫌ぁねぇ、それだけカホルさんを大事にしてるってことじゃない」

「だからあんたはバカなのよ!」

「どうして誘拐されたなんて判ったんですか? 脅迫電話でもあったのかな……。でも、アヤネさんたちもNERVにいるんじゃ連絡つかないですよね?」

「加持の馬鹿よ。あいつ私に盗聴されてるのを知らずに自分の部屋でべらべらと計画をしゃべってたの。それも独り言。信じられる? 録音だったから動くのがちょっち遅れて、カホルさんは間に合わなかったけれどね」

「何で加持さんが……」

「任務らしいわよ。バイトの。あの馬鹿、内調のエージェントもやってんのよ」

「アルバイトが公になったんでね――。以来、ここで水を撒いてた」

「アルバイトってそういう意味だったのか……。特務機関NERV特殊監査部所属、日本政府内務省調査部所属、そしてSEELEのエージェント。加持さんって三重スパイだったんだ。それであちこち嗅ぎ回ってたわけか。でも、何考えてるんだ……」

 シンジの内にある人類の知識は、シンジがそれを引き出そうと考えない限り、存在しないのと変わらない。見知った人物であるだけに、シンジは自分自身の記憶だけでリョウジという人物を捉えていた。その結果、シンジはリョウジの立場というものをこの時まで認識せずにいたのだ。

「ちょっと! 加持がSEELEってどういうことよ。内調が計画の邪魔をしようとして動いてるんじゃないの?」

「全く逆です。SEELEの準備が整ってるのにカヲル君が動かないからシナリオが進まない。それを焦った老人たちがカホルの誘拐を企てたというのが真相でしょう。カホルを脅迫材料にしてカヲル君を動かそうとしたんですよ」

「そうよ! バカヲルが消えるまではシナリオを止めておけたのに、あんたが余計な事するから。だからあんたは解ってないって言ってんの。あんたが引いたのはサードインパクトの引鉄よ!」

「やはり、六分儀はSEELEを裏切りましたな」

「奴の元にはリリス、そしてアダムまでもがある」

「アダムとリリス、禁断の融合を果たすつもりか」

「だが、奴に今のリリスを御すことは叶うまい」

「左様。その前に我らの願いが叶う」

「やはり問題はサードチルドレン、碇シンジ」

「多少の躊躇はあっても、親しいはずのタブリスをいとも容易く殲滅した」

「我らの前に立ちふさがることは間違いない」

「人柱には存分に役立ってもらおう」

「では予定通り、現地時間の明朝を約束の時とする。その前に、山岡カホルに挨拶をしておこう。可哀想ではあるが、彼女は今夜、眠れぬだろうからな」

ぷんっ

 カホルの監禁場所に設置されているはずの会見用の装置は、しかし、何も映し出さなかった。

「何があった? すぐに確認を取れ!」


「鈴が裏切ったか」

「やはり薄汚い狐を信用すべきではなかったなぁ」

「左様。シナリオには、またも修正が必要だよ」

「予定が変わった。我々には最早一刻の猶予も許されぬ。山岡カホルが碇シンジの元に戻る前に、全てを済ませる」

「結局、おじいさまたちからは本音が聞けませんでしたわね」

「まぁ、仕方ないさ。彼らの狸っぷりは年期が入っているからな」

 リョウジはカホルの協力により、SEELEとカホルの会話を盗聴していた。盗聴器から流れてきた音声を聞く限り、身体検査が厳重に行われたことは確かであり、何故カホルが盗聴器を持ち込むことができたのかはリョウジには理解不能であったが、それを訊くことは憚られた。

「黒幕は最後に舞台裏を暴露して消えるというのが定番だというのに」

「まだ最後じゃないってことじゃないか?」

「うふふ。そうですわね」

『ただいまニュースが入りました。本日23時より首相官邸にて緊急会見が開かれることが明らかになりました。内容に関しては情報が入り次第、お伝えします』

 第3新東京市へと向かう車の中でBGM代わりに付けられたラジオからは、ニュース速報が流れている。

「出来損ないの群体として、既に行き詰まった人類を、完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画。正に理想の世界ね。そのために、まだ委員会は使うつもりなのね。アダムやNERVではなく、あのエヴァを。それが加持君の、そしてあの子たちの予想か……」

 シンジたちに追い払われたミサトはセントラルドグマのとあるパイプスペースに潜り込み、携帯端末で資料を調べていた。そこにはMAGIに直接接続されているネットワークが通っており、かつてリョウジが極秘裏に仕込んだ秘匿インタフェースがある。

(大人が子供の言うことをそのまま真に受けて、勝手に戦争の準備なんか始められないもの)

「そう、これがセカンドインパクトの真意だったの……」

 端末を操作し、より詳細な資料を探り当てたミサトの傍には、無記名のIDカード。それもまた、リョウジが用意した偽造カードだった。

ビーッ、ビーッ、ビーッ

「気付かれた?」

 突然、端末の画面が非常事態を示す赤い文字で埋め尽くされ、周囲が警報音で包まれる。驚いたミサトは愛銃を構えるが、警備員が集まってくる気配はない。また、保安部職員であるミサト自身への緊急呼び出しもなかった。

「いえ、違うか……。始まるのね。こんなことなら、もっと早く読んどきゃ良かった」

 ミサトがリョウジから資料と偽造カードなどを預かったのは、およそ二週間前。ミサト自身がセカンドインパクトにトラウマを持っていることもあり、これまで本格的に調査する踏ん切りが着かないでいた。偽造カードは一度しか使えないとリョウジから聞かされていたため、徹底的に調査する覚悟ができるのを待つつもりだったのだ。

「シンジ君、げっそりしてましたね」

 初号機と弐号機がケイジに戻される様子を発令所のモニタで確認したマヤは、同じくモニタに映った二人のパイロット、シンジとアスカの様子が気になっていた。

「無理もないわよ。カヲル君とは仲良くしてたものね」

「あっ、顧問もこちらにいらしたんですね」

「あなたたちも、定時で上がれなくなっちゃったわね」

「第一種警戒体制のまま、本部施設の出入りも全面禁止なんて……」

「来る……と読んでいるのね。司令たちも」

 リツコは発令所上層の司令席に視線をやるが、現在は空席になっている。

「何がですか? 最後の使徒だったんでしょう? あの少年が」

「ああ。全ての使徒は、消えたはずだ」

「今や、平和になったって事じゃないのか?」

「じゃあここは? エヴァはどうなるの?」

「NERVは組織解体されると思う。俺たちがどうなるのかは、見当もつかないな」

 それなりに事情通と言っても過言ではない、副司令直属のオペレータであるシゲルにしてみても、NERVの今後に関しては不透明だった。

「補完計画の発動まで、自分たちで粘るしかないか」

「補完計画を潰すまで、よ。あなたたちはどの程度知っているの?」

「自分の知っていることと言えば、補完計画はNERVの上位組織である人類補完委員会が遂行している計画で、NERVはその計画の障害となる使徒を殲滅するために組織されたという程度です。計画そのものについては何も知りません」

「今なら司令もいないし、これ読んでおいたら? アブストラクト(概要)を読むくらいの時間はあると思うわ」

『今再び迫る危機――サードインパクトは人の手で起こされる』

(概要)

我らが人類に再びの危機が訪れようとしている。我々のグループは、西暦2000年9月13日、南極において発生しセカンドインパクトと呼ばれることとなった災害に関する科学的レポートを入手した。そのレポートは国連をはじめとする関係各所がひた隠しにしてきたセカンドインパクトの真相を明らかにするものであった。レポートによると、セカンドインパクトは人為的に起こされた災害であり、セカンドインパクトを発生させたグループはセカンドインパクトにおいて得られたデータを基に、更に規模を拡大させたサードインパクトとでも呼ぶべき惨事を引き起こそうと暗躍している。本レポートは、セカンドインパクトのレポートを物理学的、生化学的および形而上生物学的見地から多角的に解説し、また、「人類補完計画」と呼称され国連主導で現在進行しつつある計画の実体が人為的災害計画であることを明らかにするとともに、人類全体に警告を与えるものである。

「署名がありませんね」

「こんなもの危なくて記名で公表するのは無理よ。今の状況ではね。でも怪獣図鑑と出所は同じ」

「概要だけならまだしも、中身は自分には難しすぎる。どう見れば良いのか判らないようなグラフやら方程式ばかりだ」

「要点だけ簡単に言うと、使徒アダムと呼ばれるモノに対し葛城調査隊が南極で行った実験の結果、ある特定の手続きによって大規模なエネルギーの放出と同時にアンチATフィールドと呼ばれる特殊な場が形成される事が判ったの。それがセカンドインパクトの正体。人類補完計画はアダムの代わりに同格の存在である使徒リリスを用いて同じことを繰り返す計画よ。但し、補完計画ではアンチATフィールドの形成される空間を最少で9体という複数のエヴァを用いて全地球規模に拡大することを考えているわ。最少限度が9体という根拠やアンチATフィールドが何を齎すかなどについてもレポートの中に記述されているの。その辺は理論のお話だからどうしても難しくなるわね」

「レポートの議論が正しいとしても、ベースにしているセカンドインパクトのデータが信頼できなければ無意味ですよね? アペンディクスとして記載されているデータが捏造されたものである可能性は否定できませんが……」

 以前、マヤと共にシンジから二つの補完計画について説明を受けたリツコだったが、荒唐無稽なその内容には半信半疑だった。

「データはMAGIにもあるはずよ。私たちのセキュリティレベルでは見られないでしょうけど」


「第1種警戒体制中だというのに、君たちは一体何をしておるのかね」

 頭上から掛けられた声は、スタッフの誰もが気付かない内に発令所に戻っていたコウゾウのものだった。


「日本政府からA−801が出されました!」

 発令所において政府及び関係各所との連絡はシゲルを通じて行われる。そのため、彼は日本政府からNERVへの通達を一早く知り、報告する立場にあった。

 A−801とは特務機関NERVの特例による法的保護の破棄を宣言するとともに、指揮権の日本政府への委譲を命令するものである。

「最後通牒だな」

 誰にともなく呟いたコウゾウの言葉は、何故か発令所の主要スタッフ全てに届いた。

ビーッ、ビーッ、ビーッ

 A−801の通達からほとんど時をおかずに、NERV本部には警報音が鳴り響き始め、スクリーンはEMERGENCYの赤い表示で埋め尽くされる。

『第6ネット、音信不通』

『強羅地上回線、通信途絶』

「左は青の非常通信に切り替えろ。衛星に切り替えても構わん。……そうだ。右の状況は?」

 各方面から次々と入る凶報に発令所の職員が奮闘する中、事態を重く見たコウゾウは、事態の打開を図るべく自ら率先して指揮を執っている。

『外部との全ネット。情報回線が一方的に遮断されていきます』

「目的はMAGIか……」

 現在までに発生している事態は全て、情報という観点において、第3新東京市を外部から孤立させるだけのものである。せいぜいMAGIによる外部への活動と情報の収集能力を無力化する程度のものであり、NERV本部の機能を奪うものではあってもMAGIその物への攻撃ではない。すなわち、この事実のみをもって敵対者の目的がMAGIであると推測することはとても論理的とは言えない。

「全ての外部端末からデータ侵入。MAGIへのハッキングを目指しています」

 シゲルの報告は、しかし、コウゾウの予想を肯定するものだった。

「やはりな。侵入者は、松代のMAGI2号か?」

「いえ、少なくともMAGIタイプ5。ドイツと中国、アメリカからの侵入が確認できます」

「SEELEは総力を挙げているな。彼我兵力差は1対5。分が悪いぞ」

 NERV本部のMAGIへの攻撃には五つのMAGIの複製品が含まれており、それらは全てNERV支部に設置されている。しかしコウゾウはその攻撃をSEELEによるものであると断定した。本来NERVという組織はSEELEの傀儡である国連組織、人類補完委員会の下部組織であるから、NERV本部や全てのNERV支部は実質的にSEELEの下部組織である。

 コウゾウ自身はゲンドウと共にSEELEとの決別の瞬間に立ち会った上に、過去においてゲンドウの持つ独自の補完計画に賛同した時点でこの時の到来は覚悟していた。互いに存在を利用し合う関係であったことは事実だが、SEELEは彼らにとって最初から敵対勢力であった。

「第4防壁、突破されました」

「主データベース、閉鎖。……駄目です。侵攻をカットできません!」

「更に、管理エリアに侵入。予備回路も阻止不能です」

「まずいな。MAGIの占拠は、本部のそれと同義だからな」

 NERV本部の様々な活動はMAGIにより管理されている。

 NERVの存在意義そのものと言っても過言ではないエヴァの管理はその代表である。エヴァの管制システム、ケイジにおけるエヴァの拘束システムや地上への射出用カタパルトの制御など、どれをとってもMAGI無くしては運用できない。

 また、第3新東京市やその周辺に設置された索敵システムやジオフロントという地中深くに位置するNERV本部施設の生命維持なども全てMAGIの存在に依存している。

 コウゾウの言葉はその事実を説明していた。


 それまで発令所の喧騒を黙って眺めていたゲンドウが、ようやくここで口を開いた。

「赤木博士、MAGIの自律防御を実行したまえ」

 通常、MAGIへの攻撃はMAGIと外界との接点となるコンピュータ群により防御されるため、MAGIが攻撃への対処のためにその演算能力を用いることはない。自律防御とは、その前提を崩すMAGI自体の演算能力を用いた防御機構を意味する。


「MAGIは前哨戦に過ぎん。奴等の目的は、本部施設、及び、エヴァ4体の直接占拠だな」

「ああ。リリス、そしてアダムすら我らにある」

「老人たちが焦るわけだ」

 ゲンドウの指示に従い作業を開始したリツコらの様子を確認すると、発令所の最上層にある司令席のコウゾウとゲンドウは互いの認識を確認し合うように囁きあった。


 リツコが作業のためにMAGIの筐体内に入ってから暫くの後、完全に制圧されるのも時間の問題であることを表すように一点を残して真っ赤に染まっていた外部からの侵入状況を示す模式図が、瞬間的に青一色へと戻った。

「MAGIへのハッキングが停止しました。Bダナン型防壁を展開。以後62時間は外部侵攻不能です」

 オペレータ席のマヤが報告した内容は、それまで訪れていた危機の一時的な回避の成功という事実だった。モニタには666という数字が踊っている。

「牛刀を以て鶏を割くとは、正にこのことよねぇ」

 ネットワークに接続された端末の前で、独り呟くのは赤木ナオコ。彼女は京都にある碇商事本社ビルの地下室にシンジが設置した、サードインパクトへ至る歴史を知る碇のMAGIと共にあった。

 碇のMAGIはナオコがGEHIRNを離れて京都へとやってきて以降ナオコの管理下にあった。そして、NERV本部のMAGIオリジナルは、極秘裏の内にではあるが、その稼働開始の時点から継続して碇のMAGIに監視されている。具体的には、NERV本部のMAGIオリジナルへの主要な入力データの複製を碇のMAGIに転送することで実現されている。

 NERV本部のネットワークが受けた攻撃は、MAGIに繋がる全てのネットワークを遮断したわけではなく、現実に各国のMAGIコピーがMAGIオリジナルに対して攻撃を行うために必要なネットワークは残されていた。旧GEHIRN時代から残る回線がその代表であり、碇のMAGIへもそこを経由して接続されている。

「攻撃目的の相手を一々全力で相手にする必要なんてないのに。みすみすDoS攻撃の成功という成果を与えるなんて……専門家じゃないとその辺は解らないのかしらねぇ」

 DoS(Denial of Service)攻撃とはコンピュータに対する攻撃の一種で、目標となるコンピュータシステムの破壊といった直接的な攻撃ではなく、対象への継続的なアクセスなどにより当該システムの本来の機能を麻痺させる攻撃を意味する。

 第666プロテクトとも呼ばれるBダナン型防壁は、リツコが開発したものであり、その存在はMAGIを扱う者に広く知られている。コンピュータへの攻撃というものは、一般にプログラムの不具合を突く。MAGIのように生体を模した有機コンピュータの場合には、それに加えて生体特有の反射的な反応の隙を突くような攻撃が併用される。Bダナン型防壁はMAGIオリジナルの三体が互いを監視し合うことで隙を無くし、与えられた入力が攻撃目的の不正データであるかどうかを一々MAGIの演算能力を用いて正確に判断するというプログラムである。

 Bダナン型防壁は62時間しか使用できない。これは、それ以上の継続的な負荷にMAGIが耐えられないことを意味する。それ程の演算能力を防御に向けるのであるから、当然MAGI本来の業務に残される演算能力は大きく制限される結果となる。

 SEELEによるNERV本部のMAGIオリジナルへの攻撃の意図は、NERV本部の主要な機能を奪い取りSEELEの管理下に置くというものであり、その意味では失敗に終わった。しかしNERV本部の立場から考えれば、SEELEに奪い取られないにしてもMAGIの機能が制限されることは本部の機能の低下を意味する。MAGIという物体は守られていても、それが司る様々な物は守られていないというのでは、意味が無いのだ。


「ま、おかげでこっちも動きやすくなるってものよね」

 MAGIにはバックドアとでも呼ぶべき穴がいくつか存在する。その多くは、ナオコが開発段階のMAGIに直接アクセスするために用意した物であり、彼女だけがその存在を正確に把握・理解している。また、NERV支部に設置されているMAGIコピーは、その名の通りコピーであり、複製の製作者が理解していない部分をも含めた完全なコピーであるが故に同じ穴を持っている。

 開発者のナオコがバックドアを用いれば、MAGIの守りなど存在しないのと同じことだ。

「碇のバカヤローなーんちゃって……ぽちっとな」

 その瞬間、NERVや人類補完委員会及びSEELEの暗部を暴露する各種の機密文書がNERV本部のMAGIオリジナルや各国支部のMAGIコピーの名のもとに世界中に発信された。そこにはセカンドインパクト関連の資料も含まれている。

 MAGIの名といっても、受け取る人間が読むべき情報として署名されているわけではない。情報の出所を探った時にそれぞれのMAGIへと行き着くために必要な情報が間接的に付加されているだけのことである。

 ナオコの操作により、碇のMAGIはまず初めにBダナン型防壁により殻に閉じこもっているMAGIオリジナルに成り済まし、各NERV支部に設置されているMAGIコピーのバックドアにアクセスした。MAGIコピーからすればそれは開発者による特別なアクセスであるから攻撃と見做されることもなく、また、ナオコが現在攻撃中であることを管理者に知らせる義理もない。後はそれぞれのMAGIコピーから正規の方法で情報を発信しただけである。情報を受け取る側には、実際にMAGIコピーから受け取ったことを疑う余地はない。その程度の作業はMAGIにとって軽いものであり管理者が可能性を考慮して監視でもしていない限りは、異常事態であることすら気付かれない。

 碇のMAGIはより多くの経験を積んでいる事を除けば、本部のMAGIと同じ物でありそのデータをも含めた完全な複製として神の手で創造された。その上、その存在自体が知られていないのであるから、碇のMAGIによるMAGIオリジナルへの成り済ましも発覚する恐れは限りなく小さい。

 シャワーでLCLを洗い流しプラグスーツに着替えたシンジと同じくプラグスーツに着替えたアスカはチルドレン控室で待機していた。本部施設の出入りは禁止されている上に、それ程遠くない未来に戦いが始まることを予測している彼らには、他に適当な居場所が無い。

 長椅子に座るシンジに対し、近くの壁により掛かるように立つアスカという構図は、この場にルナがいないことを除けば良くある光景だった。

「リナに会って行かなくていいの? せっかく本部にいるんだし……」

「僕もリナも芝居は下手だから……」

 シンジはこれからの計画をリナに知らせていない。本来の予定では、彼女たちは既に京都へと帰っていたはずなのだ。

「ふーん。……リナって本当に素直でいい娘よね。あのファーストと同じとはとても思えないわ」

「育った環境が違うだけだよ」

「で、バカシンジはどっちを選ぶの?」

「選ぶってどういうこと?」

「人間らしく生きていくって言うなら、結婚だってするんでしょう? どっちを正妻にするかってことよ!」

「僕たちは望んだ訳じゃないけど、厳密な意味で人間じゃない。そんな数少ない仲間を分け隔てするなんて出来ないよ。それに、僕が選ばれるとは限らないし……」

「他にいないじゃない」

「カヲル君だっているんだし」

「あんたバカァ? あの二人が、ほいほい乗り換えるわけないでしょ」

「カヲル君はいいヒトだよ」

「それに、カホルだってどう見てもあんた狙いじゃない。どうするの?」

「そんなこと、その時になってみないと解らないよ!」

「ふーん、あんたはこれからも状況に流されるままの人生を送るってわけね」

 アスカはくつくつと沸き上がる含み笑いを隠しもしない。

「大体、どうしてアスカがそんなこと訊くのさ?」

「面白いからに決まってるじゃない!」

「どこが面白いのさ」

「三人の女たちの間で繰り広げられる略奪愛。そんな女たちの繰り広げる闘争に心を痛める男が一人。ハーレムルートが険しい道程なのは定番でしょ?」

「みんな解ってくれるよ」

「あんたにそんな甲斐性があるんだ。ふーん」

 そう言うと、アスカはにやりという笑い顔を浮かべながらシンジに歩み寄る。そして、座ったままのシンジに対し、立っていることで高所から見下ろす関係を確保したままのアスカは続けた。

「ねぇ、シンジ。キスしようか?」

「え? 何?」

「キスよ、キス。したことあるでしょう?」

 耳に届いたアスカの言葉を疑ったシンジは咄嗟に訊き返したが、それは聞き違いではなく、シンジには頷くことしか出来なかった。

「じゃあ、しよう」

「どうして?」

「退屈だからよ」

「退屈だからって……そんな」

「このあたしが直々にあんたの甲斐性を調べてあげるって言ってんのよ? それとも、これから最後の戦闘だって時に女の子とキスするの嫌?」

「別に」

「それとも、怖い?」

 シンジとアスカ、二人の脳裏に思い浮かぶ光景は正しく二人のファーストキスの場面。

 しかし、この後の展開は過去とは大きく異なっていた。

「怖かないよ。キスくらい」

 シンジは目の前のアスカの手をとり、長椅子の自分の左側にアスカを座らせる。

 アスカは突然のシンジの行動に反応できず、なすがままにシンジの隣へと座らされていた。気付くとシンジの左腕が背中を捉え、殆んど同じ高さの目線でシンジと見つめ合う体勢。

 次にシンジの右手はアスカの左頬を撫でると、軽く顎を捉える。

 アスカは頬を撫でられたその瞬間、背筋にゾクゾクという、だが不快ではない感覚を味わい、同時に自らの身体の自由が奪われたように感じる。一瞬の驚きに目を大きく開けたアスカだったが、迫り来るシンジの顔を感じ取るとその瞼は自然と閉じられた。それは自覚的な行動ではなかったが、アスカには抵抗できない。


 接触は、それから間もなくのことだった。


 静かに寄せられた唇と唇。

 過去には鼻息がこそばゆいと言ってシンジの鼻を摘まんだアスカだったが、この時はそのような行動は取れなかった。シンジの鼻息すらもアスカの自由を更に奪い、閉ざしていた唇が僅かに開く。

 その直後、シンジの舌は僅かに開いただけのアスカの唇を割って入る。

 口腔内を蹂躙するような乱暴な動きではなく、歯茎から歯の裏、そして舌の裏と丁寧に愛撫するシンジの舌。それがアスカに――

じゅんっ

 染みた。

 01から12までの番号が付けられたモノリスだけが浮かび上がる暗闇で、SEELEの会議は続けられていた。

「碇はMAGIに対し、第666プロテクトを掛けた。この突破は容易ではない」

「MAGIの接収は中止せざるを得ないか」

「出来得るだけ穏便に進めたかったのだが、致し方あるまい。本部施設の直接占拠を行う」

 いつものように01が結論を述べると、その直後から世界は動き出す。

 その時、黒い影が草木の生い茂る山の中で、さしたる音も立てずに一人の男の元へ走り寄った。

 そして男は影の耳打ちを理解すると、低い声で指示を出す。

「始めよう。予定通りだ」

 男は戦略自衛隊の前身の一つである陸上自衛隊の第1師団、第31普通科連隊に所属していた時代にセカンドインパクトを迎え、自衛隊から戦略自衛隊への組織変更の際に常勤の自衛官として改めて任用された、最前線に出動する隊員としてはもはや古株と言って良い小隊長の一人だった。

 当時の第31普通科連隊は神奈川県横須賀市の武山駐屯地に所属する連隊であり、訓練のための招集時以外には他の職業に従事する即応予備自衛官が主体の部隊。男もまた、平時には自身の出身地である地元横須賀で親族が経営する葬儀屋で働いていた。

 セカンドインパクトとその後の混乱は、それまで食いっぱぐれがないとされていた業界にも深刻な影響を齎した。インパクトの被災者はその数からして余りに膨大であり、余程の名士でもなければ個々人の葬儀が行われることは無かった。また、生き残った人間たちにしてみても直接・間接に受けた被害は深刻であり、苦しい生活の中で葬儀や埋葬といった習慣は急速に合理化されていく。十年以上の時を経た今では再び状況が変わっているとはいえ、セカンドインパクト直後の数年間、事実として葬儀屋は食いっぱぐれたのだ。

 今、正に始まろうとしているNERV本部への侵攻作戦には、NERVというカルト宗教の狂信者的集団が企てているサードインパクトを阻止するという名目が与えられている。

 軍ではなく自衛隊と名が付いているとは言え軍に準じる組織である以上、組織からの命令は絶対であるが、この作戦に関しては命令の存在を抜きにしても正義は自らにあると男は考えていた。何もこの小隊長が特別なのではなく、セカンドインパクトを経験した者であれば皆、同様の気持ちを少なからず持っている。


 男が指示を出した直後、小隊に所属する数10名の隊員は静かに整然と、しかし素早く移動を開始した。

 周囲には既に銃声や爆発音が鳴り響き、あちこちで火の手が上がっている。

 戦略自衛隊全体としての作戦行動は、その初期段階として第3新東京市を外部から孤立させることを目的とする情報ネットワークの遮断から始まった。

 次の段階は、第3新東京市周辺のレーダー施設の破壊である。この目標にはロケット砲などによる長距離射撃の部隊とVTOL攻撃機などの航空戦力が投入されている。NERVという組織は人間相手の軍事組織の体裁を最初から持っていないこともあり、レーダー施設の防御機構なども皆無と言って良い。この作戦は何の反撃も受けない楽な仕事と認識されていた。

 ここまでの作戦は第3新東京市の周辺地域が舞台であり、これ以降はNERV本部のお膝元である第3新東京市が戦場となる。

 第3新東京市内は使徒と呼ばれる敵性体への攻撃のため、NERV本部により針ネズミのように武装されている。それらの兵装は、軍のような人間の武装集団やその兵装を相手にすることを想定した装備ではないが、誘導弾をはじめとする対空兵装はこの作戦に参加している部隊の種別によっては充分な脅威である。特にヘリコプターなど比較的低速で低空を移動する航空機には危険な戦場と言える。

 第3新東京市内での作戦もまた、複数の段階に分けられる。

 その初期段階は、ロケット砲などによる長距離射撃によるNERVの固定兵装の破壊から始まった。長距離射撃による攻撃を皮切りに戦車部隊を市内へと投入し、NERVの対空兵力を奪うことがこの段階の目標であった。

 NERVの対空兵力の削減という作戦の裏では、同時にまた別の作戦が展開された。それが、歩兵部隊によるNERV本部への突入作戦である。先発隊は特殊部隊とでも呼ぶべき専門家による急襲突撃隊であり、NERV本部の保安部員を主体とする歩哨や警備員たちを排除しつつ、後続部隊のための突破口を開くための部隊だった。同じ部隊はもう一つ別の任務を負っている。それはNERV本部のMAGIオリジナルの確保だった。

 男の率いる小隊はNERV本部突入の後発隊であり、その最重点目標はエヴァパイロットの排除である。戦力として投入される部隊は男の小隊だけではなく、小隊が所属する連隊、更に戦略自衛隊東部方面隊に所属するいくつかの連隊という規模であり、歩兵だけでもその数は数百人を越える。NERV本部の人員には本物の軍人がほとんど含まれていないこともあり、任務は比較的容易であると見る向きも多い。もっとも、NERVがエヴァを持ち出した場合には戦略自衛隊側の敗北という可能性すら考えられるため、突入部隊の任務は重大と考えられていた。


「行くぞ」

 小隊が任務として指示された突入箇所に近付くと、男は再び声を掛ける。

 この日の全ての作戦は連動しており、前段階の戦果を吟味しつつ時間をかけて進行させる類のものではない。予め与えられたスケジュールに則り、それぞれの部隊がそれに合わせて行動する。

 時刻は23時05分。山の中はほぼ完全な暗闇に包まれている。唯一の光源は、木々の隙間から見える満月だけだった。

 暗視ゴーグルを装備した男たちの前には、山の風景に巧妙に偽装されたNERV本部の入り口の一つがあり、先発隊は既に突入を開始していた。

『ピッ、ピッ、ピッ、ポーン。時刻は午後11時を回りました。ここからは予定を変更して、総理官邸より緊急の記者会見の模様をお伝えします』

 走る車の中のカホルやリョウジに現在の状況を知る術はなかったが、後一つ山を越えればそこは第3新東京市である。

「加持さんはこのまま第3に戻っても大丈夫なのですか?」本国内閣総理大臣の――

「心配してくれるのかい?」言えば、わたし一人でございます……。わはははははっ』

 カーラジオから流れる音声には時折、記者たちの笑い声が混じっている。それは落語が趣味の好好爺として知られている現首相による記者会見では良くある光景であり、カホルやリョウジが特に興味を惹かれるものではない。

「ふふっ。当然ですわ」

「騎士として当然の役割ですよ。姫」

 その時、山が燃えた。

「もう始まっているのね……」

「こいつは、別の危険を心配しなくちゃいけないな」――でありますから、先ほど防衛庁長官を罷免致しました』

 時計が23時丁度を示すのと同時に、攻撃は開始された。

『第8から17までのレーダーサイト、沈黙』

「特科大隊、強羅防衛戦より侵攻してきます」

「御殿場方面からも、2個大隊が侵攻中」

『三島方面から接近中の航空部隊は……』

 各所からNERV本部第1発令所へと届く緊急の通信も、オペレータたちが確認する状況も、何もかもがNERVへの攻撃を意味している。


「やはり、最後の敵は、同じ人間だったな」

 ゲンドウはコウゾウのぼやく言葉を聞き流し、命令を発した。

「総員、第一種戦闘配置」

「戦闘配置? 相手は使徒じゃないのに……。同じ人間なのに」

「向こうはそう思っちゃくれないさ」


「内閣総理大臣、防衛庁長官の罷免を発表。同時に自衛隊法7条による自らの最高指揮監督権を主張……何だこれ?」

「何事かね?」

 突然報告とも独り言ともつかないシゲルの言葉を耳にしたコウゾウが確認の言葉を掛けると、シゲルは即座に回答を返した。

「ニュース速報です」

「向こうも内輪揉めか。だが、ここの状況が変わったわけではないぞ」

「はい」


『台ヶ岳トンネル、使用不能』

『西5番搬入路にて、火災発生』

『侵入部隊は、第1層に突入しました』

 警備関係の各所から次々と通信で伝えられる報告は、侵攻部隊のNERV本部内への侵入経路が多岐にわたっており、かつ、その侵攻速度が速いことを示している。

「西管の部隊は陽動だ。本命がエヴァの占拠ならパイロットを狙うぞ。マヤちゃん、シンジ君とアスカちゃんをエヴァに待機させてくれ」

「はい」

 蕩けるような時間にも終焉は訪れる。

「あれ? アスカ、泣いてるの?」

 それは接触の時と同じように静かに離れていくシンジの舌を名残惜し気に舌先で追い掛けるアスカの耳に届いたシンジの声。

 その言葉に、アスカは閉ざしていた瞼を開くと目の前には優し気な表情を浮かべたシンジの顔がぼやけている。

「あたし……泣いてる?」

「アスカは……アスカだって独りぼっちじゃないんだよ。少なくとも僕はアスカのことを見てあげる。だから泣いてもいいんだ」

 涙に気付いたシンジは、アスカの身体をそっと抱きしめた。

ごすっ

 抱きしめられたアスカの反応は、シンジへのボディブロウだった。

 突然の攻撃に身体をくの字に折曲げ、両腕から力を抜いたシンジから逃れたアスカは、勢い良く立ち上がり、そして、シンジを睨み付けながら言い放つ。

「知った風なこと言ってんじゃないわよ!」


 一度は部屋から飛び出したアスカだったが、近くの自動販売機で買ったオレンジジュースを飲み干し、一息吐いて冷静さを取り戻すとシンジの様子が気になった。既に上気し熱を感じていた顔面も平常に戻っている。彼女としても、別に喧嘩別れしたいわけではないのだ。


「うーん。アスカにはこれで良いはずだったのになぁ。帰ったら修業のやり直しか。これは先生に相談しないと……。でも、今回は先生は先生じゃないんだよなぁ」

 アスカが扉の外から控室の中の様子を窺うと、ぶつぶつと呟くシンジの声が聞こえてきた。

「ぷっ。ぶはははははっ、何それ? 修業って! 先生って! うぷぷっ。ちっとはましになったのかと思ったら、今度はマニュアル男なの? ひぃっ、もう止めて! あんた面白すぎっ。くっくっく……」

 密かに様子を窺うつもりのアスカだったが、シンジの言葉に込み上げる笑いを堪えられなかった。

 ミサトは警報を機に潜り込んで情報を探っていたパイプスペースから、本来の職場である保安部の待機所に戻っていた。

「どこもかしこも音信不通……。まずいわね」

 各所からの連絡を受けつつ、戦況の把握に努めているミサトは無意識の内に右手親指の爪を齧っている。

 待機所に多数設置された監視用のモニタに映るものは、通常時、警備の人員が派遣されている場所でも、カメラによる監視のみで済まされている場所であっても、既に戦闘の爪痕だけといって過言ではない。監視カメラの機能が殺され、ホワイトノイズだけになっている箇所も少なくはない。

 保安部の待機所は複数存在し、現在ミサトのいる待機所はセントラルドグマの第4層に位置する。より上層に位置する待機所は既に侵入者への対応で手一杯であり、ミサトのいる待機所が保安部全体の指揮を執るような形となっていた。

「戦自は本気ね。NERVを完全に消滅させるつもりか……」

 ジオフロントという地下に位置するNERV本部では、機密レベルの高い部署程、地下深くの階層に配置されている。逆に、地上近くの階層には、広報部をはじめとする、より民間人に近い職域の部署が配置されている。

 侵入者は地上から侵入を果たし、更に地下深くへと侵攻して行くため、初期の被害者は民間人よりの職員ばかりであった。

「本命がエヴァの占拠ならパイロットを狙うわね。でもシンジ君とアスカは下で待機中。あの子たちは大丈夫か……。カホルさんはこの状況ではどうにもならないわね」

 ミサトがリョウジに取り付けていた盗聴器からの音声で誘拐計画が明らかになった後、手空きの保安部員は総出で第3新東京市内の捜索に出ていた。しかし、第3新東京市外へと連れ去られたことが記録から確認されたため、既に捜索は打ち切られている。戻ってきた保安部員たちも、戦況から鑑みるに既に大部分が失われている。

「他のチルドレンは零号機に消えたルナさんだけ……リナさん! リナさんとご家族はどこ?」

 ミサトは突然立ち上がると同僚に尋ねた。

「この上の第31会議室です」

「フォースチルドレンであるルナさんとリナさんは双子だからパッと見では区別がつかない。戦自が本気でパイロットを狙っているなら、あの娘も危ないわ!」

『セントラルドグマ、第2層までの全隔壁を閉鎖します。非戦闘員は第87経路にて待避して下さい。繰り返します……』

「地下第3隔壁破壊。第2層に侵入されました」

 NERV本部内に流れる放送は、セントラルドグマの第2層より上層部分の破棄を意味する。それに続けてシゲルが報告した戦況は、その決定が避けられない選択であったことを証明するかのようなものだった。


「戦自、約一個師団を投入か。占拠は時間の問題だな」

 発令所の上層に位置する司令席では、コウゾウが戦況を他人事のように解説していた。

「冬月先生。後を頼みます」

「リリスのサルベージが済んでいない今、何をするつもりだ?」

「後を頼みます」

 ゲンドウはコウゾウの質問には答えず、ただ頭を下げている。

「まったく、お前はいつでも面倒事は全て私に押し付けるのだからな……。ユイ君によろしくな」

 コウゾウが溜め息混じりに言葉をかけた時には、ゲンドウの乗り込んだ下りのエレベータは既に降下を始めていた。


「ターミナルドグマより、高エネルギー体が急速に接近中」

「ATフィールドを確認。これは……零号機です」

 シゲルとマヤによる報告を聞くまでもなく、画面を分割し、複数箇所の戦況を映し出しているスクリーンの内の一つ、ジオフロントの映像に零号機の姿が現れていた。

 勝手に動いてターミナルドグマへと侵入し、その後の混乱により回収に関する算段を立てる暇も与えられなかった零号機が、再び自発的な行動を開始しようとしている。


『僕も出ます』『あたしも出しなさいよ』

 初号機のシンジと弐号機のアスカから発令所へと通信が入ったのは殆んど同時だった。

「ねぇ、シンジ君もアスカもどうして戦えるの? 相手は同じ人間なのよ」

 マヤは相手が使徒ですらないのにも関わらず、またも自分の代わりに子供たちを戦場に立たせることを躊躇していた。

『あんたバカァ? 訳解らない連中が攻めて来てんのよ。降り懸かる火の粉は払い除けるのが当ったり前じゃない!』

『僕たちが目標になってるのは間違いないですから、外に出た方がいいんですよ』

「構わん。出したまえ」

「武器はどうする? 地上の施設は壊滅的だ。一旦外に出たら補給はないと思ってくれ」

 コウゾウの指示に反応したマコトが出撃前のシンジとアスカに希望を尋ねると、返ってきた答は同じだった。

『必要ありません』『そんな物、要らないわよ!』

『エヴァの本気を見せて上げますよ』『エヴァの本気を見せて上げるわ!』


 発令所のスタッフがエヴァの出撃に気を取られている間にも、NERV本部への攻撃は続く。

 スクリーンの一部に映る兵士たちは、室内であるにも関わらずバズーカ砲を用いて行く手を阻む障壁などを破壊し、侵攻を続けている。

 それに加え、映像からは、かなりの箇所で火災が発生している様子が見て取れる。熱でカメラの機能が失われた場所も考慮すると、その被害の大きさは窺い知れない。

『第2グループ、応答なし』

『77電算室、連絡不能』

 続けざまに通信経由で入る報告は、侵攻部隊が着々と発令所に近付いていることを意味していた。

「52番のリニアレール、爆破されました」

「たち悪いなぁ。使徒の方がよっぽどいいよ」

 シゲルの報告にマコトがぼやくのも無理はない。攻撃側はNERV本部の人や物の移動といった人間の営みを妨げるように行動しているのだ。

「無理もないわ。みんな人を殺すことに慣れてないもの」

「葛城さん!」

 そんな状況で発令所に飛び込んできたのはミサトだった。後ろに山岡リナと山岡アヤネを連れている。

「一般人をここに連れてくるとはどういうつもりかね?」

「はっ。山岡リナさんはフォースチルドレンと双子の姉妹です。小官は彼女がエヴァパイロットと誤認される恐れがあると考え、保護をお願いに参りました」

「しかしなぁ……」

「気付かなかったわ。確かに彼女は危険ね」

「上層は、うちの戦力では守りきれません」

「下にも適当なところはないわね。ここも安全とは言えないけど……」

 尚も文句を言いた気なコウゾウだったが、断続的に続く戦況報告により気を削がれたのか、リナとアヤネはなし崩し的に発令所への立ち入りを許可された。

 ミサトもまた、リナやアヤネの保護という名目があるためか、発令所に居座っている。

『第3層Bブロックに侵入者。防御できません』

「Fブロックからもです。メインバイパスを攻撃されました」

 これが、第2層に続きセントラルドグマの第3層まで侵入を許した瞬間だった。

「第3層まで破棄しましょう。どの道、守りきれないわ」

「そうですね。第3層まで破棄します。戦闘員を下がらせてから、803区間までの全通路とパイプにベークライトを注入」

「了解」

 ミサトの意見を入れたマコトの指示は、シゲルの手により速やかに実行に移された。


『第703管区にベークライトを注入開始。完了まで後30』

『第737管区にベークライトを注入開始。完了まで後20』


「これで少しは持つでしょう」

 ほっと一息吐くようなことを言いながらも、ミサトは愛銃の準備を整えている。リナとアヤネの誘導の際は、初動が早かったために交戦状態には至らなかった。しかし、発令所は、近い将来、戦場になると予想されるのだ。

「だといいんですが……」

 ミサトの様子を見たマコトもまた、自分の机に用意されているサブマシンガンなどの準備を始める。

「非戦闘員の白兵戦闘は極力避けて。向こうはプロよ。ドグマまで後退不可能なら、投降した方がいいわ」

 後発隊として山間部からNERV本部への侵入を試みていた小隊も、途中の道程では呆気ないほど何の反撃も受けない内に、セントラルドグマへと到達していた。

 所々に転がっている人間たちの骸は、全てNERV職員の制服。大部分は非武装であり、たまに武器を持つ者があっても安全装置すら外す前に倒されているような、明らかに訓練の行き届いていない者ばかり。

「楽な仕事、か……」

 男は呟いた。

 壁面や扉だけでなく、設置されている自動販売機なども銃弾の雨を浴び、既にその機能を停止している。

 通路にはNERV職員の骸、骸、骸。

 ごく稀に生き残った職員がいたとしても、発見され次第、即座に戦略自衛隊の隊員により射殺されていく――それが、殺された別の職員を泣きながら引き摺るだけの女性職員であっても。

 ある小隊は火炎放射器を用いて、部屋という部屋を焼き払っていた。

 生きながら火炎放射器で焼き払われていくNERV職員たちの悲鳴は、どんな銃声よりもその場に響いた。

「我々の受けた任務はエヴァパイロットの射殺だけだ」

「ですが小隊長。非戦闘員への無条件発砲も許可されてます」

「そうだぜ小隊長。あいつらはサードインパクトを起こそうとしてるんだ。一人も生かしちゃおけねぇぜ」

 小隊の数十名という隊員がそれに同意する状況は、全くもって正常とは言えない。

 小隊長と呼ばれる男は、溜め息を一つ吐いた。

「分が悪いよ。本格的な対人要撃システムは用意されてないからなぁ」

「ま、せいぜいテロ止りだ」

「戦自が本気を出したら、ここの施設なんて一溜まりも無いさ」

「今考えれば、侵入者要撃の予算縮小って、これを見越してのことだったのかな……」

「有り得る話だ……」

 ベークライトの注入以来、暫しの休息を得ていた発令所では、マコトとシゲルが裏に隠された事情について話し合っていたが、それも束の間――

ドガッ、ドガッ、ドガッ

 発令所の下層にまで侵入者が到達し、遂に発令所まで銃撃が届き始めた。

 マヤは机の下に潜り込み、ただ震えている。

「ロック外して」

「私。私、鉄砲なんて撃てません」

「訓練で何度もやってるだろ」

「でもその時は人なんていなかったんですよ!」

 震えるマヤに対してシゲルは拳銃を手渡すが、マヤは受け取らなかった。そして、その直後――

ドゴォン

 一発の銃弾がマヤとシゲルの直ぐ傍に着弾した。

「馬鹿! 撃たなきゃ、死ぬぞ」

 シゲルに出来ることは、しかし、マヤを叱咤することだけだった。

 ミサトやマコトは、時折身を乗り出しては下層の侵入者へと銃撃を加えるという、散発的ではあるが一応の反撃を試みている。

 また、リナとアヤネはミサトの近くの机の下に潜り込んでいた。

 リツコやキョウコはそれぞれの机の下に潜り込み、ノート端末で戦況を確認している。日頃用いている備付けの端末は銃撃の危険があるため、もはや使用に耐えない。


 しかし、いつ終わるとも知れないまま断続的に銃撃が続いていた発令所に、突然の沈黙が訪れた。

「撤退したっていうの?」

 状況を最初にその目で確認したのはミサトだった。

「副司令、そちらに第2東京から直通の通信が入っているようですが。出られますか?」

 通常であればそれはシゲルの役割だが、端末が使えない現状ではそれを果たせなかった。代わりに状況を報告したのは、依然として机の下でノート端末を操作するリツコだった。

「ああ。今出る」


「戦自には撤退命令が出されたそうだ。それと日本政府からA801の下で命令が出た。今後、こちらに攻撃を加えてくる者は戦自の命令系統から外れた暴徒であるから、彼らからNERV本部の機能を守れということだ」

 通信を終えたコウゾウは発令所のスタッフに状況を伝えたが、反応は薄い。

「あぁ、それと本部全体への放送を準備したまえ。総理からお話があるそうだ」

 スタッフはある種の放心状態に陥っていた。

 初号機と弐号機が地上へ射出されると、それまで地上の施設へ攻撃を加えていた戦力は一斉にその目標をエヴァへと変えた。それに加え、ジオフロント天井都市の周辺で何かを待つように隊列を整えていた部隊もまた、急速に陣を展開し、火器をエヴァへと集中させる。

 照明弾も打ち出され、地上にエヴァの存在を隠すものは何もない。

 良く訓練された動きで、その砲撃を二体のエヴァに浴びせかけるロケット砲の部隊や戦車の部隊の攻撃には容赦というものはない。

 しかし彼らがどれだけの火力を集中させようとも、爆煙の晴れた後には無傷の巨人の姿があった。

「あぁ、もう鬱陶しいわね!」

 爆煙に紛れて四方から近付くVTOL攻撃機に気付いたアスカが弐号機のATフィールドを叩き付けるように展開すると、それだけでVTOL攻撃機が数機撃墜された。

 弐号機は潰し損なったVTOLの内で最も手近な機体を拳で殴り付け、墜落する前に両手で捕まえる。そして、捕まえた機体を別の機体へと叩き付けてまた一機撃墜。

 その隙を突いて更に接近していたVTOLは、一機を踵落しで、別の一機は廻し蹴りで撃墜された。

 エヴァ弐号機が8機のVTOL攻撃機を全滅させるのにかけた時間は僅か十数秒だった。

『セカンドチルドレンは元気だねぇ』

『アスカは派手なのが好きだからね』

 シンジは初号機の中のカヲルと会話をしながら、弐号機の様子を見ていた。

 戦略自衛隊による攻撃は、当然、弐号機だけでなく初号機にも加えられていたが、派手に動き回る弐号機とは逆に、初号機は静かにその場に佇み、ATフィールドのみで攻撃を捌く。

 その結果、初号機に近付こうとした航空機は全く動きを見せないままの初号機に理由も解らぬ内に機体を切断され、墜落していった。戦略自衛隊の装備では、ATフィールドの検知すら不可能である。

『お金も生命も無駄にする。僕には理解できないよ』

 エヴァに対する通常兵力は、使徒に対するそれと同じで全くの無力だ。命懸けの攻撃側に対し、それを受けるエヴァには迫り来る虫を追い払う程度の意識しかない。それほどに一方的な戦闘であった。

『好きで戦争をしてる人のことは僕にも解らないよ』

 神となる以前、最初の人生でのシンジであれば、反撃するくらいなら自分が攻撃を受けることを選んだであろうが、繰り返された人生の中でシンジは変わった。例えば、二回目の人生のシンジであれば、アスカのように積極的に攻撃して見せるという選択をするが、今のシンジはそれとはまた違う。来る者は拒み、去る者は追わず――単純に降り懸かる火の粉を払うだけ。それが現在のシンジの心境であった。


 地上におけるエヴァと戦略自衛隊の交戦状態もまた、発令所と同じように突然終焉の時を迎えた。

『あれ? 逃げていくね』

『生命は大事にすれば一生使える。良いことだよ』

『紫の奴と赤い奴、双方とも地上へ出ます!』

「作戦は失敗だったな」

 NERV本部内へ侵入し、エヴァの無力化を目指していた普通科の隊員からの緊急の無線連絡を受け、地上の部隊の隊長はぼやいた。

「我々の任務に楽なものはありませんよ」

「仕方がない。我々で何とか足止めを掛ける。すまんが、お前たちの命は俺が貰った」

「しかたありませんや。サードインパクトを起こされるよりはましです。それと引き替えなら、俺の命なんて安いもんです」

 スケジュール通りであれば、数分後にはN弾頭のバンカーバスターによるジオフロントの天井都市への攻撃が行われる。一発のN弾頭の爆発で天井都市は蒸発しジオフロントが露呈すると計算されており、それに続けて、露呈したジオフロントに対し国連軍所属の潜水艦から同じくN弾頭を装備した多弾頭型SLBMを打ち込むことでNERV本部への侵攻の障害を全て消滅させる作戦だった。

 彼らは足止めを掛けることで、それらのN兵器による攻撃にエヴァを巻き込むことを目論んだのである。足止めを掛ける部隊には天井都市からの離脱は期待できず、当然同じ攻撃を受けることになる。

 彼ら本来の任務は、多弾頭型SLBMによる攻撃の後に攻撃車両部隊ごとジオフロントへと降下し、突入部隊の支援攻撃を行うことであった。


「全滅? 8機のVTOLが全滅? 3分も経たずにか」

 場所を移動しない初号機とは対照的に、弐号機は動き回っていた。空対地ミサイルのような誘導兵器を命中させるには目標を補足し続ける必要があり、不規則に動き回る弐号機のような目標の場合、VTOLには接近する以外の術は存在しなかった。

「ええい、NERVの赤い奴は化け物か」

 目立つ戦果を上げる弐号機に、戦略自衛隊の指揮官は恐怖する。

「ケーブルだ! 奴の電源ケーブル。そこに集中すればいい!」

 それでも指揮官は必死に指示を出し続ける。しかし、ATフィールドに阻まれた攻撃部隊はケーブルに近付くことすら出来なかった。


「隊長、統幕本部から撤退命令が出ました」

「撤退だと? どこに撤退しろと言うんだ! 現場のことを何も解っていない奴等が何を言うか!」

 撤退命令は、当初のスケジュール通りに天井都市周辺部で待機しているはずの部隊に出された。つまり、それらの部隊が既に交戦中であることが伝わっていないのだ。

 指揮官はそれでも命令を守り、指揮下の全部隊に撤退命令を出した。もっとも、彼直属の部隊だけは、最後まで足止めを試みるつもりだった。

 発令所を後にしたゲンドウは、その足でターミナルドグマへと降りていた。

「ユイ。俺は君を失って以来、君を取り戻すことだけに全てを賭けてきた」

 ゲンドウの目の前には、LCLに満たされた棺桶状の容器。その中には碇ユイが収まっている。

「だが、レイを失い、そして今、リリスまでもが失われた」

 旧GEHIRN時代から存在するエレベータを用いてターミナルドグマに降りたゲンドウは、当初、磔にされた白い巨人であるリリスの下へと向かった。しかし、そこには既に巨人の姿は無かった。

 最重要機密区画であるターミナルドグマの様子は、MAGIですら監視できないように設計されている。これは、ゲンドウらがSEELEに隠れて行っている様々な事柄をMAGI経由でSEELEの人間に知られることを恐れたための配慮だった。監視装置には常にダミーの情報が流れている。その結果、ゲンドウが訪れるまでリリスの消滅を知る者はシンジたちだけだった。

「補完計画を利用することは、もはや叶わない。俺はどうすればいいのだ?」

 そう言うと、ゲンドウは足下に置かれたタンクに縋り付くように崩れ落ちた。

「ユイ」

10

『わたくしは柳昇と申しまして、大きな事を言うようですが、今や日本国内閣総理大臣の柳昇と言えば、我が国では……』

ドガガガガッ

 NERV本部全体に、首相によるその夜二度目の記者会見の音声が放送される中、発令所では一度は収まっていた攻撃が再び激化の様相を見せていた。

『わたし一人でございます』

「構わん。ここよりも、ターミナルドグマの分断を優先させろ!」

 現在では、ただ一人発令所上層にある司令席のフロアに残るコウゾウもまた、受話器に向かい指示を出している。しかし、その指示は合理性を欠くものだった。彼は未だにターミナルドグマへと降りたゲンドウが行動を起こすことを期待していたのだ。

『さて、本日のお題は、「今再び迫る危機――サードインパクトは人の手で起こされる」というものであります』

 ミサトとマコトにシゲルを加えた三人は、先ほどまでと同様、彼らのいる発令所メインフロアの囲みから時折身を乗り出しては、攻撃元の下層を覗き、拳銃やサブマシンガンを用いて反撃を加えるという動作を散発的に繰り返している。

『実はこれ、先日、ある友人から頂いた一つのレポートの題名なんですがね、そこには大変恐ろしいことが書かれているのです』

 先ほどまでは机の下で震えることしか出来なかったマヤは、机の下でノート端末を開き調べものを始めていた。

『人類補完委員会という国連の人たちがですね、サードインパクトを発生させようとしているなどと申すのです』

「あちこち爆破されてるのに、やっぱりここには手を出さないか」

 反撃の合間にマコトは現状を把握するための会話を交している。

『世の中には、おかしな人がいるものですね。サードインパクトを発生させる。わたしも自分の目を疑いました』

「一気に片を付けたい所だろうが、下にはMAGIのオリジナルがあるからなぁ」

 マコトの会話の相手をするシゲルは自分の推測を返す。

『観測できない大質量隕石を今度は狙って地球に落とそうなんて、他に考える人はいませんよ』

「出来るだけ無傷で手に入れておきたいんだろう」

 マコトもまた、発令所周辺が持ち堪えている要因の一つにMAGIオリジナルの存在があると考え、シゲルの推測を肯定した。

『普通ならそこで、馬鹿馬鹿しいと言って放り投げるわけです』

「対BC兵器装備は少ない。使用されたらヤバイよ」

 物理的な破壊を伴わない生物・化学兵器は、現在の発令所周辺の状況でも使用される可能性がある。それがシゲルの懸念するものだった。

『ですがね、そのレポート。他にも面白いことが書かれているんですよ』

「N兵器もな」

 大破壊を齎すN兵器が現在の発令所という局所的な戦況を変えるために投入されることは考えにくいが、攻撃側の作戦目標がいつまでも同一とは限らない。

『セカンドインパクト。そもそも、その原因が大質量隕石ではなかった』

ズシャーッ

 突如、発令所に備付けられたスピーカーに雑音が載った。

『これは凄いです。大きな事を言うようですが、日本に一人しかいないわたしにすら隠された陰謀ですよ』

「何だ?」

 発令所では現状を把握できなかった。

『こんなものを真に受ける人があったら、その頭の中を是非見せて貰いたい』

「全てのメーターが振り切ってる。これは多分……」

 ノート端末を操作して状況の確認を続けていたリツコが解る範囲でマコトの質問に答える。

『とはいっても、わたしも気にはなりましたのでね、昔の教え子に相談したわけです。……ああ、わたくしの頭の中を見るのは、死んだ後にしてくださいな』

「N兵器ね」

 リツコの言葉を続けたのはキョウコだった。

『そのレポート、実際には科学論文というべきですか。門外漢には実に難しい』

「ちっ、言わんこっちゃない」

 シゲルが言霊というものを信じているのであれば、彼の文句はN兵器などという言葉を出したマコトを責めるものだが、ここでは単純な呪の言葉に過ぎない。

『記者の皆さんもご承知の通り、わたくしはその昔、ある高校の校長などやっていたことがありまして』

「奴等、加減てものを知らないのか!」

 マコトもまた、悪態を吐く。

『その当時の教え子……と言っても、勉強を教えたわけではないのですがね。なにしろ、わたくしは校長でしたから』

「無茶をしおる」

 コウゾウは相変わらず他人事のような感想を述べた。

『教え子の中には、学問の道へ進んだものも沢山いるわけです。残念ながら、セカンドインパクトで大勢亡くなってしまいましたが』

ズズズズシャーーーーッ

 そして再び、発令所に備付けられたスピーカーに雑音が載る。それは先程よりも長く続いた。

「ねぇ! どうしてそんなにエヴァが欲しいの!」

 無差別的な攻撃に再び恐怖を感じたマヤには大声で叫ぶことしかできなかった。

『さて、その専門家たちによるとですね。そのレポートは、大変良く書けているそうです』

「シンジ君とアスカは、エヴァはどうなっているのかしら?」

 ミサトは不意に外の状況が気にかかった。

『つまりですね、中の議論には破綻がないという意味で、信頼に値するということだそうです』

「シンちゃんはねぇ、絶対に大丈夫」

 一方、机の下に避難しているリナは何の心配もしていない様子だった。

『問題はですね、セカンドインパクトが本当に隕石のせいではなかったという証がないことです』

「そうね。これだけの攻撃を受けても衝撃すら来ないところを見ると、エヴァが守ってくれているのね」

 キョウコの言葉は、リナの意見を後押しするものだった。

『実は、レポートにはおまけが付いてましてね』

「これがエヴァの本気……ってわけか」

 リツコはシンジとアスカの発進前の言葉を思い出していた。

『それがセカンドインパクトの隠された真相だと書かれているのですがね』

「ねぇ、エヴァって何なの?」

 ミサトからリツコへの問いかけには咎めるような色が見える。

『それが本物かどうかなど、残念ながらわたくし程度の地位では知ることができないのです』

「人の造り出した、人に近い形をした物体としか言いようがないわね」

 本来、そうする義理はないが、リツコはミサトに答を返した。

『にも関わらずですね、我が国の戦略自衛隊を動かしたおバカさんがいたんですよ』

「人の造り出した? あの時南極で拾ったモノを、ただコピーしただけじゃないの。オリジナルが聞いて呆れるわ」

 ミサトは自分の知る知識を総動員してリツコに食って掛かる。彼女はエヴァを憎む自分をもはや隠すこともなかった。

『大きな事を言うようですが、自衛隊の最高指揮監督権はわたしが持っています』

「ただのコピーとは違うの。人の意志が込められているもの……」

 リツコの知る限り、弐号機は別にしても、初号機にはユイ、零号機には綾波レイやルナとシンクロするリツコに知らされていない誰かが宿っている。

『そのわたくしが命令を出していないのに、自衛隊が出動してしまいました』

「それにあの子たちの意志を忘れてはいけないわ」

 パイロットが乗っているという視点を失いかけている議論を修正したのはキョウコだった。

『記者の皆さんの方が良くご存じかと思いますがね、実際わたくしはお飾りの総理大臣です。いわゆる切られる尻尾の役なんですね。本来は大臣の任命権やら何やら持っているわけですが、現実的にわたしに選ぶだけの力は与えられていない。尻尾のわたしとしても黙って切られるのは少々面白くないからという訳ではありませんが、先ほど防衛庁長官を解任致しました。彼には勝手に自衛隊を動かした責任を取って貰います。次の長官が決まるまでは、わたしが兼任することになります。二人分の仕事をこなすのは大変難しい。……少々脱線してしまいましたが、話を戻しましょうか』

「静かになったね」

 大人たちは議論に集中しているせいか、先ほどのN兵器によると思しき攻撃を境に、発令所への攻撃が止んでいることに誰一人として気付いておらず、雰囲気の変化を最初に感じ取ったのはリナだった。

『先ほど、午後9時半過ぎですかね、レポートについて相談した教え子から電話を頂きました。特務機関NERVというところから、レポートのおまけだったセカンドインパクトの真相と同様の情報が送られてきたという連絡でした』

「どういうことだ?」

 総理の言葉を疑問に思ったコウゾウが尋ねるが、発令所の誰一人として身に覚えがなかった。

『その後、もう一度連絡がありました。NERVからの情報がレポートのおまけと同じ物であると確認できたということです』

「本物だと信じる根拠があるってわけね」

 リツコ自身は、問題の情報をMAGIの中から自分自身で見つけ出すまでは半信半疑という立場ではあるものの、本物であると証明されることに疑いはないだろうと感じた。

『記者の皆さんはご存じの方もあるかもしれませんが、NERVというのはレポートの中でサードインパクトを発生させようとしている国連の人たちの作った組織です。つまり、一種の内部告発があったわけです。件のレポートのおかげで、とても早くそれを検証できました』

『勝手に出動した自衛隊にはですね、サードインパクトを企むNERVを倒すという名目が与えられていました』

 総理大臣による記者会見の様子はNERV本部全体に放送で流されている。その結果、通路を固めるベークライトにより、咄嗟に逃げ込んだ部屋の中で足止めを受けている時にに撤退命令を受けたある小隊の隊員たちも、図らずも総理の話を聞くこととなっていた。

「やっぱり間違いないんじゃねーか」

「おうっ。俺たちは正しい」

『にも関わらず、最高責任者であるこのわたしに何の連絡もないとはおかしなこともありますね。彼らは何を根拠に戦争を始めたのでしょうか? きっとそのレポートではありませんよ』

「何言ってんだ? この馬鹿総理は!」

「お飾りならお飾りらしく、何か面白いことでも喋ってみろや」

『おかしなことは他にもあります。これもつい先ほど知ったことですがね、彼らに与えられた任務は、NERVのコンピューターとエヴァンゲリオンというロボットの確保、そしてパイロットの殺害というものでした』

「おい、どこがおかしいんだ?」

「簡単確実な目標じゃねーか。なぁ」

『レポートによれば、サードインパクトのためにはエヴァンゲリオンが最低でも9体必要だそうです。NERVにはそんなに沢山あるのでしょうかね?』

「ここに全部ある必要はないよな?」

『わたくしもインターネットで見られるテレビで、彼らが使徒と呼ぶ怪獣とエヴァンゲリオンの戦いというものを何度か見ましたが、紫色のと青いのと赤いの、全部で3体しか無いように思うのです』

「それがどうしたって言うんだ?」

『作戦も荒っぽいものです。非武装の人間への無条件の発砲、第3新東京市へのN兵器による攻撃。本物の戦争なら、戦争犯罪に属するものです。彼らは戦争のつもりはないのでしょう。そして、彼らは警察でもないのですから、さしずめ正義の味方にでもなったつもりでしょうか』

「そうだ。俺たちは正義の味方だ。何の文句があるんだ?」

『わたしもこの歳ですが、結構耳は良い方なので色々なことを耳にします。今回の騒ぎですがね、裏にSEELEと呼ばれる秘密結社が暗躍しています。そのSEELEですが、国連の人類補完委員会、つまりサードインパクトを目論んでいる人たちの実体でもあります』

「いつまで訳の解んねぇこと言ってんだ、あの狸親父は」

『結論から申せば、我が国の戦略自衛隊は彼らのためにNERVを攻撃したわけです』

「何か問題でもあるってのか? そのSEELEとかいう奴等は俺たちに危険を教えてくれた善良な第三者って奴じゃねぇか。なぁ」

『さて、先ほど申し上げましたレポートがサードインパクトを目論む組織として告発した人類補完委員会、そしてその裏に隠れているSEELE。そして他方、SEELEに唆され、何の根拠もなくサードインパクトを企んでいると見做され、戦略自衛隊の攻撃を受けているNERV。いったいどちらがサードインパクトを目論んでいるのでしょうか?』

「どっちだっていいじゃねぇか。エヴァさえなけりゃあ、俺たちは安泰。それでいいじゃねぇかよ!」

 足止めによって出来た暇に任せて、スピーカーから聞こえてくる話の合間にちゃちゃを入れていた小隊の隊員たちだったが、総理大臣の話が進むにつれ、段々と口を挟む人数は少なくなっていった。

『一歩離れて見れば、これは内輪揉めとでも言うべきものです。ですが、現在のNERVにはサードインパクトを起こすのに必要なエヴァンゲリオンが存在していないことを考えますと、今、NERVを攻撃することを正当化するだけの根拠は、やはり存在しないと言うべきです。既に戦略自衛隊には撤退命令を出してあります』

「なるほど。あの撤退命令はそういうことだったのか……」

 それまで黙っていた小隊長と呼ばれる男は、ようやく腑に落ちたという気持ちをそのまま口にした。

「こいつは驚いたな」

 車は第3新東京市直近まで来ていたが、視界に戦火と戦略自衛隊の大戦力を捉えると、リョウジは道路脇に車を止めた。

 リョウジとカホルは、カーラジオから流れていた総理大臣の記者会見の内容から、戦略自衛隊が軍事行動を起こし、その後既に撤退命令が出されていることは知っていた。

 実際、戦略自衛隊の攻撃は既に下火になっているのだが、しかし、彼らにそれを知る術はない。

 非常事態宣言が下りる中、地上に残る民間人は存在しない。また、ただでさえこの時期に第3新東京市への出入りを試みる者は、軍人の他には特殊な事情を持つ者だけである。彼らに残された状況を知る術は、自らの五感のみであった。

「混乱してるわね」

 カホルの言う通り、第3新東京市に展開した戦略自衛隊の部隊は混乱を極めていた。

 撤退命令に従い、撤退を始めている部隊。

 目の前に現れたエヴァに対し、さしたる理由もなく必死で攻撃を加える部隊。

 死を覚悟し、刺し違える覚悟でエヴァの足止めを試みる部隊。

 真相を知らないカホル達の目には、それらは等しく混乱としか映らなかった。

「流石にエヴァは頑丈だな」

 NERV本部の地上施設は壊滅状態だが、戦略自衛隊が打ち上げる照明弾のおかげで、月と火災現場に上がる炎以外に光源が失われている地上ではあっても、エヴァの様子だけは確認できる。

カッ

 その時、ジオフロントの天井都市の中心に巨大な火柱が上がった。

「N兵器ね」

「おいおい本当かよ? 何の衝撃も来ないぞ」

 半信半疑のリョウジだったが、黙ってカホルが指差す火柱の根本に初号機を発見すると、呟くように言葉を接いだ。

「あれが、エヴァの力、か……」

 初号機が天に差し上げた右手の先には赤く輝く逆円錐状の光。それが初号機の創り出したATフィールドにより行き場を制限されたNミサイルの爆発エネルギーだった。

「ここまででいいわ。ありがとう」

 カホルはそう言い残すと、リョウジの車を下りる。

「おいっ! 待てって! 今戻るのは危険すぎる!」

 リョウジは慌てて車を出し、カホルを追い掛けるが、第3新東京市へと入った直後に車道を外れ、最短距離でNERV本部を目指す彼女をすぐに見失った。

(やっぱりこの仕事はもう潮時か……)

 元フィフスチルドレンとはいえ、実質的にはただの女子中学生であるはずのカホルを簡単に見失ったリョウジは、車道を外れた彼女を追い掛けるために自ら下りた車へと戻りながら、自分の能力の限界というものについて考えていた。

 その直後、多弾頭型Nミサイルが雨のように第3新東京市を襲ったが、それは地上に出ていた三体のエヴァの展開した結界と呼ぶに相応しいほどのATフィールドにより完全に防がれたため、地表付近からはその光すら観測できなかった。

11

 約束の時――長きにわたり、それを待ち望んだSEELEの幹部たちは、その時もモノリスとして一堂に会していた。

 NERV本部のMAGIが自律防御を実行して以降、彼らが現地の状況を知る手段は少ない。リアルタイムの情報は、第3新東京市上空に集められた偵察衛星からの映像が頼りだった。

 その映像からN弾頭のミサイルによる集中攻撃を三体のエヴァにより完全に防がれたことを確認した直後、01の番号を付けられたモノリスは宣言した。

「忌むべき存在のエヴァ。またも我らの妨げとなるか。やはり毒は、同じ毒をもって制すべきだな」

『ちょっと失礼します……ただいま入りました連絡によりますと、NERV本部周辺の空域に11体のエヴァンゲリオンが現れたそうです。これはNERV本部のエヴァンゲリオンがサードインパクトのために必要でなくなったということを意味するのではないでしょうか?』

「どういうことだ? おいっ!」

『つまり、我が国の戦略自衛隊は、結果としてSEELEが目論むサードインパクトを手伝ったという状況に極めて近付いたとわたしは思うのです。わたくしは個人的にではありますが、テレビで応援したNERV本部のエヴァンゲリオンが外からやってきたエヴァンゲリオンを打ち倒し、サードインパクトを阻止することを願っています。そして、願わくば、サードインパクトを阻止するつもりであった戦略自衛隊の諸君が――与えられた名目に盲目的に飛び付き、正義の味方気取りであったかもしれない彼らが――戦争中ですら許されない行為を、無辜のNERV職員に行ってはいないことを期待します』

 NERV本部内で立ち往生し、スピーカーから流れる総理大臣の話を聞いていた戦略自衛隊の隊員たちは、完全に言葉を失った。

「やっと来たわね。待ちくたびれたわ!」

 弐号機の視線の先には第3新東京市へと移動するエヴァ用のウィングキャリアの編隊。

 深夜の暗闇を移動するそれはエントリープラグ内のモニタに映ってはいないが、その存在を確かに感じたアスカは、LCLに満たされたプラグの中で乾いてもいない唇をペロリと嘗めた。

『1、2、3、4……9、10、11。これは大勢で来たものだねぇ』

『そんなに沢山? 9機だけじゃないんだ』

『お金が余ってたんでしょう?』

『君たちが上手く戦ったからねぇ』

『そうなのか……中々、上手く行かないもんだね』

『あんたも、ちっとはましになったのね』

『どういうこと?』

『前だったら、そんなことも自分のせいにして落ち込んでたでしょ?』

『そうかなぁ?』

『そうよ!』

『来る』

 その時、Nミサイルによる攻撃の少し前に地上へと合流していた零号機のルナが、接近するエヴァ量産機の変化を感じ取った。

 それは彼らの目には映らない上空の暗闇の中で、エヴァ量産機たちに赤いエントリープラグが挿入され、ウィングキャリアから分離した瞬間だった。


「いい加減、鬱陶しいのよ! あんたたちは!」

 Nミサイル攻撃の最中も、その後も、地上に佇むエヴァへの攻撃を諦めない戦略自衛隊の残りに向けて、アスカはエヴァの外部スピーカーで文句を言い始めた。

『いい加減、鬱陶しいのよ! あんたたちは! あんたたちがどんだけ必死に攻撃したって、こちとらには蚊に刺されるほどにも効かないのよ!』

「やはり、我々では足止めにもならないか……」

「触れてはならないものに、触れてしまったということなんですかね?」

 命懸けでエヴァに足止めを掛け、自分たち諸共スケジュール通りに発射されたNミサイルの餌食にするつもりが、目の前のエヴァは無傷。ついでに死を覚悟したはずの自分たちまでもが無傷という状況では、戦略自衛隊の隊員たちも自身の無力を悟らずにはいられなかった。

「だが、サードインパクトを起こさせるわけにはいかない」

「哀しいけど、これ、戦争なのよね」

『あんたらがどんだけ願ったって、このあたしは! わたしたちはエヴァシリーズなんかには負けない! サードインパクトなんか、ずぇーーったいに許さないわ』

「隊長、何か話が違いやしませんか?」

「さっきのNのせいかな……。俺たちがサードインパクトを願ってると思われてるように聞こえる」

「俺も歳かな。赤い奴はサードインパクトを阻止すると言ってるように聞こえる」


 数秒の沈黙の後、隊長と呼ばれる男は命令を下した。

「総員撤退! ……統幕本部の命令だからな。やむをえん」


 最後まで最前線に残っていた部隊がようやく第3新東京市を離れようとする頃、先に撤退した部隊からは照明弾が打ち上げられる。

 照明弾の灯りの下では、白い翼を広げた11体の白い巨人たちが一つの円を描くように上空を周回していた。

『未確認飛行物体をレーダーで捕捉。エヴァシリーズです!』

 ファーストチルドレンの生活拠点、人工進化研究所第3分室では一般の館内放送の音声は遮断されていたが、それでも緊急性の高い最低限の放送だけは届く。

「事が始まったようだ」

 ゲンドウの耳に届いた発令所からの音声は、SEELEのシナリオが最終段階に入ったことを意味している。

『エヴァシリーズ11体、上空を旋回しています』

「アダムは既に私と共に在る」

 ほんの数秒という短い時間、天を仰ぎ、視線を妨げる天井の遥かに上の地上で繰り広げられているだろう光景に想いを馳せていたゲンドウだったが、すぐに興味を失い、手袋を外した右掌へと視線を移しながら、彼はひとりごちた。

 そこに癒着した異形の目玉が瞬きを一つ。それこそは第1使徒アダム。

「ユイと再び逢うにはこれしかない」

 ゲンドウは、ただその一念で使徒との融合という苦しみに耐え続けていた。

 セカンドインパクトの結果、その活力源であるS機関を失ったアダム。

 15年もの間、その身体の収縮を続けていたアダム。

 ゲンドウとの接触により人間への寄生という新たな生の形を発見したアダム。

「アダムとリリスの禁じられた融合だけだ」

「んふふふふふっ」

 脳裏に浮かぶレイ。LCLの水槽に多数漂う幼いレイは、ゲンドウに向けてその虚ろな笑顔を向ける。

「時間がない。始めるぞ、レイ。ATフィールドを、心の壁を解き放て」

「んふふふふふふふっ」

 そう言うとゲンドウは、虚空に漂うレイに向け異形のモノを宿したその右手を伸ばした。

「欠けた心の補完――不要な躰を捨て、全ての魂を、今、一つに」

「んふふふふふふふふふっ」

 それは10年前、ゲンドウが自らの補完計画を立てた時から、彼の脳裏で何度も繰り返されてきた約束の時。ゲンドウのシナリオ

「そして、ユイの元へ行こう」

「んふふふふふふふふふふふっ」

 ゲンドウには、最早現実は見えていなかった。

12

「S機関搭載型を11体、全機投入とは大袈裟すぎるな。まさか……ここで起こすつもりか」

「9体ではなかったのですか?」

 コウゾウの呟きに思わずミサトは反応した。

 発令所における白兵戦闘は既に収まっているが、ミサトは先ほどまで戦略自衛隊の部隊の侵入経路となっていた発令所の下層フロアの入り口付近から銃口を離してはいない。

「情報源は加持君かね? 何、今更隠すことはない。そう、当初の予定では9体だった。だが、彼らには金と時間があったのだ」

「そうですか……」

 発令所のメインスクリーンは所々銃弾により破られ、一つの巨大スクリーンとしての機能は失っているが、組み合わされたモニタの内、現在でも生きているものには地上の様子が映し出されている。

 地上施設に設置されたカメラにも被害は及んでおり、死角は多いが、それでも11体の量産機を全て捕捉することができていた。

「エヴァシリーズ、地上へ降下する模様です」

 先ほどまではサブマシンガンで戦略自衛隊の突入部隊との戦闘に参加していたシゲルも、現在は定位置に戻り敵性体の様子を観察している。

「彼我戦力差は2対11。分が悪いな」

「いい? シンジ君、アスカ。エヴァシリーズは必ず殲滅するのよ」

 コウゾウとミサトのどちらも零号機を戦力として数えていない。これは、彼らが事実を知らない以上、当然の計算だった。

『当ったり前じゃない! このわたしを誰だと思ってんの?』

「お願いね」

 いつの間にかその場を仕切っているミサトに口を挟むものは発令所にはいなかった。

 ミサトがアスカと会話を交している間にも、量産機は次々に地上への着地を果たしている。

 翼をはためかせながら着地した量産機だったが、着地と同時にその翼は折り畳まれ、背中に収容される。メインスクリーンの生き残ったいくつかのパネルに分割され、様々な視点から映る全ての量産機は、柄が中央にあり幅広で諸刃の剣風の武器を手にしていた。

『ルナ、アスカ、カヲル君。行くよ!』

 シンジが心で呼び掛けると、円上に展開している量産機の中心で背中合わせに周囲を警戒していた零号機と初号機、弐号機は、一斉に散開し、それぞれ別の量産機に襲い掛かった。

 初号機は初撃で一体の量産機の胸にある、エヴァの特殊装甲に守られているはずのコアをその拳で簡単に撃ち抜く。シンジの駆る初号機のATフィールドは他の追随を許さない圧倒的な強度であり、それを集中させた拳はそれだけで強力な武器だ。過去においてアスカの弐号機が単独で、それも僅か3分半という短時間に一度は9体を行動不能にできてしまう程度の動きしか出来ない量産機では、全く今の初号機の相手にはならなかった。

 一方、零号機と弐号機はそれぞれ初撃で一体ずつの量産機の腕を切り落とし、そのまま流れるような動作で、切り落とした腕から量産機の持っていた剣を奪い取る。量産機と戦った経験の無いルナは相手の強さを知らない故の安全策として、アスカは量産機の持つ武器の脅威を身をもって知っているが故の対策として、結果として同じ行動に出た。いずれにせよ、二人とも現在剣の形をしているその武器がロンギヌスの槍のレプリカであることを知っている上に、それまで積んできた訓練の時間がシンジに比べて圧倒的に長く濃い彼女らは、無手の格闘よりも武器を用いた戦闘に長けているのだから、強力な武器を相手から奪うという作戦は理に適っている。

 零号機や弐号機の行動を見たシンジもまた、ようやくそれを思い出したかのように、倒したばかりの量産機から剣を奪い取った。

『ねぇカヲル君。これってどうしたらロンギヌスの槍になるの?』

『やはり君はそんなことも知っているんだね。君にはどれだけ驚きが残っているんだろうねぇ』

『もう大して残ってないよ』

『そうかなぁ? まだ何か飛び切りのが残っている気がするよ』

「バカシンジ! 何遊んでんのよ!」

『アスカが呼んでるからさぁ、早く教えてくれないかなぁ』

『それが良く解らないんだよねぇ。スイッチみたいなモノがある訳じゃないからね』

『遠隔操作とかなのかな?』

『心の問題だと思うんだけどねぇ』

『心? ATフィールド!』

「槍、槍、槍、ロンギヌスの槍、槍、槍……」

 呟きながらATフィールドの槍をイメージするシンジだったが、手にしている剣は一向に変化を見せない。

『これはすごいねぇ』

「いい加減にしろ! バカシンジ!」

『シンジ君! 零号機が!』

 シンジが手にした剣にかまけている間に、零号機と弐号機は量産機に囲まれていた。シンジが1体を倒している間に残りの10体は二手に別れ、5体ずつの集団でそれぞれ零号機と弐号機を攻撃していたのだ。

 量産機を一度に9体相手にしたことのあるアスカは、相手が5体の集団であっても攻撃を凌ぎながら反撃を加えているが、それでも止めをさせる状況ではなく、ダメージを与えることは出来ても、相手がいつ復元するかを気にしながらの戦闘だった。

 一方ルナは元々格闘戦が得意でないこともあり、いくら相手が動きが良いとはとても言えない量産機であっても、同時に5体を相手にすることには少々無理があった。

 発令所からのミサトの声でようやくそれに気付いたシンジは無意識の内に、量産機から奪った剣を持つ初号機の左手を振るう。

ずばばばっ

「ええぇぇぇっ! 何だこれ?」

 初号機の腕の一振りで、ただそれだけで零号機に取り付こうとしていた5体の量産機の内の2体が動きを止め、1体が深手を負った。

 しかし、事を起こしたシンジ本人が一番驚いていた。何故そのような結果になったのか、彼は全く理解できなかったのである。

『ATフィールドの槍だよ。投げたりできるんだねぇ。またしても驚いたよ』

『ATフィールドの槍?』

『さっき君がイメージして具現化したものだよ。ATフィールドがあれほど緻密で具体的なものとして現れるなんて、僕には全く想像したこともないよ』

13

「初号機の力。まさかこれほどとは」

「しかし、まだ失われたのは最初の1体のみ」

「やむをえまいな。予定より早いが、あれを使う。だが、あまり長くは持つまい」

「左様。急がねば勝機はない」

「では、再度、シナリオ通りに」

「これが、エヴァの……本気」

 ミサトは分割されたスクリーンの内の一つに映る初号機の戦いに、ただ魅入られていた。

「ATフィールドの槍? マヤ! すぐに解析して。いえ、データを取りこぼすんじゃないわよ」

「はい。先輩!」

 リツコとマヤの二人は、戦闘データの記録に余念がない。現在のMAGIでは、無理はできない上に、地上の施設は手酷く破壊されているため、使えるセンサーの類も限られている。それ故に、記録に集中することにしたのだった。

「零号機は、リリスはシンジ君を選んだ……いや、その逆か」

 コウゾウは、ようやく零号機が初号機や弐号機と共に戦うという立場にあることを悟った。

「違います。あれはルナちゃんであって、リリスなどではありませんわよ」

 そしてキョウコは、コウゾウの間違いを正す。

 ここへ来て、発令所にはようやく余裕が戻っていた。

 しかし――

『ルナ! 大丈夫?』

『ええ。問題ないわ。でも……止めを刺すには力が足りない』

 零号機は初号機の攻撃で出来た量産機の囲いの隙を突き、残る2体にも傷を負わせていた。

 しかし、止めを刺さない限り、零号機を囲んでいた5体の量産機も自己修復を行い、その行動を再開することは時間の問題に過ぎないことは明らかだった。

「このこのこのこのっ!」

 弐号機もまた、戦闘能力を失い行動不能に陥っているはずの量産機に止めを刺せず、苦労している。但し、物騒な量産機の得物だけは、その回収を忘れていない。

 エントリープラグ内に一枚の予期せぬ画像が映し出されたのは、このように戦況がある種の膠着状態に陥っている時だった。

「何だこれ? まさか……カホル?」

 白い長髪に細面の白い顔、そしてスレンダーな裸身を晒した少女の画像は、それだけでは静止画なのか動画であるのか俄かには判別が難しい。両足には重石の付いた足枷が填められ、両手首に掛けられた鎖が天井方向から全身を半宙釣り状態にしており、全身に赤いみみず腫が幾筋も走っている。そして、その瞼は閉じられたまま、身じろぎもしない。

「ねぇ、これってカホルの趣味? それともあんたの?」

「さぁ、行きますわよ。アダムの分身、リリンの僕」

 ベークライトで固められた黒い巨人の目に、その時、光が戻った。

14

 暗闇に浮かぶモノリスの数が11に減っているが、SEELEの仮想会議は続く。

「遂に我らの願いが始まる」

「些か数が足りぬが、やむをえまい」

 01の番号が付けられたモノリスの言葉を肯定するように発言するのは09の番号の付けられたモノリス。

「「「「「「「「「「「エヴァシリーズを本来の姿に」」」」」」」」」」」

 そして、一同はさもそれが当然であるかのように、

「「「「「「「「「「「我ら人類に福音を齎す真の姿に」」」」」」」」」」」

 誰一人として詰まることなく、

「「「「「「「「「「「等しき死と祈りをもって、人々を真の姿に」」」」」」」」」」」

 唱和する。

「それは、魂の安らぎでもある。では、儀式を始めよう」

 締めくくりは、やはり01のモノリスだった。

『何だこれ? まさか……カホル?』

「これって、カホル、さん? 酷い……」

 シンジたちのエヴァのエントリープラグに映し出されているものと同じ、少女の裸身の画像は、発令所のモニタにも現れていた。

「一体誰が?」

「脅迫のつもりだな」

『ねぇ。これってカホルの趣味? それともあんたの?』

「副司令。知り合いの女の子の裸をそんなにじろじろと見るものではありませんわ」

 キョウコは司令専用の上層フロアからメインフロアに下りてきたコウゾウを咎める。

「む、すまないね。確かにその通りだな」

『やっぱり、これって偽物だよね』

「しかし、脅迫にしては意味が解らない……。偽物!」

 ミサトもまた、下層への警戒もそっちのけでモニタの前へ移動し、腕組みしながら考えていた。

「説明がないところに悪意を感じるな」

「これが偽物なら、本物が使えない状況にあるってこと……か」

『あーら、流石にシンジ様はハーレム要員のことは良くご存じで。道理で上手いわけだわ』

「そ、そんな! それじゃ、もうカホルさんは!」

「マヤ。今、勝手に悪い想像していても意味はないのよ」

「そうね、逃げ出したという可能性もあるわ」

 ミサトの脳裏には不精髭の男の顔が浮かんでいた。

『上手いって何が?』

「現在MAGIは自閉モードに入っています。……ということは」

「犯人はこの中にいる! なーんちゃって」

 机の下から聞こえる声はリナのものだった。

「実行犯とは限らないがね。いや、間違いなく別だろう」

「このタイミングを狙ったというのなら、委員会が?」

「可能性は高い……が、妙だな……」

「エヴァシリーズ10体、再び上昇中!」

 議論を止めたのは戦況を観察しているシゲルの報告だった。

「さあ、レイ。私をユイの所に導いてくれ」

 一種の幻覚の中にいるゲンドウは、目の前のレイの幻に向かい自分の希望を言う。

 しかし、ゲンドウの目の前で、幻のレイの肉体はボロボロと崩れ落ちていった。それは、初めて彼がレイと逢った直後、水槽から出たレイの手により壊されていった他のレイたちの姿そのものだった。

「頼む。待ってくれ、レイ」

 ゲンドウは幻覚の中で消え逝くレイに懇願するが、遂にレイが感じられなくなった。

「ユイ……」

 それだけを言うと、ゲンドウはその場に横たわり、焦点も合わないまま天を見つめる。

プシュッ……パシャッ

「この時を、ただひたすら待ち続けていた」

 横たわるゲンドウの傍に全裸のユイが立ち、柔らかい表情でゲンドウを上から見つめている。

「ようやく逢えたなぁ。ユイ」

 ゲンドウを見つめるユイが言葉を返さないため、ゲンドウは話題を変えた。

「俺が傍にいると、シンジを傷付けるだけだ。だから、何もしない方がいい」

「シンジが怖かったのね」

「自分が他人から愛されるとは信じられない。私にそんな資格はない」

 ゲンドウの言葉を聞いた直後、ユイは跪く。そして唇と唇が触れるだけの軽いキス。

「これでも信じられない?」

「俺のユイはそんなことをしない」

「でも、シンジは産まれましたわ」

「そうか。そうだったな、ユイ」

「あなたは何を求めたの?」

「ただ……君だけを」

「それで間違えたのね。レイは、リリスはそんな都合の良いモノではないわ。彼女に望みを叶えて貰おうと頼むことに意味はないのよ」

「そうだったのか。では、俺はユイに逢えないのだな」

「今、逢ってるじゃありませんか」

「なら俺は、どうすればいい?」

「今、外はどうなっているの?」

「約束の時。だが、ロンギヌスの槍も、そしてリリスも存在しない」

「槍とリリスが?」

「槍は月面にある。リリスは突然消えてしまった」

「アダムは?」

「俺が持っている」

「そう。それなら私にくださいな」

 そう言い残すとユイはシャワー室へと立ち去った。


 横たわったまま放心状態に陥っていたゲンドウだったが、耳に届くシャワーの音でふと我に返り、ここへ来てようやく、自分が会話を交していた相手がユイであったことを認識する。そして彼は、シャワー室へと近付いた。

「ユイ!」

「何ですか? ゲンドウさん。久しぶりに一緒に入るつもり? ふふっ。でもダメ。ここは狭すぎるわ」

「俺は、俺はこれからどうすればいい?」

「あなたの願いは叶ったんですから、今度はお世話になった方々にご恩を返しておかなければダメよ。冬月先生にはご迷惑を掛け通しでしょう?」

「では君は?」

「私は死んだ人間です。ここにはいられませんわ」

「シンジには会っていかないのか?」

「私は死んだ人間です。それに、シンジはもう、私を求めてはいないでしょう?」

「俺は……俺は、また君を失わなければならないのか?」

「あら、生きていれば、いつかまた逢うこともあるかもしれませんわ。だって、生きているんですもの」

「そうか。そうだったな。ユイ」

 ゲンドウはシャワー室の前で踵を返すと、そのまま歩き去る。


 そして三発の銃声。

15

 カホルに似た少女の画像がエントリープラグ内のモニタに映し出されてから、僅かの時間、シンジたちはそれに気を取られた。そして、傷付きながらも死にきれなかった10体の量産機たちはその短い時間に自己修復を終え、翼を広げて再び上空へと戻り、一つの円を描くように周回していた。

『いい加減飽きてきたわ。ねぇ、シンジまだなの?』

 量産機が地上を離れた直後、未だ戦闘中であることを再確認したチルドレンだったが、上空へ戻った量産機は時折NERV本部のエヴァにより回収された剣を取り返そうと急降下を繰り返すばかりで、それ以上の戦況の変化はない。

 零号機と弐号機は、下りてきた量産機を追い払う。それは単純作業だった。武器を持たず、ATフィールドも碌に張れない量産機では、その数に任せても、今の零号機や弐号機の相手にはならない。

 一人だけ量産機の迎撃に参加していないシンジは、相変わらず量産機の持ってきた剣を槍に変える方法を探っていた。しかし進展はない。

 アスカの言葉は、そんな状況に対する愚痴だった。

『しようがないだろう。解らないんだから』

『あんたの力で、ちゃちゃっと作っちゃえばいいじゃない!』

『そういう訳にも行かないでしょ。あまり余分な物作ると後が怖いし、これは槍のはずなんだから……あっ、出来た』

 突然、初号機が手に持つ剣がロンギヌスの槍に似た二股の槍へとその形を変えた。

 それと前後して、黒の巨人、NERV本部地下深くに封印・凍結されていたはずの参号機が地上へと現れる。

「シンジ君、お待たせしましたわ。それに皆様もわたくしを待っていてくださったのね。ありがとう」

「あ、カホル。どこ行ってたの? みんな心配してたよ」

「おじいさま方に面会してきましたわ。面白いことは聞けなかったけれどね」

「あんた、誘拐されたんじゃなかったの?」

「加持さんには、案内して頂いただけよ」

『参号機からカホルさんのような雰囲気を感じるんだけど、これはどういう事なんだい?』

『カホルが戻ってきたんだよ。SEELEの人たちに面会してきたんだって』

 カホルがエントリープラグを通じて音声で話し掛けたため、シンジも音声で返していた。しかし、エヴァの中にいるカヲルやルナにはその内容は伝わらない。そのため、シンジは念話を用いて改めて説明した。

『物好きね』

『誘拐されたのではなかったのかい?』

『自分から着いて行ったみたいだよ』

『怖くはないのかい?』

『カヲル、あなたは怖いの? あの人たちが』

『僕はそんなことないが、普通のリリンである君たちは……』

『私たちは普通じゃないもの』

 ルナの説明でカホル誘拐事件の話題が終わると、アスカは一同の意識を戦闘へと戻す。

『じゃ、とっとと終わらせましょ。あんな弱っちい奴等にいつまで付き合ってても面白くないわ!』

『そうね』

『作戦はどうする?』

『最後なんだから、どーんと派手に行くわよ!』

『アスカはここに残るんだから、飛んじゃダメだよ。それと槍を投げるのも禁止』

『解ってるわよ……。でも、私にも出番よこしなさいよね』

『私は、あなたに出番をあげればいいのね』

『それでは、わたくしとルナでエヴァシリーズを下に叩き落として、アスカが槍で止めを刺すというのでどうかしら?』

『それじゃ、地味すぎない?』

『物凄い速さでやればインパクトはあると思うけど?』

『僕は何をするの?』

『シンジはあたしのために槍を用意しながら、残りの槍を守るのよ』

『わかったよ』

『さっ、そうと決まれば、善は急げよ!』

『じゃ、はい。アスカ』

 初号機から槍を受け取ると、アスカは上空を睨み付け、一同に向けて心の中で言った。


『Gehen!』

「手こずってますね。シンジ君たち」

「ええ、決め手がない。結局、最初の初号機の攻撃しか通用してないもの」

 発令所ではカホル似の少女の画像についての議論を先送りにし、自己修復後、宙へと再浮上した10体の量産機が代る代る急降下攻撃を加えては、アスカたちのエヴァにより迎撃される様子をスクリーンで眺めていた。

 戦況が膠着状態であることは解っているが、目の当たりにしているエヴァの能力はそれまでのNERV本部の職員の理解を遥かに越えている。問題は量産機のコアが固く、止めを刺せないでいることなのは明らかだが、彼らには助言の言葉も、通用しそうな武装の用意もない。

 見守ることしか出来ないというのはいつものことではあっても、やはり歯痒い。

「今のところ危険な感じはしないが、それもいつまで続くか……」

「それにしても、シンジ君は何をしているのかしら?」

「それよ、それ! 今までに効いた攻撃は初号機のあれだけなのに」

「ですが、エヴァシリーズもあの剣を取り戻そうと必死ですね」

 ミサトが迎撃に参加する意志の見えないシンジに一言文句を言ってやろうかと考え始めたところで、マコトが量産機の狙いも剣であることを指摘した。

「あの剣に何があるというの?」

 そして、スタッフが量産機が持参した剣に興味を移したところで、新たな事態が発生した。

「セントラルドグマ下層より、高エネルギー体が急速に接近中」

「今度は何?」

「ATフィールドを確認。これは、参号機です!」

「参号機ですって! まさかあの使徒が活動を再開したとでも言うの?」

「いえ、分析パターンからは使徒と判別できません」

 一同の混乱は、しかし、すぐに解消された。もっとも、何故封印・凍結してある参号機が動けるのかという問題は残る。

『シンジ君、お待たせ。それにみんなもわたくしを待っていてくださったのね。ありがとう』

『あ、カホル。どこ行ってたの? みんな心配してたよ』

『おじいさま方に面会してきましたわ。面白いことは聞けなかったけれどね』

『あんた、誘拐されたんじゃなかったの?』

『加持さんには、案内して頂いただけよ』

「随分余裕があるのね」

「カホルさんも無事で良かったです」

「マヤ。参号機のパイロットがカホルさんだってことは調べれば判ったはずよ」

 不測の事態に混乱し、マヤが当然の確認を怠ったのは事実であるが、他の人間たちも初めは使徒の再来を疑い、マヤ同様に混乱に陥った結果、確認の指示も出さなかったのだから、これはとばっちりと言うべきだった。

「すみません」

 発令所の人間が、膠着状態の戦況に新たに加わった参号機という不測の事態に肝を冷やしていたのに対し、戦闘中のチルドレンはいかにもマイペースだった。

 彼らはまるで世間話でもするかのようにカホル誘拐の顛末を語り合いながらも、先ほどまでと同じ作業を続けている。すなわち、零号機と弐号機は降りてくる量産機の迎撃、そして初号機は――

「待って、初号機が持っているあれって……」

「ロンギヌスの槍?」

 発令所の人間は、参号機とカホルの登場による混乱とその後のチルドレンの緊張感のない会話に気を取られている間に地上で起こった変化をまたも見逃していた。

 部分的にしか生き残っていないスクリーンに小さく分割して表示された映像以外に、地上の様子を知る術がないことも理由の一つであることは間違いない。

 そして、その変化を齎した張本人と目されるシンジが一言も発しなかったこともまた、発令所の人間の注目を引かなかった理由の一つと言える。


 戦況の変化は突然だった。

 弐号機が初号機から槍を受け取った直後、零号機と参号機が消え、それに対応するように量産機が2体ずつ弐号機へと突進を始めたのである。

「見てください。エヴァが、エヴァが空中戦をしている」

 光源となる物が戦略自衛隊が断続的に打ち上げる照明弾の灯りのみという状況では、上空を蠢く量産機の周辺を映像で確認することは難しい。その状況で、零号機と参号機は過去にない高速の動きで量産機に攻撃を加えていた。

 MAGIの端末の前に陣取ったマヤは、先ほどの失態を取り返すべく戦況の把握に集中していた。

「そうか。弐号機に向かってる量産機って、弐号機を狙って攻め込んでるんじゃなくて零号機と参号機に突き飛ばされたんだ」

 マコトが状況を把握した時には、落ちてきた量産機は弐号機の持つ槍の餌食となっていた。

 弐号機は1本の槍で2体の量産機のコアを正確に貫くと、量産機が刺さったままの槍を地面に縫い付ける。同じ物であるはずなのにも関わらず剣形態の時には結局破壊できなかった量産機のコアを、目標が飛ばされてくる運動エネルギーをも利用しているとはいえ、槍という形状に変化したそれは、同じ弐号機の手で易々と貫いてゆく。

 初号機は弐号機が槍を手放すと次の槍を弐号機に手渡す。

 弐号機が新たに受け取った槍を構えると、上空からは量産機がまた2体落ちてくる。

 そして、弐号機は前回と同じように2体を1本の槍で処理する。

 それは連携の取れた流れるような動き。


 10体残っていた全ての量産機が槍に縫い付けられるまでに掛かった時間は僅か30秒。

 発令所の人間がスクリーン上で繰り広げられる戦闘の状況を理解するよりも前に、量産機は全滅していた。


 量産機の殲滅を終えると零号機と弐号機は、槍により串刺となったかつて量産機だったモノを一ヶ所に集め始める。

 そして、集められたモノは、初号機と参号機の手により槍で縫い合わせるように一纏めにされていった。

「何をしてるのかしら?」

 ミサトの疑問は発令所の人間の疑問を代弁している。

 誰一人として、その疑問への答を得られないまま、やがて地上での作業は終了した。

『じゃあアスカ、留守番は頼んだよ』

『心配ないわよ。この私を誰だと思ってんの?』

『そうだね。それじゃ、僕たちは行くよ』

 シンジとアスカの会話が通信回線経由で発令所に届いた直後、零号機と初号機、そして参号機の3体のエヴァは一纏めになった量産機の塊を抱え、上空に浮かび上がった。

 3体のエヴァにより持ち上げられた量産機の塊は、左に3体、中に5体、右に3体という割合で並び、それぞれ1本の槍で縫い合わされていた。

 また、左右の3体ずつの量産機はペアを組むように槍で縫い合わされており、その3本の槍は中央の5体の間を通っている。

 更に、左の先頭、中央の2番目、右の2番目というコンビ、左の2番目、中央の3番目、右の最後尾というコンビ、左の最後尾、中央の3番目、右の2番目というコンビがそれぞれ三つ組になるように槍で縫い合わされていた。

「何のつもりかしら?」

「お神輿?」

「なんか不自然ですね」

「そうね。バランスを取ろうというつもりはないみたい」

 左の先頭を参号機が、右の2番目を零号機が、そして中央の4番目を初号機が担ぐという分担で量産機の塊を持ち上げる3体のエヴァの配置は、発令所の人間には不自然に見えた。


 目の前の出来事を第三者的に観察してしまっているという一点を取って見ても、発令所の混乱はまだ収まっていなかったと言える。


 発令所の人間が自分たちの立場に気付いた時には、量産機の塊を担いだエヴァは上空遥か高く、照明弾の灯りの届かない深夜の暗闇で光学による観測が不能、かつ、無線による通信すら届かない高みへと飛び去っていた。

to be continued...



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